【読書記録】農本主義ってなんですか?
1.はじめに
農家をやっていると自然に苦しめられることも多々あります。それは災害や天候はもちろん、虫による食害や、菌やウイルスなどの被害などもあります。
私は農本主義という言葉を恥ずかしながらつい最近知ることになりました。今回の書籍を知ったことで認知したのですが、『農業から見た資本主義ということだろうか』という想像をしていました。
農業×資本主義か、なるほど、おもしろいかもしれないなあ。なんて気軽に読み始めるとちょっと面食らってしまうのが今回の書籍です。
宇根豊 著
『農本主義のすすめ』
それでは今回の読書記録、始まります。
2.本を選んだ理由
今回初めてネットで書籍を取り寄せました。
というのも今回の書籍を知ったのは、Twitterで知人から紹介をいただいたのがきっかけだったからです。
前述の通り、農業×資本主義=農本主義だと思った私は『今の資本主義経済に沿った農業の在り方について知見を得られるかも!』と思った私は絶対に読もうと決意したのです。
ここまでで『だと思った』と書いてあることで、読者の皆さまには『違ったのだろうな』という予測をされている方が多いかと思います。
その予測はまさに正しく、私は個人的に全く新しいイデオロギーを知ることになるのでした。
3.農本主義とは
#1 農の在り方
農業と聞いて皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。田畑を耕して、作物を育てて、出荷して、生計を立てる。そんな一連の流れが語られることが多いと思います。
農本主義における『農』というものは、農業とは違うものを指します。
農とは、天地自然の生命循環と、その小さな地域ごとの社会共同体を、耕作を主体として支える働きのことだとしています。
(※理解が及ばず解釈が間違っていたら申し訳ありません。)
そして、『農業』というのはその中でお金になる部分を指すとしています。
#2 農本主義の三大原理
農本主義は三つの原理から成り立つと解説されています。
① 近代化、経済成長とは相容れない
農はあくまで自然と村社会を守るものだと前述しました。
私が収入を得ている『農業』では、たしかに自然の中で作物を育てています。自然の中で収益を得るということは、それを増大させるためには自然の脅威を克服せざるを得ません。
しかし農本主義ではそれは傲慢だとしています。自然のなかで働く農にとって、天候も災害も病害虫も自然の流れのひとつであり、それをどうこうして収益を増大するなど言語道断なのです。
近代化以前の百姓は、米を『つくった』とは言わず、『できた』『穫れた』と言ったそうです。それは自分たちの稲作も、あくまで自然の流れの一部だと理解していたからなのかもしれません。
② 愛国心より愛郷心における自治
小さな村社会の地域共同体を支える役目を担うとしている農において、自治には愛国心などというものよりも愛郷心という自らの在処に根ざした感情が必要だとしています。
そしてここでいう自治とは、現在の地方自治体のような範囲ではなく、より狭い範囲での自治のことを指しています。所謂"ふるさと"とも言えるでしょうか。筆者は『そもそも"地方"自治体という呼び方が、中央に隷属している』として、否定しています。
③ 自然への没入こそが百姓仕事の本質
筆者曰く、現代の人間は生産性を求められる労働で疎外感があるそうです。
そこで農本主義者が提唱する最も人間らしい生き方というものが、『時を忘れ、我を忘れ、悩みを忘れ、経済など眼中に無く、百姓仕事をするとき、はっと我に返ると自然に囲まれている』というものです。
現代においても一部の若者が農に憧れるのは、こういった生き方が新鮮に感じるからではないか。と筆者は綴っています。
4.農本主義から見た資本主義
#1 資本主義への違和感
農を『在処中心の天地自然の中で生きること』として見ると、世界の大半は経済的価値では計れないものです。しかし、社会的には経済で取り扱われることに違和感があると筆者は語ります。
資本主義において、経済成長は不可欠です。それは年々成長・増大していくことを必須としているということです。
しかし農の世界において、土も水も増えませんし、収量も増やすのには限界がありますから、なぜ去年と同じではいけないのか?という違和感を持つのが農本主義者です。
#2 農本主義は資本主義に合わない
ここまで読むと農本主義というのは資本主義に批判的なのだというのが読み取れると思います。ではなぜ合わないのかを著者はいくつかの考えのもとに主張しています。
それは大きく言うと、農が産業化するにあたって、農の大事なものを捨てることになるからだとしています。
そのひとつが、百姓仕事の相手は自然だということです。
これは農の生産者はあくまで自然であり、人間は生産に手を貸しているにすぎないという考えです。しかし、資本主義によって経済成長を求められる農業では、生産技術や生産性の向上が求められており、それは往々にして自然へ負荷がかかるものです。これでは人間が生産しているのだとして、自然の力をタダでもらっているという状態になってしまっています。
この資本主義の傲慢さが農本主義と合わないということでしょう。
5.百姓の描く未来
#1 反近代の根拠とは
筆者の考える近代化の残酷さというのは、生きものにまで効率化を求める時代になってしまっていることだとしています。
