アニメ『ゴールデンカムイ』29話 国境
トップ画像、サハリン州(南樺太)に残る日本パルプ工場のあと
アシリパ一行は、杉元たちの予測を裏切って国境ぞいの敷香に到達していました。
やはり犬橇のメリットは大きい。今は自動車道があっても、当時はありません。犬の餌代だけでもスッカラカンになってしまったとか。それだけ金がかかるということ。ボンボンの鯉登による犬橇雇用は正解でした。今回は杉元と先遣隊ではなく、アシリパ組のお話です。
カムイが変わってしまう、俺たち自身もそうなってしまう
白石は黒貂で金を稼げばいいと言います。
黒貂! セーブルとも呼ばれますね。北の方だけで獲れる高級な毛皮で、ロシアの上流階級はこれを身につけることがステータスシンボルでした。
ロシア皇帝のアレクサンドル1世は、ナポレオンに黒貂コートを贈っていました。それをナポレオンが妹・ポーリーヌに与えたところ、彼女は愛人に与えてしまい、発覚して揉めたなんて話も。
ポーリーヌの美貌と奔放~ナポレオン皇帝の妹がこんなにエロいはずが……! https://bushoojapan.com/world/france/2020/08/01/103177
なにげない話と言えばそうなのですが、樺太に暮らす先住民族がそれを売り払い、宮廷にまで届いていたということこそ、歴史の醍醐味だと思うんですね。そういう先住民族あってこそ、文明は成立する。かれらは清、ロシア、そして日本と交易をして暮らしをたてていたのです。
そんな貴重な黒貂も、川が凍結すれば獲れません。そう言いつつ森を歩いていくと、棺が木の上にあります。
キロランケがいうには、ウィルタの天葬だそうです。樺太には、南部の樺太アイヌ、北部のウィルタ民族とニヴフ民族がおりました。
同じ島に住んでいるのに、国境で区切られてしまう。
樺太アイヌと、南樺太のウィルタは、日本国籍。
北部のウィルタとギリヤークは、ロシア国籍。
本来区切ることのできないはずのひとびとが、国境がで別れてしまうのです。そして近代国家というのは、彼らのような少数民族を嫌う。自分たちが決めた国境に従わないかれらを迫害することがある。
天葬のすぐそばには、ロシア正教の八端十字架が墓標として使われ、土葬が行われている。
キロランケはそのことに危機感と嫌悪感を覚えているものの、厄介なのはロシア人側が悪意をもって布教をしているわけでもないということだと思うのです。純粋に自分たちの神が正しい、信じることで救われると思っているからこそ、布教するのです。
ロシアだって、かつては別の神を信じていました。けれどもキリスト教徒になることで、野蛮人から文明に仲間入りを果たしたという意識はある。ロシアではなくウクライナの人物ですが、ウラジーミル1世が有名です。正しい神を信じ、狩猟ではなく農耕をすることで、あなたたちにも文明の光が降り注ぐ! そういう考え方に当時は疑念が抱かれなかったものです。
寵姫800人のハーレム生活から聖人君主へ~ウラジーミル1世の変わり身 https://bushoojapan.com/world/russian/2019/12/27/112189
キロランケの戸惑いは、そういう巨大な文明への危機感でもあり。ロシアではなく、日本に対してのものでもあり……BLM時代を先走るような、そんな深淵なテーマがそこにはあります。
トナカイ狩だぜ
アシリパ一行の目の前にあらわれた大型獣を、尾形が射殺します。尾形は結構衝動的なんだな。それはトナカイでした。尾形がいろいろ射殺することで何かが始まるのでした。そのトナカイには、「ウラーチャーンガイニ」という首輪がついています。トナカイのすねに当たって逃げられないようにするもの。ここで白石にもつけたらどうだジョークを挟んで、ウイルタの財産であるトナカイへの賠償をしなくてはならない話になります。ウイルタと交渉し、野生のトナカイを狩ることに。
この話は本当によく調べているし、手抜きがない。アイヌにせよ、ウイルタにせよ、彼らの言語は消えつつある。消滅危機にある言語の中でも、深刻な状況です。それをこうしてアニメで残すのですから、大きな意義があります。
キロランケはアシリパに、ウイルクもトナカイをあやまって殺してしまい、賠償することになったと言います。アシリパは父を思い出しています。尾形がそんなアシリパを見て何か思うようです。いやけれども、そこは尾形ですからね。父殺しの尾形が、父を思い出す彼女を見て、どう思うのか? かつて彼にも、こんなふうに父にあこがれた日々があったのか? あったからこそ、ああなったのか? 尾形の中でも何かが生じているようです。
アシリパは 「化けトナカイ」を意味する「オロチックウラー」を思い出します。白石が愚痴を言うと、こうしてトナカイ狩をすることも計画通りだとキロランケは言う。アシリパの記憶を取り戻すことが、彼の目的なのでしょう。キロランケのしていることを悪と言い切れないけれども、アシリパを闘争から守りたい杉元からすれば、よろしくないものでもあると。
トナカイ狩で尾形は本領を発揮し、次から次へとあっという間に射殺してしまいます。ウィルタの一人がここで、「この男がいるとこの地からトナカイがいなくなる」と言うことが、示唆的でもあります。
資源の問題です。技術が進歩し、人間の狩猟はどんどん取りこぼしがなくなる。その結果、多くの種を絶滅に追い込んでしまった。明治以来の北海道が典型例で、エゾオオカミのレタラを通してその悲劇を見せてきました。
ニシンもそう。かつては辺見のエピソードで出てきたように、鰊御殿なんてものがありまして。それだけニシンが大漁で、猫すら食べない「猫跨ぎ」なんて呼び名すらありました。食べるだけでなく、肥料の原料にもなったのです。それがだんだん漁獲量が減ると、今度は樺太に目を向ける。そして第二次世界大戦で南樺太を失い、今に至るのです。
北海道の歴史とは、資源との向き合い方を見せてくれるものでもある。どれだけ人間が北海道の自然を壊してしまったか。そこにどうしたってつきあたります。そうそう、でも今舞台は樺太なんですね。前にも指摘しましたが、パルプ工場があり、主幹産業でした。そのせいで森林資源が傷付けられ、ダメージは現在でも癒えておりません。樹齢が何百年にもおよぶ木材を使ったからにはそうなります。
アイヌや先住民族を考えることとは、SDGs(持続可能な開発目標)にも通じる。そういう意味でも『ゴールデンカムイ』は極めて秀逸なんです!
