【1章-3】50代バツ2独身ジョブホッパーが辿り着いた「自分探しの旅に終わりはあるか?ないか?」
環境を変えても、何も変わらない?
ネイルを続けながら、あっという間に40歳を超えた私。自営での仕事は融通が効き、人間関係にも悩まされず楽しくやりがいもあったが、2度目の結婚で鬱を発症した。原因としては、お姑さんとの同居である。細かいことは後に書くとして、ネイルサロンを自分がどこまで責任を負えるか、雇っていたネイリストのメンバーの今後のことを考えると、これ以上ネイルサロンを続けていくことは難しいとネイルサロンを閉店する決断をした。メンバーに任せるなど、少し無理をすれば継続はできたかもしれないが、自分の年齢を考えると、もしどこかに就職するとしたら限界だなという思いもあり、それと同時に体のことを優先して、離婚もすることに。 その後、体調が落ち着くまで半年以上かかったので、閉店して離婚をし、すべてを手放す選択をしたことは正解だったと思う。
病状の回復後、知り合いの会社の立ち上げに関わった。中国人の知人が本格的に日本で活動するための会社の立ち上げだった。彼女は私よりも若くバイタリティも頭の良さも兼ね備えていて、日本語がネイティブ並みにうまかった。彼女は社長で、私を秘書という立場で雇い、時には姉のように慕ってくれた。二人三脚で何でもやってきた。
中国人の性質なのか、とても面倒見がよかったし、プライベートのことにあまり距離感がなかった。何でも任せてくれて会社を立ち上げていくのはとても楽しかったしやりがいを感じた。ここでも、待遇はとてもよかった。
しかし、時間が経つうちに、彼女のリーダーシップが強引さに感じるようになった。社長のツテから、スタッフも増えたが、中国人ばかりで、中には中国語しかわからない人もいて、社内の公用語はほぼ中国語。もちろん仕事の指示は日本語だし、彼女の面倒みの良さも変わらなかったが、いつしか言葉がわからない疎外感や、それに伴い信頼感も薄れてきた。
日本文化にどっぷりはまっている私と、日本語が話せるとはいえ異国の文化を持つスタッフや社長との意思交流が苦痛になってきたのだ。
そして我慢の限界を迎えブチ切れ同然で辞めた。今考えれば、いろいろと思うことはあるけれど、またしても厚待遇の仕事を自分から捨ててしまった。
その後私は若い頃に携わった人事関連の仕事に戻り人事のキャリアを積み上げることになる。人事の仕事はとても性にあっていて、働く人がイキイキと活躍できる会社や環境を作るサポートができたり、人材の成長を見ていくことはとても楽しいと感じていた。
そこからの転職もとてもラッキーで50歳目前になっても正社員として就職できたり、一部上場企業への転職ができた。普通なら、そんな恵まれた環境を手放さないだろう。2度目の離婚をしてからは、独身・子供なしという身軽さだったからか、結局は2~3年で辞めてしまった。
それにしても、改めて思い出してみると、私はかなり仕事運はあったのかもしれない(笑)
そして、毎回結局同じようなシチュエーションが現れてくることに気づいたのはその頃で「どこ行っても同じだよ。」「どこにでもそういう人はいるよ。」という過去の同僚の言葉の意味は、ようやくわかってきた。
確かに、どこにいってもそういう人はいるし、意見の違いなどはあることは、なんとなくは理解できたが、そこを妥協できなかったのは私の性格や考え方が偏っていたのかもしれないと、時には自責したり、時には他責したりしながら過ごしてきた。
結局は考えても答えがわからず、他人は変えられない!ならば私が転職するまでだ!次こそは辞めないぞ!と心に決めて、転職に挑んでいた。
生きやすい場所を求めて
転職の理由のほとんどは人間関係のストレスで、また自分が理不尽だと感じてしまう環境を許せない部分があった。自分が不当な扱いを受けたというよりも、納得できないことに全力で抗う。権力を使って大声を出す人が嫌いだった。
例えば、ワンマンの社長のパワハラめいた態度や、プライベートを混同している上司。私は、なんでそういう言い方するの?なんでそんなことするの?とはっきり言えるタイプでもないし、はっきり言えるほどのエビデンスを持っていなかったから、そんな思いや不満は自分の中に澱のように溜まる一方で、限界がくると苦しくなって爆発して、極端な退職という選択をしてしまうのだった。
もちろん、小出しに伝えるとか、相手に納得してもらえるような伝え方の最良のテクニックは持ち合わせていなかった。過去に何度か試みたこともあるが、私の伝え方のせいか、タイミングのせいか、思った通りの結果に至らなかったことも、のちに「どうせ言っても無駄」という思いになったのかもしれない。
そんな風に考えられる今なら、なぜジョブホッピングを繰り返したのか、その時々によっての解釈はあれど、いつもどこかで自分の思っているものと何かが違うという違和感や生きづらさを感じ、次は失敗しないぞ!と意気込みだけで生きてきたのだ。根本原因とは向き合わずに。
続く・・・