人生に熱狂が足りないと感じる。 大好きな作品にハマりきって8年経つ。 最初はいくつかある中の好きな作品のひとつだったけど、今やその作品が好きというだけでオタクをやってる部分がある。 それ以外において、ただ作品として漫画やアニメを楽しむことはあれども、熱狂することがなくなってしまった。 わたしは夢女族の人間なので、推しが出来ると恋がイコールになることが多く、恋になると作品へのキャラへの熱狂が高まるというそれがほとんどだった。 近年、作品を嗜んでいて純粋に楽しむことはあれども
人と話すのは大縄跳びに似ている。 お察しではあるけど、昔から大縄跳びが苦手だった。 そもそも運動とか集団競技はあらかた苦手だし、 出来ないながらも皆で回数こなしてる時に引っかかって憎まれるようなやらかしはしていないんだけど、 どうしてもあの回る縄に飛び込まなくてはならない時の緊張、タイミングを図ることと、臆してしまってなかなか入り込めない時の申し訳なさ、 それらの感情が他者との交流に詰まっている。 多分そこまでの緊張はしなくてもいいことで、 そこまで考える必要がないことは
ここ最近は完全にお参りのオタクみたいになってしまって隙あらば南無ってるけど 実際のところ、神社でのなすべきことや方向性やら各所での正解がなにひとつも分からない。 知っているのは、一般的な参拝の方法としての2礼・2拍手・1礼くらいで。 お賽銭の金額によっては語呂合わせで悪い意味になっちゃいます!みたいな近頃の悪質マナー講師みたいな人の唱える新説、 信じたくないのに心の問題だからダメっぽいと言われると気にしてしまって嫌だなあ〜〜と思っていたけど、 ある神社が「金額による悪いこ
嘘をついてた話。 もう数年前のこと。東京駅のトイレで傘をなくした。買ったばかりだったし気に入っていた。 問い合わせしたし直接も伺ったけどなかった。悲しかった。 爆速で同じ傘を新調した。 その時に一緒にいた人には「傘、あったよ」とだけ言った。 よくあったね、よかったねえ、なんて話になった。 話している時にはすでに私の中でも、もう落とした傘が見つかっただけの話になっていた。 新しい傘の代金は確かに財布から消えたけど、不注意でなくしてしまった悲しい記憶は無事に飛ばせたのだ。
風呂はいい! 刺青入れたさの唯一の躊躇い、気軽に銭湯に行けなくなることだな~と 入浴禁止者の注意に関する札を見ながら暖簾をくぐる。 都心の銭湯だと 構わん!やれやれ!なところも多くていいよね。 炭酸泉の風呂に入ってると、肌にふつふつ泡がついてきて そのまま動かずに手足を眺めてると、気が付いたら半魚人みたいな肌になってる。 大人なのでなんとかしているけど、それなりにインターネット依存が激しいので 何もせずに思考を宙に浮かせながら人間をやめゆく手足を見つめるって機会は スマ
ずっとラブホテルに夢と憧れを抱いていた。しかし如何せん用がないのだ。 ラブホテルラバーの方の写真やブログ記事を見ては現存数が減っていることへの危機感を感じていた最中、 回転ベッドのホテルに行った知人より、その部屋も今月いっぱいまでらしいという話を聞いてこれは行かねばと思った。 バンドとか解散した後に悔いてももう機会はないし、ある時に行かなきゃ行けないんだよ。 オタクの心はこういう時にクソデカ声で煽ってくる。用がなければ絶対なんてこともない、ウラタロスも「用がなくても会いたい
前に仲の良い友人が言っていたこと。 ひとつ上世代の仲良くしてくれていたお姉さん方が、結婚したり 仕事が乗ってきたり など色々な事情が出来てしまって 終電まで遊んだり、お泊まりをしたりどころか、みんなで集まれるのさえ結婚式とかそういうイベントだけになってしまった、と。 我が友人らはゴリッゴリのオタクで、趣味嗜好を最優先する者たちで集まっていたから既婚率はそこまで高くはなく、 絶対家庭は持たない・男と結婚しない と言ってる子もいるけど、 あらかたの友人らは社会性に溢れて家庭的で
