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サッカーが教えてくれるもの


サッカーは平等
サッカーはボール一つあれば、どんな人とでも仲良くなることができる。
これは小さい時から教えてもらった事だった。

カンボジアに来て、プロサッカー選手の方とボールを蹴れる機会をいただき、改めてサッカーの本質の部分を経験した。

プロサッカー選手と僕が一つのチームとしてサッカーをやる時、どんな経歴があったかとか年齢とか全く関係ない。
サッカーはフィールドに立てば、全てがフェアになる。

同じフィールドに立ったら一人のプレイヤーとなる。
そしてそのプレイヤーが集い、一つのチームになる。

どんなに強いプレイヤーを集めて戦っても素人に負ける時だってある。

言葉の通じない相手を集めて戦っても勝てる時がある。

何が需要か。

肩書きや立場をピッチの外に置いて、全てを無にしてプレイヤーとして集い、ワンチームになること。

フィールドでの会話はパスが語る。

パス一つにもいろいろな意図がある。
シュートを打てと出すパス。

ダイレクトで繋げというパス。

一旦落ち着けというパス。

足だけじゃなく頭を使って五感で感じなければ、相手の伝えたい思いを理解してプレーすることはできない。

シュートが決まった時の喜び。
ディフェンスで防いだ時の喜び。

どの瞬間の前にも苦しい時間が存在する。
その瞬間を乗り越える事ができた時、通じ合えた証を、感じる事ができる。

言葉はいらない。
必要なのはリスペクトと楽しむこと。

相手がいるからサッカーができる。
フィールドには『勝つ』という熱い闘志もあれば、常に誰かを想う、思いやりの気持ちで溢れている。
僕が今回サッカーを共にした人たちは
ピッチの外でも常に人を気遣い、想いやりの気持ちが溢れる人達だった。
周りの人へのリスペクトを忘れては行けない。



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