はじめての月命日。
おもちがお空にいってから1ヶ月が経ちました。
この1ヶ月、色んなことがありました。
2月15日から政府の方針が変わり、新型コロナウイルスに感染して亡くなっても普通にお葬式ができるようになりました。
お葬式までの数日はお家に連れて帰って家族の時間を過ごすことができました。
突然のことで気が回らなくておもちが亡くなったことは一部の人にしか伝えられていなかったのにも関わらず、通夜には会場に入りきらないくらいの人が来てくださいました。久しく会っていない人たちがおもちのために涙を流してくれるのを見て、コロナ禍や闘病で難しかったけど、生きているうちにもっと人に会わせたかったと悔やみました。
夜遅くにも関わらず、なんとか都合をつけて来てくれた友人が「みんな心配してたけど、何て言っていいのか分からなかったんだよ」と教えてくれました。私は子育て中ずっと孤独だったけど、そのとき初めて皆見守ってくれていたのだと気付きました。
通夜・葬儀は春の訪れを感じる暖かい日でした。
綺麗に透き通った青空のもと、沢山のお花に包まれて、おもちはお空に旅立ちました。
最後まで白くてすべすべだったお肌に触れ、自分たちの手でお棺を閉めるのは、今まで生きてきたなかで何事にも比べられないくらい耐え難き瞬間でした。
通夜葬儀が終わり、色んな事務手続きが終わり、ようやく経緯を書き記す気力が出て来ました。おもちのことを心配してくれている人がいたので、胸が抉られる思いはあったものの、なんとか書き記すことができました。
それと同時に、実際に我が家に起こったことを知ってもらい、どうしたら子どもを守れるか考える契機にしてほしい。その想いでTwitterに投稿しました。
正直あそこまで拡散されると思わず驚きましたが、ほとんどの方が見知らぬ我が子のために悲しんでくださったり温かい言葉を投げかけてくれて、その一言一言に心が救われました。
なかにはどうかと思うツイートもありましたが、大半はきちんと読んでいないものや論点がズレているもの、クリティカル・シンキング(批判的思考)ができておらず自分の主張を押し通したいだけのものなどだったため、あまり気にしていませんでした。何より子どもが亡くなってから、そういうことを言える人は幸せだなと思うようになりました。誰が何と言おうと、おもちが亡くなるまでのあの苦しみは味わった人にしか分かるはずがなく、それを知ることなく石を投げる様は荒唐無稽でしかありませんでした。
見知らぬ他人に言われたことは聞き流せましたが、一番応えたのは元からの顔見知りから言われた、一見悪意の無いように見えて酷く心を傷つける言葉たちでした。
今の私たちは本人に指摘することも、広い心を持って接することなどできません。これ以上余計なことに思考を取られたくないので、夫婦で話し合い繋がりを断つことにしました。どうか本当に私たちのことを思い、おもちに哀悼を示してくれるのであれば、金輪際私たちの人生に関わらないでほしいと願っています。
通夜葬儀に来れなかった友人は、わざわざ自宅に訪れて偲んでくれました。月命日の今日も、会社員だった頃の同期夫婦が来てくれました。
みんなおもちのこと「かわいそう」だと涙を流してくれます。しかし、私たちが過ごした2年弱や、お腹のなかにいた数ヶ月はこの上ない幸せな日々でした。今でもあんなに可愛い子の母親になれたことを誇りに思っています。
この1ヶ月過ごすなかで、おもちを「可哀想な子」にするのは私の発言だと気付きました。おもちが居ない悲しみは消えることないけれども、おもちが生きることができなかった今日を、悲しみで押しつぶしたくはありません。悲しみと共に、楽しかった日々を大切に生きていきたいと願っています。
私の拙い文章に沢山の方が想いを寄せてくださりました。
なかには結構な金額をサポートしてくださる方もいて、恐縮するばかりです。ひとりひとりにお礼がお伝えできておらず、申し訳ありません。
いただいた心遣いはお花が好きだったおもちのために使わせていただきます。
私たちはお花を買うことくらいしかおもちのためにお金を使うことはできません。ご厚意はありがたく頂戴しつつ、どうかご自身や他にも必要とされている方のために使ってあげてください。
改めて、お気遣いいただき有難うございました。
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