南樺太の歴史~戦前の日本経済に貢献した過去をゴールデンカムイと共に知る https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/07/08/116084
トナカイ肉、乳製品を味わう一行。こういう食文化を描くからこそよいものがある。白石も乳製品を楽しんで食べてはいますが、これも彼の年代ではちょっと珍しいかも。というのも、日本人が乳製品にやっとめざめたのは明治維新以降。一応古代にもあったとはいえ、廃れていました。ゆえに「バタ臭い」(乳製品くさくて口に合わない、西洋風の風情をさす)なんて言葉も昭和あたりまであったものです。北海道のおいしい乳製品も、かつてはよくわからない味だとみなされることもあったと。
幕末・文久遣欧使節団の食事がツラいって! 洋食は臭くて食えたもんじゃない? https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/09/09/112168
キロランケがすかさず女性に針を渡しております。女性には針、男性にはタバコ。それがアイヌ相手に喜ばれる定番のおみやげであり、和人もこの知恵を用いていたとされます。
ツァーリを殺した男と、その男を狙うもの
ウィルタのふりをして、国境を越えることにする一行。さあどうなるのか!
と、ここで鶴見が何かを語り出す。1881年、ロシアのサンクトペテルブルクでのツァーリ暗殺のこと。手投げ弾による暗殺事件でした。当時はテロリズムと手投げ爆弾時代でもありまして。大隈重信もこれで脚を切断しております。当時は政治家や為政者に不満があれば殺す動きがあった。明治の元勲も被害に遭っております。
こうして、キロランケと爆弾がつながりました。日露戦争でも爆弾を使っていたというキロランケ。乗馬技術、爆発物製造、緒方との連携……要所で見せていた不穏な動きの説明がつきました。ツァーリ暗殺未遂犯であったのだと。
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鶴見はその情報をロシア側に流していたわけですが、これも不穏といえばそう。どんな情報網の持ち主なのかという話でもある。鶴見一人の突出した能力というだけではなく、組織だった何かがないとこうはいかないでしょう。山田団長といい、樺太に来てロシアとの関係、そして諜報網が浮かび上がってきます。
帝政ロシア・ロマノフ朝が滅亡しロシア革命が起きるまで https://bushoojapan.com/world/russian/2020/02/01/113730
そして、そのためなのか。狙撃手が出てきます。ウィルタの一人が撃たれ、橇から転げ落ちたのです。
「アンマー!(父さん!)」
悲痛な声が響きます。狙撃戦開始だ。三八式を持っていたため、彼が狙われたようです。負傷した彼を救うために白石が向かわされるものの、救出はできない。キロランケが無防備に堂々と歩むことで、なんとか活路を見出します。
そうそう、三八式ね。三八とは、明治38年ってこと。……『ゴールデンカムイ』でも有坂閣下が出てきますが、彼のモデルたちが開発した日本の銃器はなかなか優秀で、第一次世界大戦時は輸出もされました。それがどんどん送れるようになるのが、第二次世界大戦へ向かう中でのこと。第二次世界大戦でも、日露戦争で用いられたこの三十八年式を使っていたのですから、切ないものがあります。
当時、ロシアの銃器は世界的に見ると遅れ気味。技術や戦術全般が、世界の潮流から見れば停滞気味でした。19世紀半ばともなると、物量で勝っていても、技術の差で敗北することが続いていたのです。『戦争と平和』のように、ナポレオン戦争が郷愁と共に描かれたことには意味がある。というのも、ナポレオン撃退が、ロシア帝国最後の輝きではあったのです。あとはどんどん、下り坂……。
日露戦争で日本が辛勝できたのは、そういうロシアの斜陽あってのことでした。坂の上の雲をめざす日本人の精神性由来でもない。ロマンに酔いしれるのもほどほどにしましょうね。
というわけで、ロシア側狙撃兵の銃も当時の世界流行からすれば、そこまでよいわけではないと覚えておきましょう。
狙撃手ヴァシリ
ここでロシア側の狙撃手が出てきます。ヴァシリだ!
