note再開しよう
13年前のわたしはアメブロが主流で
毎日3投稿くらいして記事にしていた。単純に1ヶ月で90記事。
それくらいの熱量でひたすら発信していた。
当時まだ子どもも小さかった。手を焼き大変だったけれどもわたしは発信することに必死にもなっていた。
当時と変わらず個人で仕事をしていたからブログはその発信と
自分を知ってもらうために。
思うことをつらつら書くには嫌いじゃない。
言いたいことをその瞬間に言いそびれることが多いからさ。
忘れているときもほぼあるけれど
たいがいはタイミングを逃して言いそびれている。
人と話していると私の頭の中はめちゃくちゃ先に進んでいることが多い。
今まだその次元じゃないよね、、と思い言葉を萎める。
でも時間が経ち、あのときこう思ってたんだよな、
ってことが現実になった。ってことは何千回もある。
起こって悪いことなら
あ。。あのとき言ってあげれたら良かったなって思うし
いい事なら「ほらね」って思う。
どちらにしても「ほらね」って思うん、ちょっと嫌じゃない?苦笑
わかってて知らないふり
感じてなかったふりをしてて
後で、「ほらね」って言うの
なんか感じ悪いじゃん?笑
もうこの時点で感じ悪いか。笑
知ってて言わないほうが性格悪い?笑
いや。これはHSPの気質だと思う。
この気質、あんまり理解してもらいにくんだけど、明らかに私はそうだ。
だから余計に「孤独」とは親友くらいに付き合っている。
ひとりは好きだからいいんだけど、いいくない。どっちやねんなって自問自答。そんな時間にどっぷり浸かっても割と笑いながらきつい一言言うタイプでもありとっつきにくいタイプでもあるやろうな、と人一倍自分分析力も高め。笑
まあでもあえて「アホになる」。
これ、母の教え。
母は昔から難聴のせいで知らず知らずに「どうせ聞こえてないし」で仲間はずれにされることがあったそうだ。
耳が聞こえないせいで嫌なことも聞こえなくていい。って昔に言ってたな。
本当は少しは聞こえてるから聞こえてくることもあるくせに。
都合悪くなると聞こえなくなる耳。理想だな。
聞こえないを逆手に「あえてアホになる」。
当時、なんだか相手を持ち上げといて実は内心
バカにしてない?
って思ったけれど
今はなんとなくわかる気がする。
母は自分で「選択」していたんだと。
感情の選択。
まだまだ人生の修行の荒波に乗っている中「感情の選択」をできるほどの余裕はないがちょっと理想だなって思った。
今日はここまで。また次回に。
お付き合いありがとう。