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遺品整理をはじめる(3) 郡司ぺギオ幸夫の天然表現を実践する
折り紙作品を作るのが昔から趣味で、実家には昔作ったものがいくつかとってありました。写真は、大学生の頃に作ったものです。衣装ケースに入ったものがたくさん出てきたのでで窓辺に並べてみました。
並べるといえば、郡司ぺギオ幸夫の「天然知能(講談社選書メチエ 2019)」の実践として書かれた本「創造性はどこからやってくるのか(ちくま新書 2023)」です。ここでは、誰もすまなくなった郡司の実家でのできごとが描かれています。郡司が提唱している天然知能の実践として、郡司は、コケシやシャツ、水に濡らして乾かしたダンボールなどを並べます。その行為を「天然表現」と呼びます。文脈から逸脱する行為として、その過程を物の意味の「脱色」と呼んでいたかと思います。
実家の寝室を整理する前に私は、意味を脱色したいと感じ、同じように何かを実践することにしました。そこで、昔から慣れ親しんでいた折り紙を使うことにしました。寝室に何となく漂っている昔の名残のようなものを昇華したい、というような思いだったと思います。なんだかものを動かすことを憚られるように感じられていました。
実家に片付けに行く前に、あらかじめ、組み立てると多面体となるような折り紙のパーツを製作しておきます。それを組み立てたものが下の2枚の写真です。1枚が50cm×50cm程度の大きさの包装紙を用いています。具体的に何を作るかは決めずに、予め六十枚ほどの同じ形のパーツを製作しました。くす玉と呼ばれるようなもので、組み方によって、六面体にも、二十四面体にも、六十面体にもなります。
実際に作ったものは、30cmほどの三角錐が2つくっついた形の六面体が6つ(上の写真・3枚組)と、直径1mほどの正二十面体の各面に三角錐がくっついた形の六十面体(下の写真・30枚組)が1つです。
これくらいの大きさになると、大きい方のくす玉は自重で歪みます。寝室の天井にはビニール紐が何本か張られていました。そこにはカーテンのように薄くて軽い布がかかっていました。ここに作った折り紙を垂らしています。何も悪いことではない(はず)ですが、なんだか後ろめたいことをしているような感覚も(少し)あります。
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これを寝室に一月ほど置いたままにした後、寝室の衣類の片付けを始めました。
今回、同居していた祖父母、離婚していた父、母と3回目の実家の遺品整理になりますが、最初に天然表現の実践を行ったことで、はじめて地に足をついた形で片付けを進めていると感じられています。