【小説】『フロム52! 』 - 経営者・栄吉(1章・第2夜)
「で、結局私が呼ばれたと」
机に片肘をつき、手のひらに顎を乗せた杏が、満足げにケイと話している。
「ごめん! エイちゃんが来るまでの場つなぎってことで、よろしくお願いします! 」
両手を合わせ、頭を低くしたケイが申し訳なさそうに続ける。時刻は12時1分。ケイがInstagramで配信している、『フロム52! 』の放送中の会話だ。
「杏、先週の放送が評判良くってさ、『また出してほしい』ってコメントも結構あったし、今日もよろしくね」
「その割には、『場つなぎ』って名言してるよ? あんた」
***
場面は『フロム52! 』配信開始の30分前に遡る。ケイがいつものスペースにマイクを設置し、入り口に「『フロム52! 』放送中。お静かに」と書かれた貼り紙を貼ろうとしているときのことだった。
ライン!!
ケイの元に、今日のラジオ配信で出演を依頼していた栄吉からLINEが届いた。内容は[ごめん! ちょっと12時に間に合いそうにない。10分くらい遅れそう]とのものだった。
「えー! エイちゃん! 嘘?! 」
口に出すのと同時に、同じ文字列をフリックで入力するケイ。横で別の作業をしていた杏は、その姿を見て状況を察したようだ。含みのある笑みを浮かべ、ケイに話しかける。
「エイちゃん、来れないって~? 」
「うん、10分くらい遅れるって……。配信、どうしよう。最初の10分だけ一人でつなぐかなぁ」
ケイは、送ったメッセージにすぐに「既読」が付いたため、続報を待っている。
ライン!!
[本当に悪い。今、西荻窪なんだけどさ、人身事故があったみたいで電車が止まっちゃって。今タクシーを待ってるから、早くても家に着くのは12時以降になりそう」
「人身事故かぁ。まぁ、仕方ないね……」
突然の「ゲスト不在」での配信を余儀なくされたケイは、少々焦っていた。一方の杏は、その状況をチャンスと捉えていた。
「私、出てあげてもいいよ? 」
「え、本当!? お願いしたい!」
杏の差し出した助け舟に、ケイは迷うことなく乗っかった。
「ただし、夕食券1枚で」
杏は人差し指をたてた手をケイに向けた。「夕食券」とは、彼女らの住むシェアハウスで「材料費500円以上の料理を依頼できる権利」として使われている言葉だ。
「それが狙いか! むぅ、仕方がない。乗った! 」
杏の条件を快諾したケイは、差し出された指に、自分の人差し指を合わせる。
「トモダチ」
「わたしゃETか」
***
時間は冒頭に戻る。
前回の配信と同様、ケイによる“口時報”から始まった配信では、「事前の予定とは異なり、今週もフォトグラファーの杏ちゃんを迎えて放送する。途中から予定していたゲストが登場する」との旨を説明したあと、栄吉の不在を埋めるための会話を続けていた。
「いやー、エイちゃんが遅刻してくれたおかげで夕食券ゲット。儲けたねぇ」
「ちくしょー、いらぬ出費だ……。まぁ、こうやって深夜にラジオに出演してもらってる時点で、本来はそのくらいのお礼はしなきゃなんだけどね」
ケイは事前に用意していたキューシートを眺める。配信の視聴者は38人。チャットには先週に続いての杏の登場に喜んでいる声も多かった。
「本当はエイちゃんに『経営者あるある』でも聞こうかと思ってたんだけどなぁ」
「それ、盛り上がるの? 」
「どうかな」
「盛り上がんないだろうなぁ」
今日の杏は、前回の配信とは異なり、最初からテンションが高かった。個展の準備が終わったこともあり、肩の荷が下りたのだろう。
「杏ちゃん、個展、今週末からでしょ? どうよ、調子は」
間をつなぐため、という理由もありつつ、ケイは素直に気になったことを聞いた。
「うん、バッチし。明日からでも始められちゃうよ。今回のは、全部自信作! 」
今週末の土曜日、つまりは3日後の個展の開催を控えた杏は昂っているようだった。
「ついに3日後かぁ。あ、場所とか時間とかの詳しい情報は先週インスタにポストしてるから、みんなも気になったら行ってみてね」
「ぜひ、来てください! 基本的には私も在廊(ざいろう)してるので、気軽に話しかけてほしいです! 」
スマホの配信画面に流れるチャットを見る杏とケイ。画面には、[行きます! ]という投稿が複数個なされている。
「これはいい宣伝場所を見つけた。夕食券はもらえるし、個展に来てくれる人も増えるし、一石二鳥だね。エイちゃんの遅刻に感謝しなきゃ」
***
とんとん
杏とケイが駅前で見つけた美味しいパスタ屋について話しているころ、入り口から音が聞こえた。
「お、エイちゃんかな? 入っていいよ~! 」
自分の役割を果たしたと感じた杏は、入り口をノックした主に声をかけた。すかさず扉が開く。
「ごめん、遅くなった」
そこにいたのは、焦りからか、急いで走ってきたからか、つっと額から汗を流す栄吉だった。時計の針は12時10分を指している。放送時間は残り20分だ。
「おかえり! 大変だったね、電車。ささ、こちらへ」
