【10月9日~15日】ぶらり地獄へ行ってきた
これ、私は大抵の人がやっているものだと思っていたのだけど、やるしかないと思い込んで根性で乗り切ろうとして無理が出てしまう人とか、そもそもこんな考え方ができない人だとかがいることを知ってとても驚いたことがある。自分の当たり前がほかの人には特別だったり、その逆もあったりして、人生って難しい。
とりあえず年末から2月くらいまでまた頭をフル回転させての原稿月間になる見込みというのもあって、10月のうちに羽を伸ばし、11月から準備運動を始めて12月を迎えようとしている。たぶんそれが「限界値」を理解したうえでの私の最適解だ。
ということで、大分は別府への旅に出ることになった。
私、今まで乗ったフェリーで一番大きなものが博多-五島間の『太古』なのだけど、神戸-大分間の『さんふらわあ』はもっと大きくてものすごくわくわくした。
瀬戸内海は聞いていた通り揺れも少なく、驚くほど穏やかな航行で快適だった。長崎近海のどんぶらこっこ〜みたいな荒波を越えていくような経験しかしてこなかった身としては、感激するばかりだった。
そして別府。
初日は中2女子とふたりで『血の池地獄』に行ってみた。
赤かった。というそのままの感想なのだけど、赤かった。
足湯でゆっくりして、あと『地獄のドッグラン』と名付けられた場所にいるワンコを眺めた。外国人観光客のほうが圧倒的に多い印象。
すれ違う人たちの言語は日本語のほうが少なかったんじゃないかな。
さすが日本一のおんせん県と言われる場所だなーと思った。
その後、移動して別府の『竹瓦温泉』へ。
中2女子が「千と千尋の神隠しみたい!」と言ったのだけど、「油屋のモデルになったんじゃないか候補」のひとつとあってとても趣きのある建物だった。
ここへ来たのは、念願の砂湯体験をするためだ。
番頭さんがいるスタイルなのもよかった。
おじさんがサクサクと説明、案内してくれる。
タイミングがよかったのか、さほど待ち時間もなかった。
手書きの札をもらい、専用の浴衣に着替えて、いざ砂湯へ。
砂かけのお姉さんたちが作ってくれたくぼみに横たわる。
頭は竹枕に。じんわりと温かな湿った砂は43℃。
砂をかけられる前からもうほかほかしてくる。
一度に8人くらいだったかな?
順番に砂をかけられて、私も胸元からどっさりと砂を盛られる。
意外と重い。
ちょっと呼吸が浅くなるくらいの重み。
思いのほかずっしりくるものだから、顔だけ出して全身を埋められながら「土砂に埋もれて死ぬのは相当苦しいんだろうな……」という想像をした。重みと呼吸にはわりとすぐ慣れる。
砂に蒸されること15分。
こちらもまた順番に砂から脱出していく。
とりあえず腕を出して、胸やお腹の砂をどけて脚を出し、くるりと体を反転させて立ち上がる。
……全身めっちゃ砂。
当たり前だけど全身砂まみれなので、浴衣のままシャワーで流し、浴衣を脱いで一旦お湯につかる。
という、少し手間のかかる温泉体験。ただし。
終わったあとの体の軽さがすごい!
今なら飛べる、と思うくらいスッキリ軽やかになったのは、砂湯の熱と、砂の重みから解放されたことによる相乗効果なのかしら、と思った。このスッキリ感はほかのどんな温泉より抜群によい。
従妹には蒸し湯も勧められたのだけど、今回はタイミングを逃したので次回に持ち越しだ。
そして、中2女子と別府の街を歩き、日本一のパフェ屋さんだという名物喫茶店へ行き、お土産を買い回り、温泉宿へ向かった。
そこで長崎から移動してきた祖母&母と合流し、夕食時には従妹夫婦と、念願のいとこ姪との対面を果たした。
会いにきたよ! かわいこちゃん!!
1歳女児は人見知りもあるだろうからと、じっくりと距離を詰めた結果。
抱っこさせてもらえるまでになれた。
この子からしか得られない心の栄養がたしかにあった。
生まれてきてくれてありがとう!!
そういえば、私が子どもの頃は長崎への帰省に寝台列車に乗ることがあった。2段ベッドが向かい合う4人席。
兄とどっちが上で寝るかじゃんけんしたり、あれはとても楽しい空間だった。
のだけど、今はもう長崎へのそれがなく、中2女子にその経験をさせてあげられないの残念だなーと思っていたので。
フェリーに乗るときはなるべく、それっぽい楽しそうな席を予約することにしている。
今回も「上の席がいい!!」ととても楽しそうだった。
それを見た母が、「寝台車やん!」と言った。
私的ノスタルジー、寝台車。
とにもかくにも、『さんふらわあ』が快適すぎたのでまた利用したい。
次に大分に行くときは別府経由で湯布院メインで。