私の住みたい町は「誰も取り残されない町」
私の理想の未来
#暮らしたい未来のまち
私は歳を取っても今と同じように生活したい。
人生100年時代である。100歳になっても美味しいものを食べに行きたいし、お洒落だってしたい。美しい山や海に出かけたい。沢山の趣味を持ちたい。活気あふれる商店街にフラリと出かけて、色んなお話しがしたい。そこには若者達や国内外からの観光客がいて、それぞれの知っていることを教えてもらったり、教えたりしたい。子供達のにぎやかな声に囲まれていたいし、生まれてくる新しい命を町中でお祝いしたい。苦手な事や出来ないことを手伝ってもらう代わりに、私も誰かを手伝いたい。
「誰も取り残されない社会」というのを作りたい。
職業柄こう思うのは自然なことなのだが、近年殊更にそう願うようになったのは、私自身がこの町で老いて行く現実があるからだ。
私の住む町の事
結婚を機に越してきた夫の出身地は、豪雪地帯の海沿いの小さな田舎町だ。
この町は海も山も本当に美しい。特に海の美しさは恐らく日本でも有数だと思う。近くには子供がのびのび遊べる大きな公園もある。
伝統的な建造物や伝統行事もあるから観光地としては申し分ない。
地産の魚介も里の料理もとても美味しい。古民家を改修したお洒落なカフェやレストラン、パン屋、ひっそり営んでいるインテリアショップなんかが点在していて、一点物を扱う店も多い自然を生かしたイベントもあるし、特産品の果物を使ったスイーツはハッとするほど美しく、美味しい。
でもそれを、外に向かって発信している人が少ない。
かなり意識的に手を伸ばさなければ情報が得られない。だから“何もない”と感じる。越してくるまで私もそう思っていたから、越してきてすぐの頃は孤独を強く感じて絶望していた。
移住者だからこそ感じる課題
とはいえ、何もないのは事実だ。大型ショッピングモールもないし、飲食店は個人経営の起業家によるものが多くて、チェーン店は少ない。
この町は、どこに行っても誰かと誰かが繋がっている。町内や保育園の保護者たちはもとより、カフェ、老舗菓子店、地産地消のレストラン。それぞれの繋がりが強くて、みんな一様に、「ここはいい町だ」と言い切る。
コロナ禍に老いては特にその傾向が強くなった。「この町にはこんなにいい所があるとコロナになって再発見できてよかった」と。
そうだけど。
そうかな?本当にそうかな?
だって子持ち世帯や若者達は皆、休日になるとこぞって隣町の大型ショッピングモールに出かけていく。特産品のスイーツよりも、某有名カフェの新商品を求めている。
いい所だけじゃない。
人と交流する機会を手にできる人は、情報を正しく入手できる人だけだし、気軽に外出したり美味しいものを食べに出かけられる人は、その手段を持っている人だけ。もちろん金銭的余裕も必要で。
この町のお洒落でこじんまりしたカフェは雰囲気がいいけれど、小さな子供を抱えた人や、車椅子ユーザーをはじめとした障がいを抱えた人にとってはハードルが高すぎる。ショッピングモールやチェーン店の利点はここにあるから、週末になると皆んなそちらへ出かけてしまう。
日中0歳の次男と過ごす今の私は、気軽に出掛ける事ができずにいる。
中心地であればいくらか用事が足りても、町外れともなればそうはいかない。車を運転できなければ、美しい山や海はおろか、生活に欠くことのできない病院やスーパーに行くことさえままならないのが現実だ。
その点において、田舎のこの地域では支援や資源があまりにも足りない。
環境整備も全然整っていない。
「この町はいい町だ」
それに異論はない。私もそう思う。
でもそれを言い切れる人達は、「取り残されていない人達だけ」ということに、もう少し目を向けたい。
現に私は強すぎる地元愛と人と人との繋がりの中で、外から来た人間が抱く疎外感を完全に拭い切れてはいない。
うちうちだけで「いい町だ」って言い合うの、やめにしない?
私はもっと、外に向かって発信したい。
この町の人達にもこの町以外の人達にも。
隣町の大型ショッピングモールに行かなくてもいいように居場所を作りたい。
手を伸ばさなければ得られない情報は、無いものと一緒だ。「ある」ことを知らないものを、調べようがない。
だから人はどんどん都市部に出て行く。過疎化が進めば、私の目指す町はさらに遠のく。
うちうち“だけ“で「いい町だ」と言い合うのは、そろそろ辞めにしない?
誤解がないように言っておくけれど、私はこの町が好きだ。積極的に出かけるようして情報を集めて感じた事は、人の優しさは本物だという事。
だから、伝えたい。この街の良さ、素敵なところ、美味しいもの、人々の優しさ。
そして私自身が死ぬまで安心して楽しく暮らしたい。
生涯住みたい町はこんな町
コロナ禍で田舎の魅力は高まっている今こそ、チャンスだと思う。
例えばこんな事。
オフィスを持たなくてもいいこの時代、ノマドマーカーやフリーランスが増えている。
都心にオフィスがあるようなIT従事者が移住してくれれば。移住とは行かずとも、一時でも仕事をする場として選んでくれたら、ITに触れる事が圧倒的に少ない田舎の子供達(子供だけに限らず)がそれに触れる機会が得られるかもしれない。
ITだけじゃない。要はなんでもいい。
運転ができない人には得意な人が運転して外に連れ出したり。例えば元タクシー運転手さんとか、バスの運転手さん、長距離ドライバーだった人とか。
それから、子供を連れて時間帯関係なく出かけられるような場所が欲しいなぁ。そこには引退した元保育士さんや助産師さん、元学校の先生、元看護師さん、潜在看護師さんなんかが居てくれるとよくて、気軽に相談したり情報交換できたりする。
地元に詳しい人が観光案内したり、特産品を作っている人がそのやり方を教えてくれる教室を開催したり、伝統工芸や文化を教えてくれたりする。
介護の経験がある人が、車椅子ユーザーをはじめとした障がいをお持ちの方を案内する役割を負えば、気軽に来れる街になる。
それってお互いwin-winだし、生きがいや社会参加に繋がると思う。もちろん地方活性化や文化の保存にもつながる。
可能性は無限だ。
人と人との繋がりを、ここで生かせないものだろうか。
今動き出す事は未来への投資
ここに越してきた時、文句ばかり言っていた。
何もない、寂しい、コミュニティが出来上がりすぎている、絶対好きになれないと嘆いていた。
「今やれば、将来楽しいかもよ?」
越してきてからの初めてできた友人(彼女も同じ都市部からの移住者)と、そんな話をしている。何かできないものかと密かに計画中だったりする。
時間がかかるだろうし、実現できないかもしれない。それでも、小さくても一歩踏み出す事は、未来への投資だ、
その先に「誰も取り残されない町」が、きっとある。