五十五一六
家のそばの住宅地を母とふたりで歩いていた。ぼくは歩きながらヘッドホンで音楽を聞きながらだった。ヘッドホンからはドラムとギター、ベースのシンプルなスリーピースバンドの曲が流れている。太くあたたかい男性ボーカルが自然に耳に入ってきた。リズムに合わせて歩くのは気分がいい。 今日は母の買い物に付き合った帰りで、もうすぐ家に着く。 母の後をついて歩いていると近所の公民館で、お葬式をしているのを見つけた。ぼくが足を止めたタイミングで母も立ち止まった。 参列者は二、三十人はいるだろうか。集
カウンターの奥でグラスを磨いていると店のドアが開いた。 わたしはドアの方を見ずに声を掛けた。 「悪いんですがまだ開店前です。お引き取りを」 この店は深夜だけの営業だ。稀なことだがそれがわからず、開店前に入ろうとする客がいる。 ドアの方からしわがれた太い声が聞こえてきた。 「ワシは客じゃない。ここの客に用事があるんだ」 わたしはドアの方向を見た。ドアと、その横の丸いすりガラスの窓から西日が入ってきていた。逆光で姿は見えにくい。シルエットの腰が曲がっていた。逆光に目が慣れてくると
最後の球がパチンコ台の下の穴に吸い込まれた。 「ちっ、全部すっちまった。けったくそ悪い、帰ろ」 オレはタバコを灰皿に押し付けるとイスから立ち上がった。けたたましいアナウンスとBGMと球を弾く音が耳を覆い息苦しい。打ってるときは気にならないんだがなあ。オレは打っている人とタバコの煙をよけながら出口へと向かう。 ガラス戸に近づくと、店内の騒音で消されていた激しい雨の音が聞こえてきた。 「雨か。さっきまで晴れてたのに」 肩を落として小さくつぶやく。 濡れていくか。 足元を見ると店用
ぼくがネットで、大好きな子犬のかわいい動画を見ていると、後ろから声が聞こえた。 「そんなんがええんか」 「え?」 思わず声が出た。そこにはだれもいないはずだ。 ぼくはイスの上でおそるおそる後ろを振り向いた。 周りを見まわす。飼い犬のミニチュアダックスがクッションの上で丸くなって寝ているだけだった。 聞き間違えだろう。 ぼくはまたパソコンのほうに向きを変え、動画の再生ボタンを押した。 「ふん。こっちの気もしらんと」 背後から聞こえた。ぼくはまた振り返った。 飼い犬が短い足で立ち
彼氏に振られた。わたしは昨日の夜から今朝までベッドで泣いて過ごした。 泣きはらした目で左腕の内側を見る。そこにはスマートホンがある。スマホの時刻が正午を示していた。わたしは睡眠不足でうまく働かない頭で、このスマートホンのことを考えていた。 スマホは、腕に取り付けられているんじゃない。腕の中に取り付けてある。その部分だけ透き通った腕の、外側から画面を見たり操作することができるようになっている。 スマホは持ち歩くタイプに始まり、腕時計タイプを経由、この生体埋め込みタイプは、ウェア
わたしは階段を上り詰めた。 ドアを開けると夜と潮の匂いが鼻をくすぐった。 目の前を、ひとつ目小僧のような大きな光が左から右へ一方通行で回る。わたしは灯台のてっぺんに着いていた。光は永遠に繰り返されていた。 わたしは灯台の一番上、柵から乗り出して下を見下ろす。風がスカートの裾をはためかせた。 ここまで載せてもらったタクシーの運転手の声が頭に響いた。 「あの灯台から飛び降りた自殺者は、あっちの岬であがるんですよ」 自殺者の水先案内までしてくれるなんて、わたしもそう見えたのかしら。
ぼくは熱したフライパンに卵を割った。 黄身がふたつ出た。やった、あたりだ。 ひとつを自分で食べて、もうひとつはあとで食べる娘のために皿に載せ、家を出た。 本当なら小さな娘をひとりで置いておくのは心配だが、働かざるもの食うべからず。しかたがない。 わたしは玄関が閉まる音で目が覚めた。 眠い目をこすりながらダイニングに向かう。 パパはもう出かけたあとなのだろう。上のほうから焼けたトーストのいいにおいがする。よし。わたしは力をこめ、テーブルのイスによじ登った。 テーブルにはいつも
ぼくは映画館で映画を見ていた。ストーリーは単純だった。よくある学園もののラブコメだ。見ているうちに主役である女の子の、クラスメイトと目が合った。それなりにかわいいが、主人公には及ばない。その子が、ちらちらとこっちを見ているような気がする。いや、脇役だからアップにこそならないが、うつっているすべてのシーンでこちらを見ているようだ。 面白い手法だな。映画の中の人がこっちを見てくるのか。でもそんな演出、普通主役級の登場人物にやらせるよな。あんな脇役にやらせて、意味あるのだろうか。い
