麻雀百人一首 休憩中 『麻雀はギャンブルか競技か?』
麻雀百人一首「あ」の段が終わったので、牌交換休憩します。
百人一首じゃなくて「かるた」じゃないのか? まぁそれはいいとして。。。
ホットありありで休憩をば。
■休憩中雑談
『麻雀はギャンブル?競技?』
麻雀をギャンブルとだけで捉えてしまうと、これまた、つまらん物になる。勝ったか負けたかの要因はどうでもよくなり、お金の多寡での結果にしか感動できなくなる。
ギャンブルとしか考えられないのなら、パチンコでも、競馬でも、カジノでも、究極言うと、ジャンケンでもなんでもよかろう。
しかしながら、お金だけに執着すると麻雀は勝てない。
お金にこだわると、流れが悪くなった時、負け越している時、ここぞというところで弱気になり勝負牌が打てなくなるのだ。
かといって、ノーレートで全ツッパばかりして打っていてもこれまた勝てないし強くもならない。。
バランスが重要なのだ。
健康マージャンが最近増えているように思う。これは大変すばらしいことだと思っているし大賛成派である。
医学的に痴呆の予防になるという発表もでているし、競技としても世間に認められてきた証拠だろう。また新しい人脈を作る場としても大いに活用できる。
だが!
ノーレートばかりで、一度も「お金を賭けて」麻雀をやったことのない人がいるだろう?
そういう人は、ある一定以上の強さを超えられないと私は考える。
漫画ハンターハンターの「念能力」を使えるか使えないかというレベルと言ってもいいくらいだ。(知らない人はすまぬ。)
他の表現だと、、、
「童貞か童貞じゃないか」
と言ってもよいのではないか!!?(笑)
別に、賭博を推奨しているわけではない。
賭博は一応法律で禁止されている。
しかし、「何か失うと辛いもの」を賭けて打つということと、ただ「遊戯として打つ」ということは、使う脳のエリアが異なるということを言いたい。
「失うと辛いもの」というのは、もちろんお金でなくても良い。
まぁしかし、だいたい共通するのはお金が判りやすいだろう。
別に土地の権利証や血液を賭けるのもよいが、それは漫画の見過ぎであると思うし、人生そうなる前にギャンブルからは足を洗おう!
お菓子やジュースでも良いが、それではあまりにも気合が入らない。ジュースだとペットボトル1年分くらい張らないといかん。
「賭けなくても楽しい」という人は結構いる。
まぁ、そういう考えの人はそれでよい。
そういう場所だけに行けばよいのだ。
だが、今まで何かを賭けて打ったことが無いという人は、一度は絶対に経験すべきである。
ノーレートで打っている時より脳が活性化してヒリついているのが体感できる。そして確率を超えた何かひらめきのようなものが必ず身に付き、ここぞという勝負牌が打てるようになる。
この話は、麻雀が「強い」のか「上手い」のかこの辺にも関わってくる。
※この話は次回の牌交換時にでも雑談しよう。
別にわざわざ賭場に足を運ばなくても、身内や友達同士でも良いのだ。
ただしあまり高額レートにすると、人間関係が悪くなるので「ちょっと痛い!」くらいの設定で全く構わない。
麻雀、またトランプ等もしかり、色んなゲームはそもそも何かの奪い合いの為に作られていると思っている。
一般的にギャンブルとは言われないが、将棋だってタイトルの奪い合いじゃないか。タイトルには賞金が付いている。純粋に対局だけ楽しんでいても食えないしつまらんだろう。
もちろんギャンブルにハマりすぎるのは絶対によくない。
だが、ヒリつく感覚を知らなすぎても決して強くはならないぞ。
そして結果、
麻雀はギャンブルなのか競技なのか!?
についてだが・・・・