選んだ男
言いまちがえた。それに気づいたのは家に帰ってからだった。
ぼくはもういちど靴を履き玄関を飛び出した。彼女はもう帰ってしまっただろう。でもぼくは走らずにはいられなかった。
さっきまで彼女と会っていた喫茶店が見えてきた。
息を切らしたまま店に飛び込む。入り口から座っていた席を見る。彼女はいなかった。あきらめきれず席の前まで行く。テーブルはまだ片づけられていない。背中から声を掛けられた。
「どうしたの?」
振り向くと彼女が手をハンカチで拭きながら立っていた。ミニスカートから覗く形のいい白い足にぼくの鼓動が速くなった。
「あ、あの」
続きが出てこなかった。彼女の口が弧を描いた。
「ま、座れば」
促されるままぼくはイスに腰を下ろした。向かいに彼女も座った。
「で、どうしたの?」
彼女が足を組み背もたれにもたれかかった。漂う真っ赤なハイヒールに目が吸い寄せられる。
ぼくは固まったままなんとか答えようと頑張った。
「いや、あの。さっきはゴメン」
彼女が腕を組んだ。胸が強調されぼくは目のやり場に困った。彼女がぼくをにらんだ。
大きな切れ長の目で見つめられ、ぼくは目が泳いだ。彼女は手を顔の前にかざし、自分の美しい爪を眺めた。
「ふうん、で?」
ぼくは、低く頭を下げた。
「とにかく、ごめんなさい」
頭を下げたままぼくは続けた。
「言いまちがえたんだ。本当に言いたかったのは、『あなたみたいになれっこない』じゃなくて、『あなたのようになりたい』だった」
ぼくはテーブルの上に両手をついた。
「あなたみたいに美人に、ぼくの気持ちなんかわからないと思って」
ぼくは頭をテーブルの上にすりつけた。
彼女がカバンから一枚の写真を取り出しテーブルの上に置いた。
「なれるわ。ホントよ」
ぼくが顔を上げると、そこにはお世辞にもカッコいいとは言えない太ったメガネの男がうつっていた。気弱そうな表情でどう見てもモテそうにない男だ。彼女は自分の人差し指で写真の男を叩いた。
「これが三年前のわたし」
写真の人物はどう見ても男だ。ぼくは彼女と写真を繰り返し見比べた。性別はもちろん、シルエットすら彼女とは完全に別人だ。しいて言えば目元に面影がなくもない。今目の前にいる彼女はスタイル抜群で、誰からも愛されそうな愛らしい顔をしている。彼女は女性らしい仕草でもういちどゆっくりと腕を組んだ。
「人はね、選べるの。性別も、見た目もね」
腕をほどき、彼女が真剣な顔でこちらへ身を乗り出した。ぼくがなりたい理想の顔が目の前に来た。ぼくは目をそらしそうになったがなんとか耐えた。彼女は続けた。
「あなただって」
彼女の顔はゆるんで、ぼくにウインクしてみせた。
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