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映画『長安三万里』(长安三万里)

 2024年秋、神保町でのこと。内山書店で雲南コーヒーを試飲して、しみじみと感じたことがある。もう、私の生涯で、心底驚いたり、進化に舌を巻くことといえば、中国がらみで起こるのだろうと。アメリカ大統領選の結果には失望したけれども、そもそもアメリカから何か新たなよい意味での驚きや進化を感じる方が難しいのかもしれない。
 映画と関係ない前置きから始まってしまった。こう思い至ったのは、大統領選の結果のこともむろんあるけれど。この前に中国友好会館美術館で『長安三千里』を見ていたからだ。プロットの精密さ。美しい色彩設計。上映時間の長さが気にならないほど素晴らしい作品で、アニメ映画をみてこんなに感動したのはこれが初めてだと思えた。もう私も人生後半戦だというのに、こんなにも新鮮で驚きに満ちた経験ができるとは思わなかった。そうしみじみと思っていたところで、雲南コーヒーを一口すすってまた驚いた。こんなにも新鮮な驚きに満ちたコーヒーはない。中国を見続ければ、きっとこういうことはこれからも起こる。なんと素晴らしいことか。

高適と李白の間に何があったのか?

 『長安三千里』は、悲痛極まりない戦闘から始まる。吐蕃の大軍を前に衆寡敵せず、老将が城からの撤退を決めるのである。この老将は節度使の高適であった。彼の元に朝廷から使者が到着する。撤退を糾問されることをおそれたのか、高適は愛用する槍で自刎をはかった。しかし年老いて力が足りなかったのか、彼は傷を負うだけであった。朝廷の使者は意外なことを告げる。あなたと李白の関係を聞かせて欲しい。そう問われ、高適は李白と出会った若き日のことを語り出すーー。

 盛唐が舞台であると予告にもあり、ポスターも華やかなのに、あまりに暗い幕開けだ。このプロットが実に素晴らしい。吐蕃の軍勢が迫りきているのに、なぜ朝廷はなぜ李白について知りたがるのか、高適と李白の関係はどうなっているのか。複数の伏線が提示され、話は若き日の高適と李白の物語へとさかのぼる。

子どもから大人までーー惹きつける仕組みがいくつもある

 この映画を見ると中国の友人に告げると、皆「すごい!」「絶対おもしろい!」と返してきた。ネットニュースの類を読むと、子どもたちが夢中になったともある。その理由は見ればよくわかる。どの年代にも魅力的な要素が詰まっている。

 青年李白が登場した瞬間、心を撃ち抜かれる人がいったいどれだけいたのだろうか。時代考証としては若干無理がある無造作な髪型に、いたずらっぽい笑み。武侠ものから出てきたのかと思うほど身が軽く、誤解をもとに突如高適に切り掛かったくるところまで武侠ものの好漢そのものである。ともかくこの李白を、神仙のように眩く魅力的でいて、同時になかなかのトラブルメーカーにしなければならない。全力でこの人物像を作り上げてきているのが伝わってくるし、中国の作品では一典型かもしれない。こういう悪意が一片もないのに周りを巻き込んでいく人物は重要だ。ある意味、彼はこの作品の楊貴妃といえる。
 李白の抗えない魅力に引き摺り込まれていく高適。とはいえ彼は生真面目で誠実なので、どうしようもないほど惹かれつつ、溺れるわけでもない。二十歳前後でであったこの青年二人は、再会の約束をしつつ、付かず離れずの友情を続けてゆく。

 話としておもしろく、飽きないようにしてある。流麗なアクションシーンに、先の読めない仕掛けがあって、上映時間の長さがまったく気にならない。このおもしろさこそ、万人受けするポイントだ。

 そしてファンアートを探ってみると、案の定、高適と李白はカップリングされている。むしろこれでしないでいられるか! 中国はブロマンスに厳しいというけれども、露骨に性的な場面でもなければ規制するものでもない。この二人はあくまで健全なアニメ映画の登場人物であるし、あからさまなファンアートでもなければ問題視されないのだろう。そもそも中国史をたどるうえで、男性同士の関係性はどこまでが友情で、どこからが愛情なのかわかりにくい。伝統でもあるし、ブロマンスとしても読み解ける。それでよいのではなかろうか。

この映画を理解するうえで歴史知識はどの程度必要か?

 中国史特有の歴史用語や、歴史背景を理解していた方がわかりやすい点はいくつかある。節度使や公主といった用語は把握しておいたほうがよい。
 安史の乱の流れと関連人物も、一通り理解しておいたほうがよい。重要な伏線である。
 人事制度はプロットの根幹を貫く重要な点だ。唐代は科挙が導入されているものの、貴族制度もまだ残存している。高適と李白が名門出身でないため、けんもほろろに扱われてしまう描写は重要だ。
 この時代、女性は纒足をしておらず、権力を保持できていたことも重要である。では自由かというとそうではなく、女性が国のために尽くす道はないとある人物が無念とともに語る。ジェンダー観点からも重要な名場面だ。
 言うまでもないこととして、この時代の主要詩人とその代表作程度を知ると知らないでは受け止め方もかなり変わってくる。
 兵法もふまえている。本作の合戦や防衛に関する場面はそこまで長くないものの、兵法を用いた展開をするので把握していた方がわかりやすい。根性やカリスマ性でどうにかする名将は、中国の作品では少ないことを本作を見ていて思い出した。