例えば都心の地下室の人工環境下で稲が栽培されていたり、アブラムシ対策となるテントウムシが逃げないように羽のないテントウムシを研究していたりということがあります。これは近代化によって、生きものが傷つくことに対して鈍感になってしまっているのだと言います。
この人間のためだけに食べものや生きものを求める近代化路線とは決別すべきなのだというのが農本主義者としての筆者の考えです。
#2 これからの豊かさの捉え方
これからの幸せとは何なのかを考えたとき、筆者は物欲がないことだとしています。
そもそも物欲とは世の中の進歩によって生まれるものなのだから、昔のように社会が変化していかない、変わらない暮らしであれば物欲もなく安堵できるはずです。
変わらない暮らしというのは、自然に包まれ、家族と共に変わらない仕事と生活を営むことです。そしてこれは資本主義的な外部から見ると、貧相でキツそうで平凡で遅れているように見えますが、農として内側から見れば助け合って在処の風景を眺めて汗を流す素晴らしい暮らしなのだとしています。
#3 農本主義の尺度
ここで、資本主義の尺度によって変えられてしまった農本主義の尺度をいくつか紹介していきたいと思います。
・所得
農:農の評価の一例だった
資:農業価値のほとんど
・生産性
農:人間本位で危険なもの
資:良い労働の尺度
・利潤
農:天地自然に返すべき
資:自分の努力の報酬
・生産コスト
農:天地自然へのお礼
資:少ない方がいいもの
・収量
農:天地自然からのめぐみの量
資:農業技術の成果
他にもいくつかありますが、ここでは以上の紹介に留めておきます。色々書きましたが、こう見るとだいぶ分かりやすくなるのではないでしょうか。
6.新しい農本主義
#1 これからの農本主義
① 競争しない
産地間競争は品質や生産技術を競っているようで、実は経済的に決着していくものです。
これは自然の恵みを頂いている身でありながら、自然を無視した人間だけの競争は無礼で傲慢な行為です。
国内外問わず競争しない農業がこれからの農には必要だと筆者は語ります。
② 自然の中に生まれ、自然の中に死ぬ
資本主義の社会の中では、『自己実現』していくことが個人の幸せとされています。しかしそれは、本来の百姓の幸せを忘れさせてしまいます。
百姓の幸せとは、自然に没入して幸せかどうかも忘れる時間のことです。自らが自然の中に生きていると自覚することとも言えるでしょうか。
③ 農とは天地の引き継ぎ方
歯車をつくった先人のおかげで発電機や自動車があるように、火の扱いを覚えた先人のおかげで油やガスの利用があるように、先人たちは自然と人間の付き合い方を今日まで引き継いできました。
農とはそうした先人の知恵を自然において引き継ぐ方法とも言えるでしょう。
#2 農本主義者とは
ここまで読んで、農本主義というのは資本主義に対して厳しい目線を送る主張だと感じたのではないでしょうか。私もそのひとりです。
しかし筆者がここにきて綴るのは、『あなただけのものでいい』ということです。
資本主義を打倒するような運動にしなくていいのです。それは様々な疲弊をもたらします。ひとりひとりが内側で考えるそれぞれの農本主義でいいのです。それであれば時空も人も超えて、自然の中を自在に飛び回る思想で有り続けられるでしょう。
7.農本主義ってなんですか
『農は天地自然に浮かぶ大きな舟』と語った筆者は最後にまとめます。
この大きな舟は元々は言うなれば手こぎの船で、人が自然の中で生きていく乗り物でした。ところが資本主義によって、舟には『農業』という名のエンジンのようなものが取り付けられ、船首には効率という名のロープをつけられ引っ張られ加速していく。
しかしこの舟が向かう先を知っているのは天地自然のみなのです。
農本主義者とは『みんなこの舟に乗っているだけなのだ』と静かに断言する者です。それは百姓に限りません。
そして、『この舟に乗っていることを自覚すれば農本主義者になるんだな』と認識してもらえることができれば、この著書の意味を為すだろうとしています。
8.おわりに
いかがだったでしょうか。今回の書籍は初めて文庫サイズのものを読ませて頂きました。
その上で難しそうだけど文庫だから読めちゃうでしょと思っていましたが、想像以上に読めませんでした。なぜかというと堅苦しいイデオロギーの本ということと、何度も何度も繰り返される『農とは』という文章に翻弄されてしまったからです。ですので、今回の記事は非常にまとめづらく、読みにくくなってしまったのではないかと反省しています。
一貫して資本主義批判の主張を繰り返す内容でしたが、最終的なまとめは意外にも優しめに締めくくられていることには驚きました。
『それぞれの農本主義でいい』というのは、分かりやすいしありがたいですよね。
私個人としては、現代が資本主義社会ですから稼がないことには生きていけないし、稼ぐためには生産性の向上はたとえ農業だとしても必然だと考えています。しかし、たしかに環境破壊をしているのも事実で、それをせずに生産を行うことは難しいにしても、自然に感謝を忘れないということは大事なことだろうと思います。
これが私の農本主義です。みなさんはどう考えたでしょうか。ぜひ教えてください。
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