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海風

わたしは階段を上り詰めた。
ドアを開けると夜と潮の匂いが鼻をくすぐった。
目の前を、ひとつ目小僧のような大きな光が左から右へ一方通行で回る。わたしは灯台のてっぺんに着いていた。光は永遠に繰り返されていた。
わたしは灯台の一番上、柵から乗り出して下を見下ろす。風がスカートの裾をはためかせた。
ここまで載せてもらったタクシーの運転手の声が頭に響いた。
「あの灯台から飛び降りた自殺者は、あっちの岬であがるんですよ」
自殺者の水先案内までしてくれるなんて、わたしもそう見えたのかしら。まだそんな予定はないのに。くちびるが笑みの形を作っているのに気がついた。
はじめて灯台に来たのは父親の生業、灯台守を体感したかったからだ。昨年他界した父が、灯台守にこだわった理由を知りたかった。
現代の灯台には灯台守は居ない。コンピュータ制御の灯台は、半年に一回ていど、点検に人が訪れれば十分だった。
父が現役だった頃、灯台に行きたいと告げると父はいい顔はしなかった。結局、最後まで公私混同だと言って連れて行ってもらえなかった。
あるとき、わたしが泣いて駄々をこねているのを見かねて母が声を掛けてきた。
「あんな、お父さんがあかんっていうのは仕事の邪魔になるからだけやないんやで」
わたしは泣いたまま返事をした。
「え?」
母は目を細めて続けた。母はポケットから折り皺のついたスナップ写真を取り出した。写真にはわたしと同じ六歳くらいだろうか、見たことのない男の子が笑顔で写っていた。
「あんたにはほんまはお兄ちゃんがおってん」
はじめての告白だった。
「お兄ちゃん?わたしに?」
わたしは自分の目が丸くなっているのを感じた。
「お父さんはそれはかわいがってた。灯台にも何回も連れて行ったもんや」
母は思い出すように完全に目を閉じた。わたしは母を睨んだ。
「じゃあわたしも連れて行ってくれたらええやないの」
母が首をゆっくりと振った。
「でもな、あんたの兄ちゃん、灯台から飛び降りよったんや。ふらふらぁっと魅入られたようやったって言っとったわ、父さん」
母が目を開いた。
「あの子、笑っとったらしいわ」

灯台の回る光が息子を狂わせた。父はその後死ぬまで母に何度もそう言ったと聞いた。
そして連れて行った自分を責めていたとも。
わたしは空を仰いで目を閉じた。目を閉じても光の点滅を感じられた。わたしは想像のなかの兄に声を掛けた。
兄は想像するたんび笑っていた。
「お兄ちゃん。笑いながら死ぬってどんな気分?」
わたしは、ほんの少しだけ兄を羨ましく思った。

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