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おやこのきろく:ハハの日

数日前からこどもたちがコソコソしてた。
わたしはとても楽しみだった。
買い物から戻ると、
恥ずかしそうに首を伸ばして、
「母の日おめでとう」の言葉とともに、
折り紙と絵と手紙のプレゼントが差し出された。

折り紙のボックスに入ったビーズの指輪と、
長い時間をかけて書いた絵。

この子たちは、
私が大好きなのだ。
普段は言わなくても伝わっていると思うほどに。
私の重く深い愛より、
ずっと純粋に。


昨日は大変だった。
電車のなか、
5歳の妹とコトバのやり取りで衝突して、
7歳の兄が泣き出した。
いつも先に泣くのは息子だ。
悲しくても、痛くても、怒っても、
彼の表現は泣くことだ。
それも耳を塞ぎたくなるような大声で。

止められないのだ。
彼の感情の波は高くて、
なかなかひかない。
涙を飲み込めないし、
怒りはマグマのごとく煮えたぎり、
冷えるまでには時間を要する。

降りるまであと二駅。
気を紛らす声掛けをするが、
一筋縄ではない。
私の感情の泉もふつふつと、
赤黒く、燃えてくる。

人の目。
生理前の精神不安定さ。
私だって同じ、
止められなかった。

最寄り駅に降りて、
自動販売機の横に潜むようにして、
愚痴をこぼす。
泣き止まない彼に苛立って、
何かもっと酷いことを口走ってしまいそうだった。

だから「いまは一緒にいないほうがいい、いられない」と、
どれだけ話をしても納得できず、
自分の主張だけで怒り泣きする息子は旦那に託し、
娘の手をひいて駅を出た。

駅からさらに響く声がした。
叫ぶようだったが、
私は逃げるように家に帰った。
その間に少なくとも私のマグマが治まるように。

時間差で帰ってきた息子が言った。
「置いてかれて悲しかった」と。
そもそも電車内で泣き始めた出来事は、
もうその時の彼の頭にはなかった。
ある意味気が紛れたのだが、
違うトピックで感情的になっていた。

置いて行ったというつもりはなくて、
お父さんに託したつもりだったのだが、
彼からしたらお母さんは、
妹だけ連れて僕を置いていったのだった。

その言葉を聞いて冷静さを取り戻した私は、
「ごめんごめん、お母さんも爆発しそうで」と声をかけ、
ようやく彼にハグできた。
そして本当にようやく、息子も落ち着いた。

ナイーブな彼は、
昔からよく癇癪を起こす。
感情が抑えられず、一目憚らず泣きわめく。
その繊細な気質は、
私に似ている。

泣いている息子を夫に預け、
背中を向けて去る私は、
自分の精神(心)を守った私は、
鬼だろうか。
悪魔だろうか。
それとも彼にとっては、
神だろうか。

何をしろ、何をするな。
言葉で縛り付けられ、
強く生きていくことを押し付けられ、
その通りできなければ、
狭い自由を奪われる。
喜びを与えられ、
肯定され、
抱きしめられると、
万能の力を得られる。
なんてこと、
彼の世界の神にしか、
出来はしまい。

私は神になんてなりたくない。
私は私という人間でいたい。
私の世界の神でいたい。
そして彼の世界の神は、
紛うことなく、
彼でしかないのだ。

分かってはいる。
支配なんて出来ない。
操作なんて出来ない。
だが一生懸命子育てしてるうちに、
母親は、
子供にとって、
神さまみたいになってしまう。

学校で作った母の日の手紙に、
大すきの文字がある。
きっとみんな書かされてる。
でも、
間違いない。
間違いなくこの子たちは本当に、
私が大好きなのだ。
信仰に近いほどに。

前日に電車内かんしゃく事件があったから、
ただ母親であることの大変さを、
改めて考える母の日だった。
子供にとって、ただ母親であること。
神さまではなくて、
母も同じ一人の人間であること。

これだけ近くで生きていて、
毎日ココロ剝き出しに向き合っていて、
愛しあう私と子供たちにとってそれは、
とてもむつかしく、
大変なことなのだ。

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