心の中の記憶11 自分の中にとじこめられているはずのものをうみだす
月に一回、娘のカウンセリングがある。夕方の45分、10分間は私の話を聞いてもらう。
150床ある大きな病院。待合室はゆったりとしていて、一面の窓ガラスに夕陽が差し込む。
精神病院に初めて行ったのは、小学2年の時だった。祖父が、夜中に「倒れる」と叫びながら、家の外壁に釘を打ち出した日からだ。
土曜日、父が、祖父母と私を連れて精神病院に通った。父が私の面倒をみていたのだろう。
シートベルトをする習慣がなかった当時、車内で祖父の奇行に倒れる祖母を支えたり、私は祖母の付き添い気分だった。
末っ子の赤ちゃんと3歳は、家で母と一緒に過ごす時間。
そんな中、授業参観にむけて壁新聞をつくることになった。読む人に満足してもらうこと、物を書くことが仕事だった両親に褒めてもらうこと、何日も頭の中を新聞でいっぱいにして、頑張った。初めて、自分のなかの湧き上がるものと向きあった。
ーおじいちゃんがちほうしょうになったよー
そんな題名にした記憶がある。帽子をかぶって徘徊している挿絵もつけた。
授業参観後、家で母にすごく怒られた。
よくわからないまま、やってはいけないことをしてしまったと謝罪し、しゃくりあげ、疲れて眠った。
小さい頃は、時間ができると図書館にある本の背表紙を見てまわった。右から左に視線を移動しながら、上から下、館内の棚を焦りながら眺めてまわる。閉館までの時間、少しざらざらとした気持ち。10冊は借りることができる。片手で支える本の山の重さ。
大人になって、同じように文字を追うため、ネットをしている。焦りも充実感も感じない。
noteを使い始めて11回目。誰に遠慮するわけではなく、でも他人の眼も存在する場で文字を書く作業。久しぶりにざらざらとした気持ちを思った。
これまで、真似をしたり、模写をすることは難なくできた。でも、やりたいことを見定める、自分の中から湧き上がるなにかは感じられない。ずっと苦手だった。
その呪いか、子供たちをモンテッソーリ園に入れるために、引越しをした。小学校から評判の良い造形教室へ通わせた。
才能あふれる親友は、脚本を芝居という形にかえる。25年前同じスタートを切ったはずの友達は、遺跡発掘という夢を叶えている。
自分は何もしていないのに、ちょっと羨ましいと呟く。
学生時代に、尊敬する詩人に遠慮のない質問をしたことがある。作品をうみだすって、どんな感じですか?それはそれは真剣に、答えてくれた。
こどももつくらずよい年をして、おれはなにをやっているのだろうともおもう
世間からもどうみられているのか
うみだすことは、とても苦しい
作品はこどもなんです
先生が60歳頃の話。悔しくも、曖昧な記憶。
そのことばを、改めて大事に思う。
遠回りしてきた記憶を、頭の片隅でみつめている。ざらざらと少し焦った気持ちに追い込まれていく。
蓋のへりをこじあけ、苦しみを感じようとする。
うみだすことは、とても苦しいらしい。
自分の中から湧き上がるなにかを求めている。
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