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【小説】『フロム52! 』 - フォトグラファー・杏(1章・第1夜)

「ぱっ、ぽっ、ぱっ……ぺーん! えー、時刻は12時をまわりました、東京・三鷹市の自宅をキーステーションに、Instagramで配信中! 鯨津 瓜(ときつ・うり)の『フロム52! 』。今回のゲストは、フォトグラファーの杏ちゃんでーす! 」

声高にタイトルコールをした女性は、鯨津 瓜。

「時報、口で言うスタイルなんだ」

そして、間髪を入れずに口を挟んだ女性は唐 杏(タン・シン)。本来は「杏(シン)」という名前だが、周囲からは日本語読みで「杏(あん)」と呼ばれている。

「こんばんは、杏です。……出鼻挫かれたよ。自己紹介より先にツッコんじゃったし」

iPhoneに接続したほぼ新品のワイヤレスマイクを囲み、2人の女性が話している。場所は2人の住む大型シェアハウスの共有スペース。夕食時はほかの同居人たちが食事をとりつつ雑談を交わしたり、テレビを流していたりしている場所であるが、深夜の今は2人がいるのみだ。入り口には「『フロム52! 』放送中。お静かに」という手書きの紙を貼りつけ、予期せぬ来室者が入らぬよう、けん制している。

「杏ちゃん、どう? 最近は」

「フリが雑だね。まぁ元気にしてるよ」

「雑くらいでいいんだよ、どうせホラ、だれも聴いてない……って、あれ、40人も聴いてくれてるのか。こりゃ失敬」

「『こりゃ失敬』ってあんた、おじさんか。それに誰も聴いてないって、だったら私が出る意味ないじゃん」

杏は真顔のままボヤく。疲れているのか、音を出さずに欠伸をし、目を潤ませている。

杏は中国出身だが、大学進学から8年間日本で暮らしているため、素振りも話し方も生粋の日本人とそう変わらない。

「40人も聴いてるなんて、いやぁ、人気者になったもんだ。ほらほら、あなたもやる気を出しなさい。最近の仕事はどんな感じ? 」

「最近は、ずっと個展の準備だねぇ」

「あ、そっか、個展するって言ってたね。どこでやるんだっけ? 」

「井之頭公園の近くにある写真館。小規模なところだけど」

「楽しみだなぁ。ぜったい見に行くよ。あとでインスタに投稿しとくから、細かい情報とか送っといてね。どんな展示をするの? 」

「この前行ったアイスランドの写真をね。今、ちょっと画像を加工したり、タイトルとキャプションを考えたりしてて、ようやく今日終わりが見えてきたよ……ハァ、疲れた」

杏は手を机の上に投げ出し、うつ伏せの体勢になる。伸ばした手の先には残り2割ほどになった杏のレッドブルの缶がある。手があたって倒れないように、瓜がスッと感を持ち上げ、杏の手の動線上から逸らす。

「それはお疲れだね! 楽しみだなぁ、杏の写真。どんなのなんだろう、ワクワクする。是非、愚痴なんかがあればここでさらけ出しちゃってね。ほら、また1人増えてる……お、エイちゃん聴いてくれてんじゃん」