このヴァシリという名前は、Vassiliosというギリシャ由来です。綴はロシア語だけでも、愛称含めてVasili, Vasiliy, Vasily, Vassily, Vaska, Vasyaとある。英語だとBasilです。ウラジーミル(Vladimir)のようなロシア由来ではなく、外来語由来ということです。
現代のロシアの方からすれば「ちょっと古い名前」だそうです。おじいちゃん、おじさん世代という印象。
同名の著名な狙撃手に、ヴァシリ・ザイツェフ(1915−1991、スターリングラードの戦いで225人を射殺)がいます。彼がモデルの一人でしょうか。演じる梅原裕一郎さんがロシア語をがんばっている! 月島役の竹本英史さんが大変だとは思っていましたが、それどころじゃなかったわけですね。
ヴァシリの教育環境や、出身階層もちょっと気になってきました。というのも、ロシア帝国末期ともなれば教育格差が半端ない。上流はフランス語で話し、農奴ともなれば読み書きもできない。そういう厳しい現実がありました。知識から遠ざけることで、反乱の目を摘む。そういう意図的な教育格差が、ナポレオン戦争以降ロシアでも広まります。共産主義者はまず読むところ、知識を得るところから始めようとしました。こういうロシア革命前夜の話もなかなかこれから重要になってきます。
そしてここからは、日露戦争延長戦! 尾形とヴァシリの狙撃戦が始まります。狙撃手同士の戦いは珍しい。ヴァシリは未知数として、尾形は近接戦とチームワークが苦手だとだいたいわかってきましたね。尾形は性格的にも狙撃手の適性がある。短期な杉元や鯉登は、この点不向きだと見ているとわかります。尾形はフレーメン現象を起こすほど猫じみていますが、それもわかります。猫は気配を悟られないよう、体臭すら舐めとる。尾形もきっと綺麗好きだ。
そんな尾形の敵ともなれば、当然手強い。
味方が狙撃されようが、爆発物で吹っ飛ぼうが、助けないヴァシリ。尾形との高度な戦闘が続く。狙撃手が味方から敵からも嫌われやすく、捕まったら拷問惨殺されがちな理由もわかる気がする。『アメリカン・スナイパー』のように精神が蝕まれやすい理由もわかる。狙撃手というのは、人間性も捨てないとできないものです。
狙撃手としてゆえか、それとも別の理由があるのか? 狙撃手と対決することにより、尾形の内面性、人間性がクローズアップされることになります。
文明が切り裂いたもの
樺太編は必然でもあるし、今こそ考えたいテーマになりました。
樺太って、避けられるならそうした方が絶対楽なんですよ。国境を越えるからには、北海道と取材のややこしさも段違いです。風俗交渉、ロシア語はじめ語学監修、負担も桁外れだ!
それでも入れるとしたら、国境がいかにして人間を引き裂くか。そこを描くためとも思える。国境だけでなく、宗教や文化もそう。
近現代の歴史とは、よかれと思って少数民族のアイデンティティを消してきたことでもある。キリスト教の教えが、奴隷貿易や植民地獲得をどう支えてきたか。そこは近年、一番熱い歴史のテーマでもあります。日本では力の関係もあって、カトリック側が弱く迫害される側となりますが、そうでない地域もたくさんあります。
文明国になったと思った側は、かつて自分たちが圧倒されたことを忘れてしまう。狩猟から農耕になることで、どれほど苦労をしたか。人口が激減したか。
それまで信じていた神や言葉を捨てることで、どれほど失ったものがあるか。
とはいえ、これも一括りには言えない。この記事には、現地語の布教による利点が書かれています。こういう記事が読みたかった。そうそう、少数民族をどう扱うかこそ、文化と社会の要となるのがこれからの時代でしょう。
「ウポポイをどう評価する?」日本で暮らす台湾原住民が見たアイヌ #ウポポイ #アイヌ #文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/41222?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink
それを忘れてしまい、そうすることこそが正しいと信じて、善行だと感じてそうしてしまう。あの松浦武四郎ですら、アイヌが儒教を学び、右前の服を着ればもっとよくなるというような趣旨のことを書いてしまう。彼に悪意はないし、時代の限界がある。少数民族の歴史を学ぶことは、人類の歩みを知ることでもあり、とても興味深いとしみじみと思えます。
アシリパのような誰かががアイデンティティを知れば知るほど、もっと気楽に生きればという気持ちを周囲が抱くこともあるでしょう。そんなめんどうなことを言う少数民族なんて嫌だという拒否感も出てくることでしょう。
ウポポイが、まさにそうしたアイヌと日本の関わりを見せつけてはいる。学ぶことで、辛くなる気持ちはある。そこをどう乗り越え向き合うかということ。そのことも考えていきたいと思うのです。