ケイは、荷物を近くのソファに降ろす栄吉に対し、向かい合う杏の横の椅子を案内する。同時に、ケイは自身の座る椅子ごと左に30センチほど移動し、栄吉の椅子と杏・ケイの椅子をつないだ正三角形の中心位置にマイクをずらした。
「へ、私、もしかして残らなきゃいけない感じ? 」
杏は、マイクとケイが“自分の存在ありき”でポジショニングされたことに驚いた。
「まぁ、せっかくだから、ゆっくりしてってよ」
ケイは、栄吉に自分の椅子を譲ろうと状態を持ち上げていた杏に、「帰さないぞ」の意を込め、告げた。
「遅れました、清水 栄吉(しみず・えいきち)です。宜しくお願い致します」
ケイに案内された椅子に座った栄吉は、視聴者に向けて律義に挨拶する。「してやられた」顔をしている杏に気にせず、ケイが続ける。
「本日のゲスト、エイちゃんです~! 」
栄吉の登場を機に、チャットの勢いがあからさまに増した。[待ってたよ][有名人来た][すごいシェアハウスだな][わざわざタクシーで来たのか][清水栄吉って、GXの社長の人? ]……と、凄まじい速度で流れるコメントに、杏が嫉妬する。
「ちょっと、私のときとチャットの勢い違いすぎない? 」
「遅くなっちゃってすいません、ケイ、ごめんね、杏もありがとう」
一言目は視聴者に、二言目はケイに、三言目はピンチヒッターを務めた杏に感謝と謝罪を伝える栄吉。初めて自分の声を聞く相手に伝える「すいません」、迷惑を掛けた相手に伝える「ごめんね」、ミスをカバーしてくれた相手に伝える「ありがという」のそれぞれで、声色と表情を適切なものに変化させる栄吉に、ケイは関心する。
「わざわざタクシーで来てくれたんだよね、ありがとう。じゃ、まずはエイちゃんのことを知らない人のためにも、ちょっとだけ説明をしようか」
***
栄吉は、株式会社GX(Grand Transformation)の創業社長だ。歳は、ケイと杏と同じ26歳。厳密に言うと、栄吉は今年で27歳の年で、ケイと杏はすでに誕生日を迎えているため、学年で言うと2人の一個上にあたる。
とはいえ、彼女らの住むシェアハウスでは「年齢」はあまり気にされないことが多く、ケイと杏は、栄吉と話すときに敬語を使わないし、栄吉もそれに対して特に何も思っていない。
栄吉は、大学を出てすぐに誰もが知るIT企業で3年働き、4年目で起業した。現在は起業してから約2年ほどしか経っていないが、会社はすでに10名ほどの社員を抱え、年に数億単位の売上を出している。ビジネスメディアで取材されることも多く、同世代のビジネスパーソンにとってはちょっとした有名人だった。
***
ケイによる簡単な説明を受けた栄吉は「なんだかこの家でそういう話をされるのはむずがゆいな」と恥ずかしそうにつぶやいた。横で聞いていた杏は「あらためて、エイちゃんってすごい人なんだね」と栄吉を見つめる。
「エイちゃんは、いつか『フロム52! 』に呼びたいと思ってたんだけど、思ったより早い段階で来てくれて嬉しいよ」
ケイは本心からそう告げる。そもそも、『フロム52! 』およびケイが運営するブログ『52! 』で紹介してきた人物の多くは「クリエイター」だった。そのため、普段からケイのブログを見ている人にとっては、今回のゲストが「経営者」であることに驚いている人も多かった。
ケイは、[今回のゲスト選定の理由は? ]というチャットを拾い上げ、自分の考えを話し始める。
「エイちゃんと話しててさ、経営者って、案外クリエイターだなって思ったのよね。どういう所がって言うと、ちょっとうまく言葉にできないんだけど。その辺についても、今回の配信で話せたらいいな、なんて思って、今回ゲストとしてお呼びしたのです」
ケイの言葉を受け、栄吉は腕を組み、少々考えてから話し始める。
「『経営者とクリエイターが似てる』かぁ。あまり考えたことはなかったけど、『自分のいいと思うものを作って、それを多くの人に楽しんでもらう』っていう意味では、同じなのかもしれないな」
栄吉の会社「GX」では、BtoB(ビジネス・トゥ・ビジネス)向けのプロダクトを提供している。
ちなみに、ケイと杏は一度、そのビジネスの詳細について聞いた経験があったが、専門用語の多さから、あまり理解することはできなかった。
しばらく黙っていた杏が、ケイと栄吉の発言を補足する。
「経営者って、数字ばっかり追ってるイメージだったんだけど、エイちゃんと話してると、違うなって思うんだよね。もちろん、数字も大事にしてるけど、『どうすれば作ったものが人に受け入れられるか』『どうやって作ったものを広めるか』ってことを真剣に考えてる。それって、私たちが作品を作ったり、それを宣伝することとおんなじだなって、私も思った」
杏の補足に、ケイは「そう! それが言いたかったのよ! 」と手を打つケイ。「やっぱり杏を帰さないで良かった」と笑い、続ける。
「というわけで、今回のテーマは、『経営者とクリエイターの類似点について』です」
時計の針は、12時15分を回ったところだった。
そこからの15分、3人はノンストップで話し続けた。
配信が終わるころ、視聴者数は前回の約2倍の80人となっていた。
(第二夜、おわり)