運ばれているわたしたち
出来事はうまく流れている。
「私はいない」
とか
「何もコントロールできないし、誰もコントロールしていない」
などと言われるけれど、
わかるような、わからないような。
今日も私は「私はいる」と思って生きている。
株式会社と同じような「概念」だとは思うけれど。
先月、急遽決まったパピーウォーカー。それが決まる前に引き受けた仕事が1つあり、パピー受け入れ翌日にスタートする予定だった。
ちょっと大変かもな・・・と思っていたところ、先方の都合で1週間後ろ倒しのスケジュールに変更になった。
寝不足でフラフラしていた時期をうまくかわして、いつものように仕事のデータはやってきた。
ポタジェの野菜。
私たちが植え付けたけれど、その後は自然に育ってくれる。
黒いトマトも赤いオクラもキレイにできた。
先日、「なんだかなぁ」と思う出来事があった。
他者も絡む出来事で、「無責任」や「自分勝手」などの批判めいた言葉が私の中で湧き上がってくるような出来事だった。
でも、その出来事によって空いたスペースに、自分が望んでいた新しい存在が入ってきた。今の私にはその「新しい存在」の方がしっくりくる。
一事が万事、塞翁が馬。
わたしたちは「動いている」ように見えて「運ばれている」のかもしれない。
さて、後ろ倒しになった仕事は現在進行形のまま、オンスケジュールで次の仕事がやってきた。
この重なりも、塞翁が馬か。