◆願う力は誰かが与えてくれるものではない。自分がどうしたいのかを問え。
つまらないこの世界に望むことなど一つもない、そう思っているうちは「まだ何もしていない」し、「まだ知らないこと」がたくさんあるんだよ。
そのまま死を迎えてお前は満足か?
人間として生まれる確率はそんなに高かったと思うのか?
本音で語ることがタブー視されてきたこの世界で、言いたいことも言えず、やりたいこともできないまま何年、何十年という年月を過ごしてしまった人たちは今、何を願っているんだろうな。
知ってるか?
死んだら終わりなんだよ。
死ぬまで、お前は本音を言わず、やりたいこともせずに人生を終わらせる気か?
本音をブチ撒けて人が離れていくのなら、それはそれでいいと思わないか?
長く続く関係というのは、互いに本音をぶつけ合っても切れることのない、固く結ばれた縁だけだ。
そうして繋がっていく人たちがどれだけ自分の周りにいるかで、願う力も変化していくんだよ。
それでだ、誰かの成功や幸せを願う力が強くなればなるほど、自分も頑張ろう、努力しようって思えるようになるし、実際に行動を起こすようになる。
するとだ、気が付くと自分の後ろには、自分を応援してくれたり、付いてきてくれたりする人たちが居るんだ。
そういう存在が居るとわかっているのなら、道草喰ってないでただひたすら頑張ってみればいい。
ある意味、遠心力にも似た力が働くようになるんだよな、きっと。
動けば動くほど加速し、風を巻き起こし、全体が動いていく。
そういう旋風が、日本全国で起こり始めたら、日本人らしい力強さはきっと経済再浮上の原動力になるはず。
イヤなこと、辛いこと、苦しいこと、いろいろあるんだろうよ、生きているだけで。
それでもよ、それら全てのことは過程の上で起こるってだけで、それらが全てではない。
だったら、結果どこまでやればいいのか、ゴール設定してとりあえずそこまで突っ走ってみればいい。
走り続けている限り、それらネガティブな出来事は点の出来事に過ぎず、いずれ忘れてしまう程度のものでしかない。
自分の未来に願うことがあるのなら、そんなことは取るに足らない小事だと、そう思うことにすればいい。
何を始めるでも、スタートは勢いが必要だ。
一度走り始めたなら速度を落とさずに走り続けろ。
マラソン選手が体感するランナーズハイの域に達するまで走れば、願いに近づいていくのを実感するんじゃないか。
走る速度を緩めたり、立ち止まったりすると、人間はくだらないことを考えるようになる。
願うことすらも忘れてしまう。
残念ながら、人は立ち止まった人間のことを応援しようとは思わない。
走り続けるんだ。
そういう人の瞳には必ず光が宿っている。
走りながら大切な人の成功や幸せを願うんだ。
そうすればそれが自分も頑張る理由になり得る。
一度その流れに乗ると、時に息切れすることもあるだろうけれども、瞳に光が宿っている限り、息を整えたらまた走り出せる。
誰一人として、未来がどうなるかなんてわからずに今を生きている。
未来のことを考えすぎて不安になるなんて意味がない。
今、自分が走っているのなら、何の問題もない。
そう考えると、多少失敗したとしてもすぐに一歩踏み出せるだろう。
まず、自分がどうしたいか、どうなりたいかを願う、その機会になる体験をたくさん積み重ねること。
子供がいる家庭なら、子の意思を代替してあれしろこれするなと言うのではなく、子の意思が自発的に機能するまでひたすら体験を積ませてやれ。
それができる親は、子への最大最良の投資をしていると言える。
これを疎かにすれば、子は将来不安な毎日を過ごすことになる。
それではきっと後悔するだろう。
子が子供のうちに、大人になってからでは経験できないことをたくさんさせてやれ。
いつか我が子が自分の意思で自分の進む道を決められる日がきっと来る。
それが可能な時代でもあるんだから、子に暇を与えないくらいにいろんな経験をさせてやれ。
そうすれば、いつからか、あなたの子は願う力を強くしていて、誰かのために走り出すことになる。
きっと良い人生を生きられるだろうよ。