自己肯定と並んで自分を大切にすることの重要さに焦点があてられることがあるけども。 自分のことは嫌いではなく好き寄りだとは認識してるけど 好きと大切にするがイコールにはなれずに大切にできていないと思う。 お金をかければかけるほど大切になる説は自分にも言えることだとすれば、自分に金をかけていけばいいのか。 明確な自信につながる金かけポイントとしてはやはり整形と矯正で、 そして考えるほどに容姿だの服だのに使うことは想定しても一向に内面をどうこうしようという発想にはならなくて驚いた
「仕方なく頑張ってなんとか生きてる」わけではなくて 「根性が足りず 一歩が踏み出せずに死ねない」 のが残念ながら私の気持ちなわけで、 一刻も早く死にたい気持ちに本当に嘘はないけど、動けない。 あなたはなんだかんだ死なないタイプだよね、と言われて、おそらくこの先もその通りなんだよなと思った。 だから申し訳ないんだけど、死ねよと言われたところでも死ねない。 勢いで動ける時か、運命的な外的要因かのいつかを待ってる。 と、思考はいつでも死サイドに回ってたけど いつもあるあの明確な理
レンタルしてきたCDをカセットテープのA面とB面で録音して、親の運転する車で流していたようなくらいの世代の人間なのですが 記録媒体がどんどん変わっていったために若い方々にはカセットテープの話が伝わらず 『巻き戻し』という言葉の『巻く』の意味が分からないそうですね。 カバー曲のコンピューターおばあちゃんを聴いている。 おそらく作られた当時には『僕のおばあちゃんは明治生まれ』と言われても へぇ!明治!随分長生きなんですねえ!というような なかなかご長寿なおばあちゃん程度の認識だ
を死にたいと思いながら過ごしておりますと常々申しておりますが 片隅にやったままなんとなくぼんやりとした不安のままで過ごしていたところから一転し、 近頃はクソデカレインボーフォントで左右に揺れ動きながら主張してくるような部分がありまして そんな田舎の夜道に突如現れた歓楽街のネオンみてえな気持ちで頭の大部分を派手に占拠されているためにもうだめでだめで仕方ないです 弱い人間で申し訳ない 強めの人から言わせると毎日クソデカ感情で死にたいのは病気だとのことでしたが 結局病気だろうがそ
こんにちは!みなさんが働いてる中でわたしは1週間の休職中です! 三連休が台風だったこともあり、連休から今にかけては1回出社しただけであと川の様子見に行って郵便局行っただけしか外に出てない。準ひきこもりだ。 今週2回しか会社行けてねえわガハハとしてた頃とド短期休暇の一体なにが違うのかということですが、 毎日起きてから会社に行けるだろうかとメンタル判定をして上司に連絡を入れる…というステップを踏まずに 翌日のことを何も考えずに過ごせるということがめちゃくちゃに楽。 ここしばらく
「こんなん話して何になるんじゃ」って思ってしなかった話を積極的にするようになった。 めちゃくちゃ仲良い人にだけしてた「ゴリラのドラミングって手はパーだっけ?グーと見せかけてパーだった気がするんだけどそれもフェイントでグーな気がする」みたいな方向のそれ。 これまでは話に意義を求めてしなかったけど、わりと人から友達の友達の話を聞いたりするの楽しいし、 好感度の高い友人に対しては自分が自分に思うほど「くそどうでもいいから壁にでも話しててほしい」と思うことはないことに気が付いたので。
結婚(概念)してるから左手の薬指に指輪をつけている。 これをしているとろくでもない男が寄ってきにくくなり 見る度に友人らが盛り上げてくれた最高の式を思い出して心が暖かくなり 私は生きててもいい人間かなあと肯定される そんな素敵アイテムなのですが 近頃の限界を極めた出社スタイルや殺意に満ち満ちた日々で 手元を見る度に こんなんでお嫁さんをやっている……と思い 居ても立ってもいられなくなり そっと指輪をポケットにしまうのでした 早く人間に戻りたい