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『銀河英雄伝説』を若い世代に読ませるにはどうしたらよいのか?

 先日、「#何か見た」という犬笛ハッシュタグで私のnoteを読んだ上で不快だと示すツイートが流れてきました。なんで知っているかというと、元私の相互フォロワーさんがRTしたからです。元というのは、ブロックをされたからですね。

 要するに、私は『銀河英雄伝説』を読んでもいないくせに、その作品読者が英雄史観に浸かっていると決めつけるなという趣旨のこと。

 いや、『孫子』なんかでもあるのですが、実際に戦場に突入しないと軍勢のことわからないようじゃ、よろしくありませんよね。

 『銀英伝』はどうか知りませんけど、歴史ものでは武将なり大名が情報を確認してこういうことを言い出すじゃないですか。
「敵は油断しきっておる! ここは攻め時ぞ!」
 こういう時、突っ込みます?
「でもこのとき武田信玄は実際に北条勢見てませんよね? それで何がわかるっていうんでしょうか?」
 統計学でも何でもよいのですが。例えば選挙だって全部数えなくても、勝敗はわかるじゃないですか。動きを察知して組み立てれば、だいたいの傾向は察知できる。
 『孫子』はじめ兵法書はそのコツを書いています。【アブダクション】(仮説形成)という言葉でも定義できます。シャーロック・ホームズはどうしてワトソンのことをアフガニスタン帰りの医者だと見抜けたのか? そういうことはできます。
 むろん、私は武田信玄でも孫子でもホームズでもありませんけど、思考回路の使い方を覚えれば結構できる。ついでに言いますと、ASDは先天性でこれができる率が高いじゃないかと思います。
 これはもう、人間の本能の一種。ごく少数、集団内に「あの雲の動きだと雨が降るぞ」と見抜けるやつがいると生存率があがるからさ。そういうことだと思うんですけどね。

なぜ私は『銀英伝』を読まなかったのか?

 と、心理学の話をしても仕方ないので、話を前に進めましょう。

 なぜ、私は『銀英伝』を避けたのか?

 これは我ながら長年の謎だった。
 というのも、恩師はじめ複数名から勧められたし、友人も読んでいたから。それなのになぜ避けたのか? 忘れていた疑念を探ることにしました。
 そしていろいろ思い出してみたのですが……。

・作者は本当にこのシリーズを書きたいのか?

 田中芳樹氏の中国史ものは読んでいました。そのうえで、彼が本当に書きたい分野は中国史ものだろうという感触を得ていました。とはいえ、そこはプロ。本意でないものも書く必要があるのだろうと。コナン・ドイルのホームズもののような例もありますから、これはただの邪推かつ懸念です。

・定番過ぎた

 根っからのひねくれ者なので、読んでいればそれだけでアピールになるようなものはむしろ避ける。あの、『銀英伝』を読んでいればある種の上級者!……という雰囲気が苦手でした。親は司馬遼太郎でそうして、子は『銀英伝』でそうしているといいますか。
 ちなみに司馬遼太郎も苦手です。駅のベンチで読んでいたら、「司馬遼太郎を読むなんてえらいね!」と見知らぬ紳士に褒められたあたりから、どんどん不信感が募った。
 なまじ国民的文学になるものは、何か罠があるんじゃないかと思ってしまう。とかなんとか言う割に、金庸は好きですけどね。あれは中国語文化圏の方と話すうえで、とっかかりとして便利です。それ以上におもしろい。

・海外のSFと比較して士官の男女比率が歪んでいる

 これが最大の懸念です。

 海外SFの宇宙艦隊ものはなかなか好きで、読んでいました。それと比較すると、どうしたって男女比がおかしいことに気づいてしまう。何かこう、ひっかかりを感じました。
 ファンは否定するだろう。なかなか認めようともしないだろうし、海外SFを読んでいるとも限らない。
 が……何か歪んでいる。

 これが確信に変わったのは、この騒動でした。

『銀河英雄伝説』のジェンダー周りの描写に違和感を表明した社会学者が炎上したが、実は原作者も同意見だったことが判明 - Togetter https://togetter.com/li/1591553 @togetter_jpより

