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森博嗣、スカイ・クロラシリーズ考察(6)現実と真実

現実とは何か。
真実とは誰にとって真実か。

クサナギに起きた現実とカンナミに起きた現実は違う。
フーコに起きた現実とササクラに起きた現実も異なる。

見えているもの、感じているもの。
しゃべっていること、聞いていること。

僕にとって事実と君にとっての事実は同じではない。
見聞きしたことが真実か。
書いてあることは正しいのか。
それは誰がどういう基準で決めるのだろう。

あの飛行機に乗っているのは僕。
昨日帰還して、
一年前に海に落ちて、
一昨日出撃した。


……突然ポエムな感じで始めてみたが、これがクサナギ/カンナミが生きている世界であると僕は思う。

キルドレの性質で述べたが、キルドレは時間と記憶の認識がとてもあいまいだ。また「夢で見たことで、過去にあった現実を改ざんする」という特性も持っている。このことから導かれるのは「書かれていること全てが真実とは限らない」ということである。つまり「小説の中で描かれていることが、実際に起きたかどうかは不確か」なのだ。

ここを読み間違えなければ、クロラ・シリーズの全体像が見えてくる。

一見つじつまが合わないような箇所も、この考えをベースにしていれば作者が意図してそう書いたのだと推測できる。

例えば『クレィドゥ・ザ・スカイ』のエピソード1の”僕”は”クサナギ”だと考えているが、「夢で見たことで、過去にあった現実を改ざんする」の典型である。電話ボックスの中にいた“僕”を“クサナギ”が射殺した情景が、”僕“の夢の中で描かれている。ここでの”僕“は”クリタ“だというミスリードだ。

実際には、クリタは商店のような場所の奥で、ミズキを連れたクサナギに射殺された。これは『スカイ・イクリプス/ドール・グロリィー』にて、ミズキによって語られている。

クサナギがフーコを頼り逃走した記憶とクサナギがクリタを殺した記憶、そしてどこからか聞いたクリタの逃走の様子(記憶)が混ざり、それをクサナギが夢で見ることによって現実を改ざんしているのだ。

繰り返しになるが、大切なのは、
・小説の中で書かれていること全てが真実とは限らない。
・小説の中で描かれていることが、実際に起きたかどうかは不確かである。

この点を踏まえることだ。

この小説は、ミステリー小説の側面も持つ。
作者はあえてミスリードを誘い、一見つじつまが合わないよう意図して書いている。そこへ心地よく乗りながら全体を見渡せば、おのずと核が見えてくる。「木を見て森を見ず」と言うが、「森を見て木をあえて見ない」戦法で本シリーズは読み解けると僕は考える。