【読書感想】『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』でスッキリした!

 私は常々、自分たちの世代よりも下の世代の方が倫理的に優れていると感じています。それをこうして証明する一冊を読むことができ、感無量です。
 モヤモヤという言葉からは優しさを感じます。イライラ、ぶちのめしたい……そういう過激な言葉ではなく、モヤモヤ。優しいアプローチです。
 本書は正しい。圧倒的に正しいし、誠実だと思う。ゆえに読んでいてストレスがない。そこが、何よりも素晴らしいと思えます。

 そこまで踏まえまして、本書を書いてくれた皆さんには感謝の気持ちしかありません!

モヤモヤがスッキリした

 ものごとって、定義をすることで理解ができて、スッキリします。本書がモヤモヤと定義したことで、私がずっと抱えていた気持ちもスッキリしました。
 この本を書いたみなさんは「モヤモヤするよね」と分かち合えるけれども、それができずに定義できずに溜まっていた人は多いと思う。私もそう。
 大学のとき、無茶苦茶ハンサムで、医学部で。おしゃれでユーモアセンスがあって、モテモテの先輩がいました。ここではとりあえず李(イ)さんとしておきますね。李さんかっこいい、まじいいなぁ。そう私は憧れていた。するとあるとき、別の先輩が李さん不在のところで、彼をこう言っているのを聞いてしまったのです。

「でもあいつ、偽日本人じゃん」

 今になれば、あの発言主は何一つとして李さんに勝てないから、そういうことを言ったのだろうと思えるけれども。だからといって許せるわけもないけれど。聞いた瞬間にはそれこそモヤモヤが溢れてどうしたらよいのか悩みましたとも。
 でも、そういうことを差別と指摘できなかったし。反論しなかったし。そんな自分が情けなくてどうしようもなくて。そういう気持ちを「モヤモヤする」と言えるということは素晴らしいことだと思いましたよ。

 馬鹿げた話だけど。そういう差別に異議申し立てすることすら、なかなかできない時代もあった……ということにしましょう。今はもう異議ありと言える時代だということにしましょう。

 本書で問いかけられていることは、初歩的と言えばそうです。初心者向けであくまで入り口としての一冊であり、ここから先もっともっと学ばねばなりません。学ぶにせよ、ネットでなく、誰かに聞くのではなく、信頼できる本を借りてきて読んでそうしなくちゃ。そう改めて思える一冊です。

大学生世代をモヤモヤさせているのは誰なのか?

 この本は極めてまっとうなことしか書いていないと私は思います。が、AmazonレビューやSNSを見ると無茶苦茶。高評価と低評価のレビューを読んでいると、色々と興味深いものがあります。
 文体に特徴があるし、年代もわかる。低評価をつけている人のことは推察できます。

・30代以上
・実年齢は中高年だが、精神年齢が幼い
・『戦争論』にハマったことがある
・朝日新聞、フェミニスト、BLM運動が嫌い
・SNSのアイコンは二次元、漫画やアニメのものを使っている率が高い

 このくらいはだいたい想像がつきますよね。ある意味典型的ともいえる。
 彼らは氷河期でもあり、色々とつらかった……と、庇うつもりはサラサラありません。どんな辛い人生を送ったにせよ、大学生をモヤモヤさせるようではよろしくない。Yahoo!コメント欄で差別的なことを書いていませんか? Amazonレビューにせよ、ああいうコメント欄にせよ、SNSにせよ、若い世代に差別的なことをいい、傷つけているこういう人々は大勢います。だったら許してはいけないし、私は許すつもりは一切ない。

 フェミニズムを学んだとキラキラした投稿をしていたアカウントが、韓国のフェミニストを罵倒したことがあった。トランス差別をおおっぴらにするようになった。それまで全然そんなことつぶやいていなかったのに、一体何なのか?

 不満があっても声をあげない。冷笑して揚げ足取りをして、やたらとwwwとつけて、なんJ語(ワイ、悲報みたいなやつ)を使う。真面目に語る時でもふざけてジョジョの言い回しを使う。
 もう、モヤモヤしている大学生世代は、彼らに忖度したり気を使う必要は特にないかと思います。
 彼らはもうとっくの昔に大人になっているのだし、責任は自分たちで取るべきであるし。日韓がらみの知識不足で威張り散らされても、そんなものだからなんだと思いますし。

 あの世代は、クラウゼヴィッツじゃないほうの『戦争論』を読み「そっか、今時の若者はこれでいいんだ!」と思っちゃった。で、そこから成長できなくて抜け出せないのだと思います。
 そんな人のこと、構っている暇はありませんよね。

冷笑は相手にしなくていい

 昔、とても不思議に思ったことがあります。カラオケにいくと軍歌という分類がある。戦争って嫌な思い出なんじゃないの? それでも軍歌を歌いたいモンなの? それはまったく私の浅はかな考えでして。
 若い頃に刻まれたノリって、いくつになっても味わいたいんですね。もうどうしようもないけど、戦中が青春時代と重なってしまうと、あの時代を懐かしむものなのでしょう。
 そういう世代の影響は下の世代にも受け継がれます。
 人間とは、親世代を軽蔑し、祖父母世代に憧れを持つ傾向がある。モヤモヤさせる世代は、親世代が「この子たちは戦争に送り込んではいけない!」と真面目に説いてきたのです。
 そんな世代にとっては、戦争体験を語るおじいちゃんおばあちゃんをバカにするのがかっこいいとなってもおかしくありません。
 現に彼らはSNSで、こういうことを言ってはいませんか? 

