人生の重荷リリース②:母が宗教に入って生きづらくなった子供の話

衝撃の「サンタさん終了宣言」のその後。

サンタが私の世界から消えても、私は世界から消滅することはなく、日常は粛々と続きました。父も母も変わらずに存在し、弟も変わらずに存在していました。

変化の兆し

通う場所は、幼稚園から小学校に変わりました。12月生まれで体が小さかった私は、幼稚園時代は体格のいい子に遅れをとることも多く、楽な時代ではなかったと記憶しています。しかし一転。小学校は楽しくて楽しくて。基本的に学ぶことが好きな性格で、学校の勉強も楽しかったし、体を動かすのも、友達と遊ぶのも、ひたすら楽しかった記憶しかありません。楽しすぎて、その頃の将来の夢は「小学校の先生」。理由は、「ずっと小学校にいたいから」という、なんとも純粋でかわいらしいものでした。

そんな楽しい暮らしの中に、異質なものが入り込んできました。
変化の兆しは、学校から家に帰ったときの光景に現れました。

週に2回くらい、若い女性2人組が母のもとに通ってくるのです。優しく柔和な雰囲気の女性たちで、帰宅した私にも優しく声をかけてくれました。私の帰宅が、「そろそろお暇します」のタイミングになっていたようで、挨拶をして礼儀正しく帰っていかれました。そんな光景が幾たびか続いた後、私は思い切って聞いてみました。出したお茶の片付けをしている母に、「あの人たちは何をしに来ているの?」と。

「聖書のお勉強。無料で聖書を教えてもらっているの。」

まず、聖書ってナンデスカ~?から話は始まったと思うのだけど、そこまで細かいやり取りは覚えていません。

ただ、学校が好きで勉強が好きだった私には、母が「勉強」をすることに反対する気持ちはなかったように思います。

ちなみに、母の大好物は「無料」と「月賦(ローンの古語)」。優しい女性二人組の「無料で聖書をお勉強」攻撃に抗えるはずもありません(笑)。

母の宗教

さて、ここまでお読みいただいて、お分かりになった方もそうでない方もいると思いますが、これが母が「エホバの証人」に入信した当初の様子です。

こうして私の気持ちを交えながら時系列に書き出すと、かなり長くなりそうです。

概要のみを先に整理しますと、

◆ 母が「エホバの証人」になっちゃった
 (私が幼稚園年長~小学校入学のころ)

◆ 父はエホバの証人ではなく、その後も一度も入信しませんでした

◆ 私と弟は母の活動に巻き込まれ、自分の意志とは無関係に「エホバの証人の子供」として生きました
 父は介入せず。「父の国(無宗教、一般人)」と「母の国(エホバの証人、この世の人との交わりは禁止)」に家庭内分裂。幼かった私と弟は、選択肢は与えられず「母の国」に無条件降伏。

◆ 中2~中3くらいで、私は離脱
 その後、弟、母も離脱し、今では完全に無縁です。
 エホバの証人の子供ということで、生きにくい学校生活を送りました。嫌な思いもたくさんしました。
  
 抜けるのは簡単で、ただ「行かなくなる」「参加しなくなる」という選択をするだけです。
 

また追々記述しますが、私はとても嫌だったエホバの証人活動ですが、そこにいる人々(信者さんたち)はとても優しい人たちです。宗教にありがちな、ノルマや拘束もなく、自由意志が基本です(事実上、子供は親に強制されてるんだけども)。だから「行かなく」なれば、離れられるのです。兄弟姉妹(これも追々説明しますが、信者さんたちのことです)から、お声がけ、お手紙の投函、など引き留める働きかけはありますが、それでも「行かない」という選択をすれば終わります。

この連載投稿の目的

離脱して、30年以上は経過しています。
私の日常に、この宗教はもうありません。

けれど、小学生~中学生の間、植え付けられた「考え方」「生き方」と「社会との関わり方」は、一生消えることなく思考の「もと」となっているのだと思います。

だから、私は今でも「普通じゃない」「大衆(多数派の一般人)から変な人だと思われている」と自分のことを思っているきらいがあります。

凸凹というより、凹凹な子供時代を送ってきた私で、ひたすらそれを隠してきましたが、ここでカミングアウトしちゃいました。こうして書いて整理すると、思い出して怒りも沸いてきますが、まあ今にして思えば大したこともないかな、それほど恥ずかしいことでもないかな(そもそも私のせいじゃないし)、と思える部分もなくはないです。

多分、世の中には私と同じ境遇の方が少なからずいらっしゃることと存じます。

あなたは、どのように生きて、どんなことを今感じていますか?

気持ちのよい毎日を過ごせていますか?

生きづらさを感じていますか?


私が母に連れられて通っていた当時、同年代の子供もたくさんいました。そして、「エホバの証人の子供あるある」で、「体が弱い」と親がお悩みの子も結構いるんですよね。「体が弱い」の「あるある症状」は「火曜日と木曜日と日曜日に頭痛になる」というもので、私も度々発症していました。本当に頭が痛かったこともあったし、頭が痛くなるように頑張った(?!)こともありました。そして、同世代の子の中にも、私と同じように頭痛を発症しやすい子がいましたよ。

火曜日と木曜日と日曜日は、「集会」といわれる「聖書の勉強会(1回あたり2時間)」のある日で、まあ、これに行きたくないわけです。面白くないし。2時間ひたすらいい子で座っていなければならない、苦行の時間なのです。頭痛なり体調が悪いと、その日は自分だけ集会を休めた(自宅待機、親は集会に出かけるよ)のです。まぁ、毎回は無理でしたけども。

また追々記述しますが、集会に行きたくない子は頭痛もちになる子が多かったですね(笑)。母親同士が、「〇〇ちゃん、また頭痛くなっちゃったの?うちもよ~」「どこかの大学病院に連れていった方がいいのかしら~」なんて会話をしている姿も散見されました(笑)。


もし、わかるわかる、あったあった、と話せる方がいるのならば、いつかどこかで話をしてみたいです。

ゆきちゃん、ゆみちゃん、元気かな。
私と同じくらい頭痛を頻発していたゆきちゃん(笑)は、きっと辞めていると思うけど、私が抜けた後もまだ通っていたゆみちゃんはまだ続けているのでしょうか。

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これは、自分の背負ってきた重荷をリリースする試みで書いている記事です。

目にとめてくださった方には、深刻にならず、読み飛ばしていただければ幸いです。

また、少しずつまとめながら書いていこうと思います。

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