波乗れない
人と話すのは大縄跳びに似ている。
お察しではあるけど、昔から大縄跳びが苦手だった。
そもそも運動とか集団競技はあらかた苦手だし、
出来ないながらも皆で回数こなしてる時に引っかかって憎まれるようなやらかしはしていないんだけど、
どうしてもあの回る縄に飛び込まなくてはならない時の緊張、タイミングを図ることと、臆してしまってなかなか入り込めない時の申し訳なさ、
それらの感情が他者との交流に詰まっている。
多分そこまでの緊張はしなくてもいいことで、
そこまで考える必要がないことは分かるんだけど、
なんと言われても拭えない恐怖心がある。
今日もなんだかタイミングを間違えてしまった。
あきらめているので上手く飛べないことにはもういいんだけど、
言わば縄を回してくれている相手からこいつはやりづらいな、とか
自分の回し方がおかしかったかな、とかの余計な感情を抱かせたくない。
いい大人の日常を小学生の時のなんとなく嫌だった思い出に重ねるのも嫌だ。
早く卒業したい。縄跳びなんか飛びたくない。
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