言いまちがえた。それに気づいたのは家に帰ってからだった。 ぼくはもういちど靴を履き玄関を飛び出した。彼女はもう帰ってしまっただろう。でもぼくは走らずにはいられなかった。 さっきまで彼女と会っていた喫茶店が見えてきた。 息を切らしたまま店に飛び込む。入り口から座っていた席を見る。彼女はいなかった。あきらめきれず席の前まで行く。テーブルはまだ片づけられていない。背中から声を掛けられた。 「どうしたの?」 振り向くと彼女が手をハンカチで拭きながら立っていた。ミニスカートから覗く形の
目が覚めると、わたしは知らない男の人に口づけされていた。男を突きとばし、悲鳴をあげる。 男はわたしの勢いに負けてあとずさりした。彼は、ズリ落ちそうな頭の王冠を手で押さえる。 「ぼ、ぼくは、となりの国の、王子…」 わたしはベッドから立ち上がり男をにらみつけた。 「王子だからってなに?あなたのやってることはね!建造物侵入、密入国、強制猥褻、空き巣に強盗にあたるわよ!」 男はその場にへたり込んだ。 「い、言い伝えのねむりひめを、た、助けに来ただけなのに…」 男の顔を見ているとピンと
道を歩いていると学生時代の友人とばったり会った。彼とは同じサークルだった。 それにしても暑い。日陰に入ろうにも、今がいちばん影の短い時間帯だ。 彼は汗をハンカチでぬぐった。 「おう、家近いのに大学以来だな」 ぼくはハンカチのかわりにTシャツの袖で汗を拭いた。短く返す。 「元気か?」 ぼくは暑くて頭がぼんやりしていた。 「よかったらあれだ。涼みに喫茶店でも入ろうぜ。つもる話もあるし」 彼は笑いながらかぶりをふった。 「いやあ、今から妻と予定があってな、待ち合わせてるんだ」 奥さ
会社から出ると日がくれていた。わたしはため息をひとつついた。まあ、いつものことだけど。言い聞かせるようにつぶやく。 空を見上げると西の空に、絵に描いたような三日月が浮かんでいた。 このまま帰ろうか、それとも彼氏の家に寄ろうか。式の打ち合わせもしたほうがいいだろうしな。 空を見上げていた視線を下ろす。見たことのある顔が会社の向かいの角を曲がるところだった。 角を曲がった男は、同じ課の新人だった。仕事は抜群にできるがわたしは彼のことをあんまり好きじゃない。あまり同僚と話さず、プラ
転がり落ちた。彼はわたしの手を離さなかった。わたしも彼といっしょに土手を転がる。 「なにすんのよ!」 言いながらも、わたしは笑いが止まらなかった。アゴがはずれるかと思った。 はずみがついて、わたしたちは転がり続けた。 彼はいつもついてない。 家を出ようとするとドアで手を挟む。 道路に出たら犬のうんこを踏みそうになり、よけた足が側溝にはまって転ぶ。 彼に会うと、いつもメガネはひび割れているし、ジーンズには、いま破れました的にひざが破れている。 かく言うわたしもついて
空き地の日差しが夕焼けに変わってきていた。 みんなと野球するのは楽しいけど、もう帰らなきゃ。 「ぼく、家、あっちのほうだから」 言うと返事も待たずに走り出した。 バレなかった。自分の顔がにやけているのを感じる。 走りながら野球帽をさらに深くかぶった。 夕日が、歩くぼくらの顔を赤く染めていた。 前をいくケンがぼくのほうを振り向いた。 「てっちゃん、さっき先帰ったヤツ、知ってる?」 おれは答える。 「あの、帽子かぶったチビ?いや、ケンは知ってんの?」 ケンが後ろを向いて歩き
部屋のドアが開いた。母の顔がのぞく。 「学校なんて行ったらダメ!あんなとこ行かなくていい!」 わたしに叫ぶように言い放つとドアが閉まった。閉まりぎわの母の顔は、久しぶりに笑顔だったように見えた。いったいどうしたのだろう。昨日までと180度違う。でも、そんなのどうでもいい。 わたしは、自分の心が軽くなるのを感じた。 ああ最高!わたし、今日、学校、行かなくてもいいんだ。 わたしはベッドの上にダイブした。 部屋の外では腰の曲がった老婆と、白衣の男が顔を突き合わせていた。 老婆
麦茶を飲もうと冷蔵庫を開けたら小松菜が入っていた。 取り出してテーブルに置く。椅子に座って腕組みしたまま小松菜を見つめる。小松菜は、ぐるっとビニールに包まれたスーパーなんかで売っている普通のヤツだ。 わたしに買った覚えはない。そしてわたしはひとり暮らしだ。 小松菜が自分で冷蔵庫に入るわけはあるまい。だれが?わたしが夢遊病で? そうだ、値札。 値札を見ればなにかわかるはず。小松菜を手に取り、前後左右くまなく見たが手がかりになるものはなかった。わたしはもういちど腕組みして小