 作者に罪はなくとも、ファンダムはもう手遅れかもしれぬ。読んで感想を言い合って、士官の男女比について言おうものならどうなることやら。この一連の流れを読んで、ジェンダーの話題なぞできそうになかったし、結果的に読んでいたら不幸まっしぐらだったと察知し、我ながら危機回避能力がまあまあるものだと感心しましたね。

 ちなみに『進撃の巨人』も、兵士は男女比が適切なようで、政権中枢や士官になると男女比がちょっと歪んでいるという指摘はありますね。ヒストリア政権ではこれがある程度解消するし、ファンダムでも「そこは改善点だ」と議論にはなるので、風通しははるかによい。

 海外ではフェミニズム批評、ジェンダー批評は根付いています。ここを疎かにすると厳しい。『銀英伝』の海外ファンダムは知りませんが、規模はさして大きくないのではないかと思います。というのも、海外ファンダムの規模と、ジェンダー配慮は比例する傾向にある。

 発表年代あたりを踏まえると仕方ないとは思う……と言いたいのですが、それを踏まえても私が懸念を感じ、真っ直ぐ海外SFに行ってしまったことを踏まえますと、複雑な思いはあります。

 ただ、田中氏がジェンダーに疎いとは思わない。むしろ逆でしょう。あれほど中国史と中国文学に造詣が深い彼が女侠の伝統を知らないわけがない。やはり何らかの不幸な阻害があったのではないかと思ってしまう。

 だとすれば、ますます不幸な話ってことですよ!

『銀英伝』を今の若い世代に勧めるにはどうすればよいのか?

 こういうツイートは流れてくる。が、正直厳しいと言わざるを得ない。私ですら、ジェンダー面で厳しいと感じた。今の『アナと雪の女王』に感動し、『ゲーム・オブ・スローンズ』をみて、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んでいる世代が『銀英伝』にはまれるかどうか。ジェンダーで転ぶ確率は高いとみた。

 それでも勧めたら読んでくれた! となったら、権力勾配を考えてください。あなたが上司で、読ませるのは部下。そうなったら断れませんよ? それこそ司馬遼太郎がビジネスマン愛読書になったのと同じ構図になる。それをお望みなのでしょうか?

 じゃあどうすればよいか?

 弁明でなくて、証明が大事です。先ほどのTogetterにせよ、犬笛鳴らしツイートにせよ、私は証明がかくも容易いことに驚いたのですよ。性差別してフェミガーと言い張ってこそルールって証明されてないですか? くだんの界隈が呉座氏騒動で北村紗衣氏(フェミニズム批評といえばこの方!)をネチネチ叩いているのを見かけましたよ。

 ファンダムがおかしいとか、何か作中によろしくない描写があれば、公式が改善を促すことが最適解だと思います。金庸作品は差別的ではないかという指摘があり、改訂をしていると佐藤信弥氏『戦争の古代中国史』にも書かれておりまして。
 海外ではファンダムが差別的に盛り上がると、そこを嗜めることもままある。J・K・ローリングがTERFではないかとなったら、ファンダム側が筆者に物申す姿勢をとった。こういう諫言しあう場こそ健全な空気を生むわけ。それを「フェミガー!」「ファン様を傷つけるなー!」と吹き上がっていたら、王朝末期的と言わざるを得ません。明だったら、気分はもう天啓年間ですね。

 とはいえ、『銀英伝』なんてそれこそ定期的にメディアに乗っかるんでしょう? そのたびに変更していけばよいのです。私が好きだった海外の宇宙戦艦ものとして、ドラマ『GALACTICA/ギャラクティカ』があります。これはリメイク作品です。リメイクに際し、腕利きパイロットを女性にするなど、ジェンダー面での調整を入れています。
 そういうことすれば解決ってことです。でも、あのまとめにあるように、それをすると反発するファンダムがあり、かつその顔色を窺うようでは、未来はないでしょうね。

 作品そのものの未来を選ぶか、それともファンダムに漂う「フェミガー」を選ぶか?
 「私の好きな作品がまちがっているはずがない!」というファン同士の空気を選ぶか? 
 おのおのがた、心して決めぇい! と、『柳生一族の陰謀』の真似でもして言ってみましょうか。

 以下は猛毒警報なので、読むと気分が悪化するだけなので、投げ銭制度で書きます。

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