「戦争の話かったるいし〜」
「でも戦争でいい思いした人もいるわけでしょw」

『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』でも、韓国人戦争体験者にそうする事例がたくさん出てきます。そんなものさっさと卒業しろと思うけれども、できない。そんな彼らの世代にとってあの『戦争論』は魅力があったんでしょうね。親が起こりそうな戦争擁護をしてくれる! そうだそうだ、戦争悪くない! そうみんなで盛り上がることが楽しかったんですよ。
 あの人たちが差別をして、SNSで楽しそうにしていること。心底差別対象を嫌っているかどうかは、正直なところわかりません。
 承認欲求かもしれない。コミュニケーションの一種かもしれない。差別でそんなことされてたまるか! そう言いたくなる気持ちはわかります。
 でも、そう落とし所でもつけないと、やってられないところではある。それが解決の糸口かもしれないとも思います。まわりの意見を見て変わるならば、「は? 差別なんてしたことないしw」とシラを切ってくれるかもしれない。アジア・太平洋戦争でもありました。
 『はだしのゲン』由来の鮫島伝次郎というやつ。彼らが老齢になって集まってもまだ「ワロスw」「ニダw」だの言い合う暗い未来から救うためにも、社会を変えなくてはなりません。それを若い世代に託すことは申し訳ないとは思うけれども。

誠意があればいつか実る

 この本を書いた大学生のみなさんの未来は明るいと思います。自分なりに調べて、勉強して、誠意でもって向き合えば、きっと分かり合える人はいます。
 私にはルールがあります。自分のルーツの出身地が関わる歴史を調べて、加害したことがあるのならば、その土地にルーツを持つ人に「あのときは申し訳なかった」と先に言うこと。屯田兵ルーツも入っているので。アイヌの方にはきっと申し訳ないことをしたと思います。アジア・太平洋戦争での国々は言うまでもありません。
 そうすることで嫌な目にあったことはないし、むしろ腹を割って話してくれているのだと思えることがあります。中国語圏の方に、日本の歴史には民間人犠牲者を軽視する傾向があると告げた時、こう言われました。

「原爆の被害者くらいしかちゃんと数えないよね」

 これは被爆者の侮辱ではありません。海外からすればこうなのかと再確認できました。唯一の被爆国であることそのもの、そのアピールに異議があるわけではない。ただ、日本が加害に回ったことについては、原爆ほど熱心に語っていないと思われているのだと。
 そう思われるということは、何か足りない。そう認識することが大事です。

 私がこうした姿勢をとる理由のひとつとして、めざしている先人がいるからではあります。それはアクションスターとして香港で有名になり、中国語圏の映画に多数出演している倉田保昭さんのこと。
 彼は空手のできるスタートして香港映画に出演するも、悪役ばかりでした。倉田さんはボヤきました。

「俺の方がハンサムだし、アクションもできるのに脇役ばっかりなんだよな」
「倉田よ。香港の観客はな、日本人が殴られるところが見たいんだよ。お前のせいじゃないけどさ、わかってくれよ」
「うーん……そうか」

 そう言われて彼は腐るどころか、受け入れて、悪役として確固たる地位を築きました。美形でアクションも優れているので、人気は出ます。倒されているけど、倉田さんの方が絶対強いだろ! そう突っ込みたくなることがお約束になりまして。
 そんな倉田さんは、日本よりもむしろ中国語圏の方が扱いが大きいと思えるほど。

「香港には倉田さんが嫌いな人なんていない!」

 そう私は聞いたこともあります。
 
 それは彼のアクション、演技力、美貌のみならず、謙虚さと人格、誠意があるのでしょう。

 昔のことを言われてカチンとくるとか。自分のルーツでマウンティングしたいとか。仲間同士で差別をして盛り上がりたいとか。そういうしょうもない動機から差別する人に、私たちはならなくていい。
 むしろ誠意をもって、過去を直視し、国境を超えて向き合えば、きっと得られることもある。そのためにはたくさん勉強することも大事。そのために、その一歩として、本書は有用です。

 モヤモヤとタイトルにあるけど、私はスッキリした。自分の不満や苦い思いを定義でき、未来には希望があると思えたから、とてもスッキリしています。
 社会を変えて、差別はカッコ悪いときっちり定義して、被害者も加害者も救えるようにしましょう。私も自分ができることから、地道に取り組んでいきたいと思います。
 差別をなくすことは正しい。正しいのだから、負けるわけがありません。負けないなら進むしかない。負けないとわかっていれば、きっと大丈夫。前へ、進みましょう。


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小檜山青 Sei KOBIYAMA
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