tuberose
ゆっくりと時間が過ぎていく中で「今日はいい子にしてた?」「だめだったよ。机、散らかしてきちゃったし」なんて、なんでもない話をしていたいだけだった。
部屋で音楽を聴いているときに「あなたに触れて欲しいからまた髪を伸ばすね」と、肩につかないくらいの短い髪を触りながら言った彼女は笑っていなかった。
前にわたしが、「長い髪が好きだ」と彼女のその長くて透明な髪を結いながら言ったことを覚えていたらしい。でもその後に彼女はその長い髪を切ってしまった。どうして切ったのかと問うと、短いのもいいでしょ?なんて笑っていたのに。
「愛せないものを無理に愛する必要はないんだよ」と彼女は言った。融解する温度はとうに超えていたのだ。物憂げな彼女に危うさを感じながらも、その時、何故だか笑顔のない彼女を綺麗だと思った。
そして彼女の髪が肩につくまでに伸びた頃。「髪を結ってくれる?」と言って彼女は、袖がふんわりしたAラインの白いワンピースを纏い、わたしに背を向けてちょこんと座っていた。「その長さじゃまだだめだよ」とわたしはコテを使い彼女の髪を巻くことにした。袖と同じで、髪もふんわりとした彼女はとても幼く見えた。
そして唐突に「わたしすごく素敵な場所を知っているの、今日はそこへ行きましょう」と言った。彼女の笑顔はまだ戻らない。
彼女が動き始めたのはすっかり日が落ちた頃だった。こんな夜更けにどこに行くのだろう、不思議に思いながらわたしの手を引く彼女について行った。
ここよ、と言った彼女と立っていたのは部屋から少し離れた大きなお屋敷だった。
「ここ、あなたと出会う前に住んでいたの」「なんで今そんなこと言うの」「隠してたつもりはないのよ、ちょうど今だったから。それだけ」ほら、こっち。とお屋敷の奥へと足を進める彼女に少し息を吐く。
彼女はいつも唐突に動くのだ。髪を切ったときも、飲めないブラックコーヒーを飲んだときも、わたしの部屋に住み始めたときも。今だってそうだ、多くは語らずにその唐突に思いついたことにわたしを巻き込む。
お屋敷の裏に行くと、甘く、なんだか魅惑的な香りがしてきた。高い壁と草の生い茂ったその先はどうやら庭のようだ。庭に入るとその香りは一段と強くなり、少しクラッとした。
「ここはね、この季節になるとチュベローズがたくさん咲くの。チュベローズ、知ってる?夜になるとより香り高くなるからって、和名は月下香。花言葉は"危険な快楽"」
彼女が何を言っているのか少しずつわからなくなってきた。気付けば隣にいた彼女がわたしの前に立ち、わたしを見上げている。
目の前の彼女は笑っていた、なんだか泣いているようにも見える笑顔だった。
「わたし、あなたが好きよ」
月明かりに照らされてできた2人の影が重なったとき、甘い香りの中で、その甘さを超えるくらいうんと甘い時間が流れていた。
「これはわたしの秘密の香りなの」
そう言った彼女の声はわたしには届かなかった。