「この公演が人生の何かになってくれればいいなと思う。」ゴツプロ!×演劇部インタビュー企画第三弾!【泉知束】
皆さんこんにちは!ゴツプロ!演劇部です!
投稿をご覧いただき誠にありがとうございます!
※ゴツプロ!演劇部とは、本多劇場や海外にて多数公演を行っている劇団のゴツプロ!が2021年5月に創設。オーディションで選ばれた若手11名で構成されている。11名を束ねているのがゴツプロ!メンバーで部長の浜谷康幸。
インタビュー企画第三弾!では、
ゴツプロ!の泉知束(いずみともちか)さんと
演劇部部員の九條愛美(くじょうまなみ)でお届けします!
今回は、以下の内容でお届けいたします!!
・演劇部を作るきっかけ
・ゴツプロ演劇部の脚本・演出について
・コロナ渦での演劇
・演劇部のメンバーに伝えたいこと
・部員からの質問BOX
・「ゴツプロ!」にいて面白いなと感じるところ
・「ゴツプロ!」として、目指すところ
・泉知束として目指すこと
ーインタビュー企画の第三弾!といたしまして、ゴツプロ!メンバーであり、また、我々演劇部の2月の舞台の演出・脚本を務めていただきます、泉知束(いずみともちか)さんにお話を伺います!
インタビュアーは私、演劇部の九條愛美(くじょうまなみ)が務めさせていただきます!どうぞよろしくお願い致します!よろしくお願いします!
■演劇部を作るきっかけ
ーまずはじめに、この質問はゴツプロの皆さんにお伺いしているのですが、
はい!
ー泉さんの視点で、ゴツプロ!演劇部を作ったきっかけを教えてください!
そうですね、まあ、演劇部の部長の浜谷さん(浜谷康幸)が演劇部を作りたい!と熱く語ってたことがきっかけで。始めは、「何をそんなに熱く語ってんだろう」って思って。(笑)いや、珍しいんですよ。浜谷さんが自分の思いを言うっていうのは。皆さんは知っていると思いますが、普段はあんまり熱く語るタイプではないでしょ。だから熱く語る浜谷さんに同調したところがあって。
でも、俺も同じようなことを感じていて。今の若手の子たちがなかなか劇団を作らないとか、周りがプロデュース公演ばっかりになってきていて、そこに対しては思いがあったんですよ。でも実は俺、その、’’劇団’’が嫌で若い頃劇団を飛び出してるんだよね。
―そうなんですか!
うん。20歳くらいの時にいったん抜けて。その時はまだ劇団のよさがわからないうちに逃げちゃったんだよね。だから、浜谷さんとはちょっと違うんだけど、2転3転していきついたところは、やっぱり劇団公演は面白いということ。特にこのコロナ渦で劇団の結束力がある方が明らかに面白いと感じるんだよね。やっぱり、プロデュース公演と劇団は持っている体質や根源が違うなと、ゴツプロ!にいて改めて感じて。だから、浜谷さんが言っていた「自分たちがやってきたことを若者に伝えたい」とか、「何が劇団なのかを伝えたい」という気持ちに同調してやりましょうとなりました!
■ゴツプロ!演劇部の脚本・演出について
―今回、ゴツプロ!演劇部の脚本・演出を務めていただきますが、そもそも、泉さんが脚本を書き始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
最初に書き始めたのはね、24歳。演劇ユニット『Team Chica』(泉知束主宰)を立ち上げて、劇団ではなく、ユニットなんだけど。当時は、本当に劇団が嫌だったんですよ(笑)
ーどんなお話を書かれたんですか?
同世代のメンバーが多くいたから、仲間をテーマに書いた。高校陸上部が社会人になってばらばらになるんだけど、実業団で陸上を続けていたメンバーが癌になってしまって、また皆が少しずつ戻ってくる、という話だったかな。ちょうどその頃、俺が22歳の時にお袋が癌で亡くなってしまって。お袋に対する思いみたいなのをやりたいなと思って。
ーそうなんですね。
元々は、書こうと思ってたわけじゃなかったんだけどね。大きい劇団にいて小さな役しかもらえない時に、飲み会でプロデューサーに出会って、世界が広いことを知って、プロデュース公演に出るようになったんだけど。そこでも大きい役はもらえないし、ノルマが多かったり作品がつまんなかったり、その時に、自分でできるんじゃないかなと思って。
自分でやりたいことやろうと思ったのが24歳。その当時同じ劇団で同じことを思ってた仲間と立ち上がった。そこで、俺が書く!って言って書いたのが始まりですね。
ーそうなんですね!2月の演劇部の脚本と演出を泉さんが担当してくださりますが、どういう経緯で決定したのか教えてください。
これはもう完全に浜谷さんかな。
ー(笑)
「知束やってくれる?」って言われて。(笑)
―(笑)
ゴツプロ!で作・演出をやる人間は他にいなくて。今までもゴツプロ!のPVだったり、ちょっとした小芝居は大体俺が書いてるんですよ。
ーそうなんですね!