「……なんか、色んな人が私たちの話聴いてるって考えると、ヘンな感じするね。ケイとただいつもみたいに話してるだけなのに」

うつむいたまま、机と顔とで反響してこもった声で話す杏。瓜は杏の腕を掴み、上体を反転させようと力みつつ、画面越しの視聴者数の変化を気にかけている。

「あ、ちなみにケイってのは、私のことね。私、名字に『鯨』って文字が入ってるから、音読みして、ケイ。ここの家の人たちはそう呼んでるの」

「あー、そっか。なんか呼び慣れてるから、ケイの本名が『ウリ』なの時々忘れちゃう」

「そだよねー。杏ちゃんも本当は『シン』って名前なんだもんね」

「あ、それはナイショ。私本名で活動してないから。まぁ、別にいいけどさ」

「こりゃ失敬」

「ふふ、それケイの中で流行ってんの? 」

呆けた顔をする瓜(以下、ケイ)を上目遣いで見つめた杏は、笑いながらようやく上体を起こした。

「ホラ、差し入れだ。これ飲んで気合入れな」

「……それ、私のだから」

ケイから差し出されたレッドブルを近くに置き直した杏は、椅子に深く座り直して、手のひらでパンパンと頬を強めにはたき、やる気を入れた。

「そんで、今日のテーマは?」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれた。今日のテーマは…… 」

***

「ーー以上、『フロム52! 』でした。次回のゲストは……えっと、追って伝えます! また来週お楽しみに~! 」

他愛のない会話を30分ほどした後で、ケイはInstagramの「配信終了」のボタンを押した。終わり際の視聴者は58人。人が入れ替わりつつも、次第に人数は増加していき、チャットもほどほどの盛り上がりを見せていた。

「結構コメント届いたし、視聴者も増えたね。うん、立ち上がったばっかの番組としては上々」

「ごめん、最初5分くらい眠すぎて何話したか覚えてないや。結構楽しかったよ、やっぱりケイは聞き上手。……って、プロに言うのも失礼な話か」

「インタビュアーのプロっているのかね? まぁ、褒められて悪いものではないな、うん」

ケイは普段、編集者兼ライターとして働いている。大学生のころに趣味で始めたブログ「52! (フィフティーツー)」で、少なくともバイトはしなくてもいい程度の稼ぎを得ていた彼女は、その実績を買われてWEBメディアに就職。編集者として働いており、インタビュー経験も多い。ブログは今でも細々と更新しており、Instagramで配信しているラジオ「フロム52! 」も、ブログの一企画としてなされているものだった。

「さぁて、もうひと頑張りするかぁ」

大きく手を上にあげて伸びをしつつ、時計を見る杏に、ケイは驚く。

「え、まだやるの? もう12時半だよ? 」

「うん、ちょっと話してたらやる気が湧いてきた」

「えー、まじ? すごいな、私はもう寝るよ……。ふぁーあ、気がゆるんだら急に眠くなった」

抑えた手からはみ出すほど大口を開けて欠伸をするケイを横目に、杏は残り少なくなったレッドブルを勢いよく読み干す。

「あと5枚! 写真加工して、キャプチャ作って、そしたら今日はおしまい! 」

「あーあ、こんな時間にそんなもの飲んで。お肌荒れても知らないよ? 」

「別にいいよ。誰に見せるもんじゃないし。私じゃなくて写真を見てくれればいいの」

「さすがのプロ意識……。『聞き上手』のプロとは雲泥の差ってやつですね」

「なに卑下してんの。あんたと話したおかげでやる気が出てるんだから、あんまり力の抜けるようなこと言わないでよ」

少し離れたゴミ箱にカランと缶を捨てた杏は、エレベーターのボタンを押した。

「じゃ、おやすみ。私はマイク片付けて寝るよ」

「うん、おやすみ。あ、そうだ、ラジオ、毎週やってるんだよね? 次のゲスト、目星ついてんの? 」

エレベーターを待つ手持ち沙汰の中で、杏が質問をする。

「うーん、それがまだ決まってないんだよねぇ。誰がいいかな? 」

「そうだねぇ、あ、エイちゃんは? 今日も聴いてくれてたみたいだし」

「エイちゃんかぁ、出てほしいんだけど、忙しそうだから誘いにくいなぁ。最近いつも帰り遅いしさ」

「確かに。んー、じゃあ……あ、ごめん、エレベーター来ちゃった。まぁ、誰でもいいんじゃない? この家の人なら誰も断らないでしょ。ま、誰も呼べなったら私呼んでもいいからね。じゃ、おやすみ~」

