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忘れてはいけない日のこと③

【阪神淡路大震災後の報道】
震災後、当時の報道はしばらくの間はこの災害についての内容が多くありました。特に関西では、確か数日は通常のCM(公共広告機構(AC)を除く)が一切入らずTVで地震の報道一色だったと記憶しています。
時間が経つに連れて増える死者数とけが人、避難所の様子、火災以外の新たな被害の様子(新幹線の高架崩落、阪神間~神戸の酒蔵崩壊、そごうや大丸の半壊、地すべりによる死者、神戸港の損壊、道路の陥没、埋め立て地の液状化現象)、鉄道交通網の遮断など...

少し後に、前回の②でも書いていますが、現在問題になっている震災復興住宅を含む復興計画への取り組みや、報道のあり方についての議論を呼びました。特に報道のあり方については、

報道のヘリコプター音が集中。これで声を上げても見過ごされ、もしかしたら助けることができた人がいたのでは?と問題に。
・真冬の災害だったため一部報道リポーターの服装(おそらくコート)や被災者への配慮が足りない聞き方等について、苦情があったこと。
・後に阪神淡路大震災は激甚災害の指定が行われますが、その際の家屋の状態判定(全壊、半壊等)。

特に報道のヘリコプター音については、報道を優先するあまり何度も往復して被災地を旋回するため、現在でも同じことが言えるのではないかと思います。他に、この震災の名称を「阪神大震災」と表した場合、淡路島が何で入っていないんだと抗議が入ったこともあったようです。(ただし、現在使われている「阪神淡路大震災」の名称も、被害のあった豊中市(大阪)や、神戸市の西側に位置する明石市等は外れている印象を与える可能性あり)

震災直後から続いていた余震は、日が経つにつれて規模も小さくなり回数も徐々に減っていきました。
報道については、2ヶ月ほど経った3月下旬に異変が起きます。
覚えている人もいるでしょう。東京で「地下鉄サリン事件」が起きます。今度は一斉にこの報道に切り替わったため、関西以外で震災関係の全国報道はすっかり減ってしまった印象があります。地下鉄サリン事件も重大な事件でしたので。こうした意味で、1995年は本当に災害や事件の年だったと今でも思います。

【阪神淡路大震災が残したもの】
多数の死者や様々な被害をもたらしたこの震災ですが、以下のような課題や出来事等があります。

・初動対応の遅れ(自衛隊のあり方が問われる。米軍援助要請を謎の拒否
ボランティア活動の役割と認識が広がる。(NPO法人とも関連。これ以降、災害が起きた際に大きく報道されるように)
・神戸が本拠地(当時)のオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)優勝(オリックスになって初。11年ぶりのパ・リーグ優勝。翌年日本一に)
・復興活動のがれき撤去や建物解体時にアスベスト被害(後に判明)。現在進行形の問題。
・震災の教訓と風化を防ぐための継承(震災後に生まれた人や転入してきた人が多くなったため)
・神戸市の人口問題(復興と区画整理が進むにつれて市全体の人口は震災前より多くなったものの、減少したまま戻らない区が多い)
※ 特に火災の被害が大きかった長田区で再建された商店街が震災前よりも寂れる。
・震度の改定(震度5と6にそれぞれ強・弱、新たに7が追加。後に震度7最初の適用に)とマグニチュード測定方法の修正(後にM7.2→M7.3)。
関連して震度計と観測地点の大幅な追加。
・毎年12月に神戸ルミナリエ、1月17日には追悼式典が各地で行なわれるように。ただし、神戸ルミナリエについては継続の是非が問われています。

※ 当時はインターネット普及前でパソコン通信の時代。ガラケー(フィーチャーフォン)とポケベルが主。
※ 多数のスポーツ選手、芸能人、著名人(後になった人も含む)も震災に遭遇。
※ この年から財団法人日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」開始。95年は「」。
※ なお18年後の2013年4月13日に淡路島近くを震源とした震度6弱の地震が発生。負傷者が出たものの死者は0。
※ 写真は震災遺構(西宮市)。

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