『三国志』を新解釈すればよいものが作れるのか? 日中作品で考える
『新解釈・三国志』が話題です。
◆大泉洋とムロツヨシで大胆アレンジ!『新解釈・三國志』は予習なしでも安心して爆笑できる壮大な歴史ロマン | BANGER!!! https://www.banger.jp/movie/49218/
なんか爆笑できるそうです。いいからお前の見解を書けとな?
では、日本の本作から考えてみましょう。
◆『新解釈・三国志』(日本)
2020年末、映画『新解釈・三国志』が公開されました。そんな話題の新作のどこが新解釈なのか? ちょっと突っ込んでみましょう。
そう言いたいところですが、いわゆる「福田組」のノリのようです。ははぁ、そういうノリか……斬新! そうでもありません。
昭和を代表するコントグループであるザ・ドリフターズは、『忠臣蔵』のような伝統劇をコメディ調で演じて笑いをとっていました。それよりも前から、喜劇役者や一座が、歌舞伎の演目をコメディ仕立てにすることはむしろ伝統です。要するに古典文学題材のパロディですな。見る側がその演じる側のギャグセンスと、元ネタの両方を知っているからこそ成立するコメディの古典的な一様式です。
この作品に対して「あの壮大な時代劇をコメディ調にするなんて、こんな斬新なことはない!」という評価もありますが、先祖帰りですな。
ただ、福田組についてはさておき、題材として『三国志』というのは正直なところ、どうなのかと言いたいところではある。というのも、中国語圏香港の喜劇王・周星馳(チャウ・シンチー)はじめ、パワーのある作り手が揃っているのです。
いっそ『忠臣蔵』でもよかったのかな? そう思わなくもありません。公開時期が年末ですし、あの作品のお笑い実写化枠がハリウッドの『47 RONIN』どまりでは、物足りないじゃないですか。
結論:見ていません。見たくもありません。
◆『三国志〜趙雲伝〜』(中国)
『新解釈・三国志』は、諸々の都合でちんまりとした予算とキャストであるとのこと。中国はその点強い! 『三国志〜趙雲伝〜』は40億円をかけ、韓流スターである少女時代・ユナもヒロイン役として出演する大作です。
迫力あふれるアクション! そして主役はあの趙雲……傑作まちがいなし!
それではここで、Wikipediaを参照しつつサブタイトルを見てみましょう。
第1話「倚天剣(いてんけん)と青釭剣(せいこうけん)」
伝説の剣……?
第4話「虎牙山の山賊」
第12話「山賊の宿」
第19話「山賊襲来」
山賊、流石にしつこすぎませんか?
第25話「美女連環の計」
趙雲と呂布と貂蟬って、そんなに関係ありましたっけ?
第34話「夏侯傑(かこうけつ)の目論見」
第36話「夏侯傑(かこうけつ)を殺せし者」
夏侯傑って誰だっけ?
第37話「水鏡(すいきょう)先生」
第38話「関羽(かんう)の忠義」
第39話「劉備(りゅうび)に仕える」
第40話「三顧の礼」
第41話「拾妹(しゅうまい)との別れ」
第42話「長坂坡(ちょうはんは)の戦い」
第46話「草船借箭(そうせんしゃくせん)」
第47話「赤壁(せきへき)の戦い」
第48話「軍師が託した袋」
第49話「甘露(かんろ)寺での宴」
第50話「歓迎されぬ客」
第51話「劉(りゅう)家と孫(そん)家の婚儀」
第52話「呉(ご)からの脱出」
第53話「周瑜(しゅうゆ)の死」
第54話「荊(けい)州を治める」
第55話「落鳳坡(らくほうは)の悲劇」
第56話「馬超(ばちょう)との決闘」
このへんはまあ、それぽいような。なんかよくわからない展開がありそうだけど。
第57話「親孝行な娘」
第58話「子龍(しりゅう) 花婿になる」
第59話「虎威(こい)将軍 趙雲(ちょううん)」
最終回直前になって盛り上げるところが「花婿になる」?
相関図を見ても、なんだかよくわからない人物が多い。キャストを見ても、不穏さが湧いてきます。
そこで、鑑賞済みの方の感想等をちょっと聞いてみました。
「なんかこれ、武侠ドラマみたいなサブタイトルなのですが……」
「中身もそのまんまやで」
「なっ……こんな『無双』の山賊ステージじみた展開が続いてよいのでしょうか!」
「続くわけやな。ラスボスもオリキャラ。ゲームのエディット武将みたいなやつと戦っとる」
「はぁ、この夏侯傑とかそのへんと戦って……いやそれゲームじゃないですか! 中国でも『無双』は人気だし、そのノリのままやってみたのか。いやいやいかんでしょ」
「まあ、キャストやアクションは豪華やで」
「グラフィックやサントラがいいだけのクソゲーみたいな誉め方だな……そもそもこれは趙雲である意味があるんでしょうか?」
「そもそも『三国志』である意味がない。いろいろがんばっとるけど、根底に『三国志』への愛や関心がないわけやね」
「な、何かわかった気がする!」
結論:見なくてよいとわかりました。
考証よりも大事なものはある、それは愛
確かに歴史ものは、史実通りにしなければならないとも言い切れません。オリジナルキャラクターを出してもよい。歴史書に名を残していない人物視点でもいい。最新研究や説を必ずしも反映させなくてもよい。時系列だってある程度いじってもよいのです。
ただし、その時代のことが好きであるかどうか。やる気があるかどうか。ここは絶対に大事だと思えるのです。中日どちらの『三国志』ものからも、題材への敬愛を感じない。
「武神」と原題に入れておきながら、何をどうすれば、お面をかぶって山賊と戦ってばかりいる趙雲にしようと思えるのか?
“新解釈”とは、「中途半端な外人顔」と人種差別をして笑い転げることなのか?
◆ 【HBO!】映画『新解釈・三國志』の“容姿いじり”はなぜ生まれたのか https://hbol.jp/235416
要するに、売れるからとテキトーに歴史をおもちゃにして遊ぶような作品は、見る価値がないということです。
単純なことですね。
これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。
好きで好きでしょうがない題材を、新解釈する! そうなれば作り手も勉強するでしょうし、知識をインプットしてそれを元に何かしようと思うことでしょう。そういうこともせずに「なんかこれなら数字取れそう」と手抜き仕事をしている気配があったら、見なくて良いということです。
私は日中手抜き三国志はどちらも見ません。だって、他にするべきことはたくさんありますから!