「テキトーかよぉ~。おやすみ~。今日はありがとうね」

手を振りながらエレベーターの扉に隠されていく杏を見つつ、ケイはマイクのコンセントを抜き、コードをぐしゃぐしゃと巻く。

***

「さて、と。あ、貼り紙外さなきゃ」

片づけを終えたケイが小走りで扉に向かうと、半透明の扉に大き目の男性の影が見えた。

「あ、やばい、誰か待ってるし」

シルエットでそれが同居人の一人と気づいた杏は、急いで扉を開ける。

「おぉ、ケイ。良かった、もう入っていいか? 」

ビシっとスーツを着て、歳に似合わずオールバックを決めている男、清水 栄吉(しみず・えいきち)がそこに立っていた。同い年なのにオールバックが似合うその貫禄には、彼の積み上げた経験と苦労が滲み出ているようだ。

「あ、噂をすれば。ごめんねエイちゃん。もしかして開くの待ってた? いやぁ、悪いねぇ」

「いや、ちょうど帰ってきたところだけど、『噂』って? 」

「いや、なんでもない」

「そう? あ、電子レンジ使いたくってさ、良かったよ、ちょうどいいタイミングで」

栄吉は手に持ったレジ袋をケイに見せる。コンビニのプライベートブランドの冷凍食品だ。大きく「シウマイ」と書いてある。無意識に口の中で少しだけ分泌されただ液が、ケイに自分の小腹が空いていることを気付かせる。

「どうした? 急にそんなヘンな顔して」

顔を振って食欲を打ち消そうとするケイの動きに笑いながら、栄吉は電子レンジの方へと歩き始める。

「え、いや、なんでもない! 今からごはん? 相変わらず忙しいねぇ」

「まぁ、今が大事な時期だからな。仲間のみんなが頑張ってるのに、社長の俺が早く帰る訳にもいかないだろ? 」

栄吉は、自分で立ち上げた企業で社長をしている。まだ立ち上げたばかりで、ここ数か月は毎日のようにこの時間に帰ってきていた。

「ラジオ、面白かったよ」

「ホント? ありがとう! 結構盛り上がってよかった。杏ったら最初、めちゃくちゃ眠そうでさ、大変だったよ」

ケイに背を向け、電子レンジの操作を終えた栄吉は、振り返って予想外の一言を放った。

「ラジオ、俺も出てみたいな」

「え、いいの? 」

「え、いいの? 」

願ってもない願い出に驚いたケイの返答に、さらに驚いた顔で栄吉が返した。

「断られるかと思った。ケイさえよければ、いつでも呼んでよ」

「えー! じゃあ早速来週お願いしたいんだけど……って、突然すぎるかな? 」

「来週か。ちょっと待って、予定確認する」

栄吉はポケットからスマホを取り出し、カレンダーアプリを開く。

「えっと、来週の12時は……っと。うん、大丈夫、いけるよ」

「おー! ならぜひ、よろしく頼むよ! 実はさっき、杏と『来週はエイちゃん呼んだら? 』って話しててさ、ちょうど良かった」

「『噂をすれば』ってそういうことだったのか。言ってくれればよかったのに」

「だってエイちゃん忙しそうじゃん」

「まぁ、そうだね。特に最近は深夜に帰ってくることもおおかったし。でも来週は大丈夫。今メインで動かしてるプロジェクトも、なんとか今週中にひと区切りつきそうだから、気分転換にさせてもらおうかな」

「よっしゃ~! そうと決まれば『52! 』で告知しなきゃ」

話がひと段落ついたと同時に、電子レンジが鳴った。栄吉がレンジを開くと、シウマイの香ばしい香りが辺りに広がる。と同時に……

グゥ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

空腹を会話で紛らわせていたケイの腹が、せきを切ったように鳴る。

「こりゃ失敬」

「それ、ハマってるみたいだな」

「……腹の虫も、エイちゃんの出演に喜んでるってことよ」

(第1夜、おわり)

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