ボランティアって何って考えるのはナンセンス。
-国際協力を現地で現地人とやってみて-
※noteは自分の主観で書いております、所属団体とは関係ありません。
現在カンボジアという新興国で、映画を通した国際協力活動をしています。どの活動にも当てはまるのですが、ボランティア・国際協力活動を持続可能にするためには現地への権限移譲・協力が不可欠です。そこで今自分は、現地スタッフをゼロから育成しています。noteではこの経験で感じたことを今後発信していきます。
ボランティアって何?って考えるのはナンセンス。
自分もカンボジアに来て、日々変化する実情を目の当たりにしながら現地人と活動するまで、月に一度くらい悩んだこのテーマで今日は綴りたいと思います。
※ボランティアという言葉で綴りますが、それぞれ仕事・勉強などに置き換えると同じく当てはまると思います。
まず、単刀直入に言うと「ボランティアって何?」っていう、疑問が活動を運営する当事者から出てくるということは、彼らが自分たちがしている活動の本質を理解していないからだと思います。
というか、もはやその活動ってどうなんだ?ってはなしですが。
確かに、今でも自分がしている国際協力活動自体が受益者に対して、プラスのインパクトをしっかり与えることができているのか日々自問自答をしています。
ドラッガーの言葉を借りて言うならば、「常に真摯たれ」ということでしょうか、むしろ活動に対しての謙虚さは、現地に来てから上がっていると思います。
しかしながら、「ボランティア」という言葉の定義は現地に来てから全くしなくなりました。自分でも、バスの中で暇潰しに妄想してなかったらこの変化に気づかなかったくらい。
「ボランティア」という言葉を定義しようとするということは、少し大げさに言うと以下に近いと思います。
野球少年がいたとします。
彼は、プロ野球選手に憧れて来る日も来る日も野球をしている。
でも、ふと彼は考えるんです。
「”野球"ってなんだろう?」
野球って言葉は、なんなんだろうか?という哲学者でもびっくりの哲学的思想に走った彼は、インターネットや辞書で”野球”という言葉を調べるんです。
野球(やきゅう)とは、フィールドと呼ばれる屋外球技場(もしくはそれを模した屋内球技場)で行われる集団球技のスポーツである。英語のベースボール (baseball)を指す。by wikipedia
いかがでしょうか。
このように、一つの単語の定義ほど本質から逸れたことがあるでしょうか。てか、暇なんですかね。少年、辞書引いてる暇あったら素振りしろ!って言いたいくらいです。
要するに、活動に対して疑問が浮かぶのは理解できるんです。(この野球少年の場合、自分の練習方法やプロを目指すためにやっているのかそれとも違う目的で野球をやっているのか)
団体内、活動主体である個人が何度も活動に対して考えることは大切な事だと思います。
しかし、「ボランティア」という言葉を考えるのはナンセンスなんです。
なぜなら、それぞれが目指すもの、目的がなければボランティア活動は生まれない。ボランティアという形態は、その目的を達成するためのあくまで手段だからです。
今の自分で言えば、かなり簡略しますが。
映画を通して子どもたちの可能性を広げ、数十年後、彼らと共に社会を高い次元でデザインしたい。
そのために、今カンボジア現地で活動しているとなるわけなのですが、それに紐づいた課題つまり目的を達成するための課題が……山ほどあって、
・活動の継続
・現地スタッフのスキルの向上
・現地行政との協力
・資金の安定化。
・自分自身のスキルの向上……
このことを常日頃から考え行動をしていると、
「ボランティア」って言葉の定義をしている余裕なんてないんです。
というか自然とこのことが、本質からずれていることに、頭が認識していたというほうが正しいかもしれません。
自分が小学生の時、元巨人の篠塚選手から言われた言葉。
「野球選手になりたいなら、野球のことだけを考えなさい」
当時の自分には、この意味がよくわかりませんでしたが、今なら、何かを成し遂げたいならそのことを真摯に問い、考え、行動し続けなさい。という意味だったのだと理解できます。
このことは、「ボランティア」ということだけに収まる話ではなく、
「仕事」や他の言葉にも当てはまると思います。
「仕事」という、言葉の定義をしているうちは、まだまだその「仕事」の意義、目的が理解できていない現れであり、その段階で「仕事」をやる意味がわからないというのはナンセンスであると同時に、
従業員がこうしたマインドを持っているということは、経営者側のヴィジョンの共有が不十分ということも意味すると思います。
何をするにしても、一に明確な目標。
それを、組織内で共有できているかどうかで結果は大きく変わると思います。
「ボランティア」という言葉を定義する前に、
自分の今していることの、意義を再確認することの方が、
意味があることなのではないでしょうか。