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【ショートショート】 ミニオンズ

娘とミニオンズの映画を観に行って以来、ミニオンズの幻覚を見るようになったことをずっと隠している。
仕事の重圧と過労のせいだろうと、しばらく放置していたのだが、日を追うごとに鮮明に見えるようになった。最近では声も聞こえるようになり、状況はますます悪化の一途を辿っている。
仕事柄、責任ある立場だから精神科にかかることは躊躇われる。何かしらの病名が明らかにはなるだろうが、認めたくない気持ちが勝って、病院の敷居を跨ぐことができなかった。病気になんてなっていられない。家族のためにもバリバリ働かなければならないのだ。
以来、ずっと隠してきた。ある時は、クレーム対応の謝罪の席で、先方の頭上に乗って楽しそうにするミニオンズ…(ミニオンズにはそれぞれに名前があるようだが、そこまではわからない)を見ていると、緊張がほぐれるといったことがあった。思わず頬が緩んでしまい、危うく先方に見つかるところだった。
また、ある時は終電で帰宅途中のガランとした車内で、ミニオンズが走り回っているのを見ては、なんだか疲れが癒されてゆくのを感じた。
後から乗り込んできたOLには見えないようだったから、やはり僕にしか見えないのだと思う。実際にはいないはずだから、見える方が異常なのだ。幻覚とはそういうものである。
あるいは幽霊が見えるというものと同じようなことだろうか。信じる気持ちが強くなると、物理的には存在しないものまで見えるようになるという。とするならば、僕はミニオンズの存在を信じたいということになる。
見えるか見えないかは、信じるか信じないかが分岐点となるのなら、信じた方がいい。ミニオンズのいない世界よりも、ミニオンズのいる世界であってほしいとは思う。そんな気持ちが心のどこかにあるから、ミニオンズは僕の前に現れるのかもしれない。
「あ!危ない!」
ミニオンズが車に轢かれそうになったのを、間一髪のところで救った。どうやら僕の声はミニオンズに届くようだ。そのうち会話ができるようになるのだろうか。いよいよ僕の症状は深刻なのかもしれない。これから、どうなってしまうのだろう。
先ほどから娘の周りを3匹のミニオンズが走り回っているが、4歳児の彼女はまったく気づかないように見える。彼女のすぐ隣を通り抜けても、まったく何の反応も示さない。
もちろん、いくら幼児とはいえ、ミニオンズが見えるかどうかを確認することは憚られる。最近、彼女は「ウソツキ」という言葉を覚え、何かにつけて乱用するようになったからだ。嘘つき呼ばわりされても困る。
「ケビン」
娘が道端で微笑んだ。
「ケビン?」
娘とミニオンズを交互に見る。
「パパ、ケビンと遊んでくる」
「見えるの?」
「ずっとおともだち」
見えていたのだ。ずっと娘は見えていたのだ。ミニオンズの存在が当たり前過ぎて反応しなかっただけなのだ。空気のように。
と、いうことは、どういうことだ?
僕と娘が異常なのか、それともミニオンズは本当に存在しているのか。次は妻に聞いてみるとしよう。病院はそれからでも遅くない。


(1244字)


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