 この作品はなかなか難易度の高い歴史的な事象について、字幕で最低限の解説をするだけにとどまっている。知識が不足していても引き込む巧みさと力強さがあればこそできるのだろう。とりあえず魅力を感じ、興味を持ち、歴史なり詩なりについて深めてゆけばよい。出てくる詩の解説書も販売されている。

 思想という点でいえば、権力者に批判的だ。玄宗と楊貴妃のロマンスはセリフだけでしか語られない。登場する詩人は概ね政治の堕落に批判的である。この批判精神がとても中国らしくてよいと思う。中国のエンタメが中国礼賛ばかりしていると思ったら大間違いだ。

 本国では歴史的な事実と描写が違うという抗議があったそうだ。炎上というほどでもないし、プロットの流れとしてそうしただけであり、歴史修正と言われるほどのものでもない。創作の範囲がどこまでか製作者が明かした上で、そこから逸脱するのは歴史フィクションでは定番の技法だ。本作は悪質な歴史修正はしていない。それだけ中国の観客が真面目というだけのことである。

圧倒的な技術力、流れるような美しさ

 3Dアニメーションの技術でいえば、中国は世界の頂点に立っている。そう確信できた。水や髪の毛の細やかな質感。武侠の軽功そのものの軽妙な動きなどなど、圧倒的な技術力だ。
 さらに考証も優れている。唐代文物が動き出したような造型はともかく美しい。筆のタッチや繊細な色合いは紛れもなく東洋の美しさだ。登場人物の顔立ちや体格が自然なモンゴロイドであることがこんなにも素晴らしいのかと思わされる。ディズニーはじめ西洋のアニメでは誇張ありきに思えるし、日本のアニメもコーカソイド的な容貌を美とする基準か、デフォルメに傾きすぎていると思える。そういったひっかかりがなく、流れる水のようにスッと入り込める美麗な世界である。
 音楽も素晴らしい。詩にあわせ、伝統楽器の音色が抒情的に盛り上げてくる。サウンドトラックは各種音楽配信サービスで聞くことができるので、ぜひとも耳にして欲しい。

老いとは悲哀だけではない

 この作品には、ディズニーにはない東洋思想が貫かれていると思えた。老いてゆく主人公たちの描き方が素晴らしい。李白は青年時代の光り輝くような美貌は抑えられてゆく。それでも魂そのものが輝いていることを高適は理解していると思える。この作品には主人公二人が相撲を取る場面が二箇所ある。青年時代の引き締まった肉体に対し、中年ともなると、飲酒がたたった李白の肉体は衰えている。腕は細くなっているのに、下腹部はだらしなく肉がついている。こんなに生々しい老いを描くということに驚きを覚えた。李白は老いとともに判断力も低下する。奔放さと天才的な詩才は健在だけれども、国のために使命感を抱いていた高適からは遠くへだたってしまう。安史の乱で乱れた唐の衰退と、主役二人の老いが重なり、見ているうちに、それこそ詩を読んでいるような哀愁を噛み締めることになる。

 では、老いとは悲しいだけのものなのか? というと、そうではない大逆転が本作の持ち味だ。肉体は老いても、魂の中にはあの熱い輝きがある。それを見せつけるラストのカタルシスは、中国でなければできない展開だと思えた。同じ東洋でも、日本は悲哀のうちに滅びることを美化することが多いものであるし。

失った何かが、この傑作にはある

 日本のアニメが失ったものの見つけられた気がした。 
 この作品は教育的に効果がある。子どもも見られるように、過激な流血や暴力シーンはない。こういえば、とてつもなくお堅くつまらないものに思えるかもしれないが、それはただの偏見だ。
 日本のアニメ表現から高潔さや教育的配慮は抜けていったと思える。でも代わりにあるのは何だろう? 内輪受けするようなシュールさや、ギャグ。ソフトポルノのような手癖だろうか? しかし本作鑑賞後改めて思う。そうした要素はおもしろさの本質とどれほど関わっているだろうか?

 海外の映像作品は、残酷さが見どころとされることもある。ポリコレを踏み躙ることこそ正義と言わんばかりの意見もある。しかし、それとておもしろさの本質とどれほど関わっているのか。
 この作品では、滅びに瀕した長安の姿は詩的に静かな表現で描かれる。死体はない。血も流れていない。燃え盛る楼閣の上で舞い踊る美女が幻のように見えてくる。彼女は舞い終えたあと、あの高さから墜落してきっと死ぬ。助かるとは思えない。大通りを火のついた衣装を身に纏った象が苦しげな声をあげながらヨタヨタと歩いてゆく。十分残酷で、乱世の惨さが伝わってくる。衝撃的な場面だ。しかし、決して過激でなく抑制的だ。ルールを守った中で、この作品は印象的な場面をいくつも描いてゆく。ルールとは手足を縛るものではなく、むしろ表現を豊かにするのではないか。そう思わされる魅力的な場面がいくつもある。その芳醇さを噛み締めていると、野放図に好き放題することで、かえって失うものもあるのではないかと思わされた。

 つらつらと書き連ねてきたが、ともかく見ていただきたい。こんなにも夢のような時間があるのかと、私は身終えたあと、頭の中でいくつも火花が散ってゆくような思いに酔いしれてしまった。これは傑作だ。絶対に見るべき素晴らしい作品である。

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