で、演出もほとんどやっていて。そういうこともあって今回浜谷さんが「知束やれる?」ってまあ、安易に。(笑)俺も「う、うんうん」みたいな(笑)
ー(笑)。わかりました。ありがとうございます。
■コロナ渦での演劇
―次の質問、コロナ渦で演劇をしていくことについてどう感じられてますか?
いやあ、難しいですよね。演劇だけではなくて、本当に新しい時代が来たんだなって。大きな変革が来たなと思っています。だから、演劇だけじゃなくて色んなものが変わっていくんじゃないかなと思うけど。ただ、舞台の配信が多かったじゃない。この1年半くらい。最初はみんな配信も面白いねってなったんだけど、でもやっぱり舞台は、配信じゃないよねってなってきていて。
ーはい。
コロナに関係せず、やっぱり舞台は生で見るものだし、生でなきゃ作れないんだなというのはひしひしと感じていて。いつも思うのは、最後のピースをはめているのはお客さんだなと。そのお客さんの息や熱があるから芝居が完成すると思う。俺らは『向こうの果て』(2021年5月)で無観客配信もやったけど当て所がすごく難しかった。やっぱり映像は映像用に作っていて、舞台は客席に届けてるつもりでやってるから全然違うなあと思ったな。難しいよね。
いまは普通にできて当たり前じゃなくて、1人でもコロナになっちゃったら終わりになってしまうわけで、そういうことを考えるとすごいリスクがあるし、ハイリスクがあってハイリターンがあればいいんだけど、ハイリターンもそんなにない状態だからね。だからほんとに覚悟が必要になってくるなと思う。伝えることに対して責任が重くなっていったんじゃないかな。いままでより。新しい時代はもっとそうなっていくんじゃないかな。
■演劇部のメンバーに伝えたいこと
―演劇部に伝えたいことはありますか。
よく言っていますが、この公演が人生の何かになってくれればいいなと思うし、俺もそのつもりでやるし、皆さんもそのつもりでやってほしいなって思います。これが終わった時に、何かをつかんでてほしいんだよね。こんな贅沢な時間はないじゃない。特にコロナ渦でこれをやれているっていうのはよかったんじゃないかと思いますけどね。コロナ渦でみんな努力してやっていったことは。逆にプラスに変えていけばいいなと思います。死に物狂いでやった時の感動とかを味わってほしいなと思います。
自分がそれを感じて、体感するからこそ次にそこを目指していくわけで。やっぱやらされてるとそこまではいかないと思うんだよね。自分がやったことって100%自信がつくから。せっかくの機会なんでいい物を作りたいなと思っています。
あとは、一生懸命やってって思う。お芝居でお金もらうことは簡単じゃないから。厳しくいきたいなって思う。それは俺の責任だから。演出をするっていう意味で。皆あこがれてこの業界にはいってくるけどさ、俺はいまだに普通に生きられなかったからこの仕事やってるんだろうなって思うところがあって、楽だったとは言わないけど、自由に生きてきたなって思ってて。だからこそ人様に見せる時は絶対負けたくないね。
■部員からの質問BOX
―ここで、劇団員からの質問BOXです!
