事実と人の心の中の真実
「ミステリと言う毋れ」の再放送を観たのですが…まぁ全部合っているとは思っておりませんが、真理をついてるなと感じる言葉があるなと思いました。
トトノウ(主人公)が
「事実はひとつ。真実は人の数だけある」
と言った言葉です。
「〜思った」というのはその人の中の真実なんでしょう。だからそう考えれば良いのですよね。(ひろゆきもよく言っていましたか)
事実があり、それを見た人間の心の中に真実があるけど、それはその人の解釈なのだと。
嘘の場合もありますが、本人がそう思えばその人の真実になってしまうわけですね。
しかし事実はひとつです
感染性に対して、ワクチンをするVS反ワクチンの争いがあり、かなり激しい。
反ワクチン派は、「子供をXXす医者」と、ワクチン接種を推奨する医者を人Xしと確定する。
マスクする派としない派も激戦のようにエックスで言い合いになっている。
こちらでは「マスクをしないなんて子供をXXす気か」
という言い方になり「マスクをさせるなんて子供の笑顔をうばうのか」と言う。
なにか、子供をダシにしての言い争いがどこでも劇しくなっているようです。
✳子供の笑顔を奪う気か?というのは、「子供の笑顔を見れなくするつもりか」が正しい言い方だと思いますよ。マスクをしたからって、笑う事は不可能では無い。
自分の意見をきかせるために子供のために!
という大人は多いが、それは本当のことなのか見極めなくては駄目だと思います。
しかし、どちらかが感染症に対してどうなるかは10年後には結果が出るんでしょう。
(もっと早いかもしれない。
しろうと考えで間違っているかもしれないが、私はコXナの特徴は炎症を起こすウイルスだと思っている。その炎症が身体の様々な場所で何かを引き起こす。それが肺か腸か脳か心臓かによって症状が違ってくる。肺がそうでも無くても違う部分には起こるかもしれない。また、ワクチンによっても副反応でそうなる事は否定出来ない)
そして、他人が「子供のために」と言ってもその人の中の真実とは違う場合は耳をかさないものだなと思いました。私の今まで言っている事もそうです。
臭いものに蓋
ジャニーズ問題も、今行われている事に対して正しい正しくないという言い方で別れているのだが
2004年のジャニー喜多川の裁判があるので
それでもジャニーズのタレントを使っていた企業が何を今更と思ったがこういう意見があるからなんですよね…と思いました。
加害者を思い出すから被害者側を見たく無い…
信じられ無いという気持ちと、確かに人々は不快なものを見たく無い傾向が強いので今までとは違った形でジャニーズ性被害に対する圧力がかかるのかと思った。
では、京アニはどうなのか?京アニのアニメを観たら
青葉真司の顔を思い出すから嫌だとは思わないと
思いますがどうなのだろう?
臭いものに蓋をすればこの世が美しく見える
その世界だけを見たい人間とは私は違うので良くわからない。
その場の雰囲気で、人々はよく変わるし。
大概の人々の心の中の真実は受動的で安定していなかったりする…《私の心の中の真実》
✳追記:それと、思い込みが強い場合は、事実を見ても否定をする場合がある。
思い込みだと思われていても事実という場合もあります。
しかしそれが立証されなければ、病院に入る事になったりもしますね。
何かを主張する場合は、思ったからだけでは無く証明(論理の中だけでも)が必要なのです…中学か高校の授業で習ったはずですが。
最近の青葉真司の裁判の記事も読んでいるが
被害者側(火災で亡くなったキャラデザイナーの方の旦那さん)が青葉真司に対して
「被害者に子供や家族がいると思わなかったのか?」
と言い
青葉真司が
「そこまでは考えていなかった」
と答えた。
更に裁判で
「パクられた人の気持ちは考えないのか」
と発言をして制止されている。
青葉真司の真実は、小説を書いてそれを認められるのが本人の最後に残された希望で
不幸な自分の人生だが抑えていた。
だが刑務所で会った闇の人物。
京アニにもいる闇の人物に思い知らせるためにやったという事だ。
(本人が人生をかけて書いた小説をパクられ続けられたという怒りが一番でしょうが、それも思い違いらしい。
小説の投稿の仕方を間違えていたので、そもそも読まれなかったらしい。これは京アニ側の発表です)
事実はそれによってたくさんのものが失われた。
被害者側の真実は事実だ。
だが、いまだに青葉真司の考えも真実のようなのだ。
青葉真司にはっきりとそれは間違いだと言ってあげる人間がいなかったのが悲劇の根源なのかと思いました。
✳加筆修正致しました。