はい。(笑)
―この中に劇団員からの質問が入っていますので、ランダムに引いてください。
「台本を書くときに最初にすることは何ですか」
紙白い大きな紙にテーマになりそうなものをいっぱい殴り書きします。例えば、「家族」とか「愛」、「平和」とかなんでもいいんだけど。大体こんな感じにしようって決めた後にやりますね。それが行き詰った時に役に立ったりするんだよね。最初に俺は何が書きたかったんだろう、伝えたかったんだろうって時にほんと思いつくまま、全然関係ないことも書いたりするけどまず紙に書きます。
→そのほかの質問コーナーは番外編にてお届けします!!お楽しみに☆
■「ゴツプロ!」にいて面白いと感じるところ
ゴツプロは付き合いが長いですからね。信頼関係があるから、自由にやれるっていうのはあるよね。俺と大助(塚原大助)は特に一番下なんだけど、態度一番でかいって言われてて(笑)
ー(笑)
それを許してくれる先輩方だから面白いよね。毎回新しい本がきて、新しい役どころでやって、メンバーのこんな一面があったんだって知ることも面白いし、気心知れてるからやっぱり良いよね。
ーそうですね。
ー今まで上演した舞台の中で一番大変だったことってありますか?
『三の糸』(2018年1月)という作品で津軽三味線を演奏したのだけど、それが大変だったかもしれない。1年くらいかけて練習した。
ー難しいですよね。楽器とかを覚えるのは。
難しい。俺的には、阿波踊りはどっちかっていうと覚えやすかったかな。九條さんほら、ぼくと同郷だから「ぼした祭り」って知ってるでしょ?
ーはい知ってます!
僕ずっとやってたんです。
ーそうなんですね!
あの、九條さんと僕は熊本出身で同郷なんです!
ーはい!
熊本に「ぼした祭り」という祭りがあって、俺が3歳くらいの時から出ていて。太鼓とか鐘のリズムが身体にしみついていて、ノリ的にも阿波踊りに似てたから、阿波踊りは楽しかったな、練習は大変だったけどね。
ーどういう大変なんですか?
かかと上げたまま15分くらい踊り続けることがとにかくきついの。徐々にかかとがプルプルしてくる。(笑)この年齢が限界だなって話してた。『阿波の音』(2019年1月)では最後に総踊りがあって、大助(塚原大助)が回ったら終わりの合図だったんだけど、千秋楽は大助が、気持ちよかったんだろうね、なかなか終わらなくて。(笑)もう全員が踊りながら「おい、早く終われ!早く終われ!」って思ってた(笑)
ー楽しい思い出ですね。
まあほんと楽しい思い出ですね。
■「ゴツプロ!」として、目指すところ
―ありがとうございます。では、泉さんがゴツプロ!として目指すことは何ですか?
いけるところまで行って日本の演劇界で今までなかったような革命を起こしたいですね。この前大助(塚原大助)とも対談で話したんですけど。まあやれるだけ頑張って60歳くらいになって何も気にせずに楽しく舞台が出来たら嬉しいと思うね。
あびさん(佐藤正和)とか50歳超えてて、一つなにかを越えて楽しんでいる感じがあって。俺の周りの先輩たちとかも売れる売れないとか、いい芝居にしようとかではなくて、ほんとにお芝居を純粋に楽しむとか、それをやるためにできる限りのことはやりたいと思う。ゴツプロ!はそれができる場所だからいけるところまで行きたいですね。
■泉知束として目指すこと
―最後に今後個人として目指すところは何でしょうか?
もちろん映画も舞台も一杯やりたいけどね。
ーやっぱり一番は舞台ですか?
そんなこともないですよ。ジャンルじゃなくて、やったことのない役がやりたいですね。変質者とか、殺人鬼とか。あと海外作品とかも出てみたい。面白い役に出会いたいね。面白いモノ、世間がざわつくモノ。
ーありがとうございます!2月の舞台の台本、楽しみにしています!
はい。皆が自分の殻を破れるような作品になればいいなと思ってる。皆がそれぞれ人として絡める作品にしたいと思っています。
―はい。今日はありがとうございました!
頑張ってください!!期待してます!!
★写真左
■泉知束(いずみ ともちか)
1976年9月4日生まれ。熊本県出身。ゴツプロ!旗揚げメンバー。舞台、映画、ドラマなど幅広く活動している一方で、演劇ユニット『Team Chica』の主宰でもあり、脚本家・演出家としても活躍している。2021年12月7日(火)より「劇」小劇場にて公演した、青春の会 『仮面夫婦の鑑』にて演出を担当。
★写真右
■九條愛美(くじょう まなみ)
1998年6月7日生まれ。熊本県出身。ゴツプロ!演劇部の部員。
2022年2月23日(水)より、ゴツプロ!演劇部公演に出演予定。
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協力:ゴツプロ!
企画:ゴツプロ!演劇部