【#人生の旅】快適ですか?
安心、安全な人生は存在するのか。元より人生なんて、いつ墜落してもおかしくはない飛行機への搭乗と大して変わらない。それに、飛行を続けていればいつか燃料が切れ、墜落する。
長時間飛行の時には中継地を転々として時折燃料を補給して目的地を目指す。
でも、航空各社が提供してくれる空の旅ほど人生の旅は言うほど快適ではないのが現実だろう。
CAがカートを押して「お飲み物はいかがですか?」「お酒ですね、かしこまりました。こちらのおつまみなどいかがでしょうか。」と丁寧に勧めてくれる機内サービスと違って、人生は見えないところでは平等とは程遠い奪い合い。
どこか、身を守ること、その手段に「雑さ」を行使する人たちが思いのほか多く散見される。他人の雑さに対して理解しようとすることほど無駄なことはない。なぜなら、雑さを行使する側の人間はそのことに他者からの理解を求めてなどいないからだ。
裏を返せば、他者のそういう雑さは時として便利に活用できるということを学ぶ機会ともなる。正義と悪の思想のようにね。
いじめ防止対策推進法とかハラスメント防止法とか誹謗中傷等処罰法とか、いろんな法律を新しく作ろうとしている人たちが国のトップにいるけれども、何の効果も得られないと思うんだよね。
現に、韓国とか端末契約時に国民番号を登録してネット上の匿名性を排除したにも関わらず、犯罪件数が減ったなんていうことはデータ上見られないという事実があるにもかかわらず、未だにネット上の書き込みは匿名だから誹謗中傷がなくならないなんて言っている。
電子文字として言語化されているものは悪で、誰も見聞きしないインビジブルな環境での誹謗中傷は合法、そういう誤解を与えかねない無駄な議論をしているようにしか見えない。
どんなに法律を敷いても、言うヤツは言うし、やるヤツはやる。なくなりはしないんだよね、どんなに議論を重ねても。仮にそれを完全に排除するとするならば、誹謗中傷や差別発言をするような人間を排除することになるため、基本的人権の侵害にまで発展しかねないわけよ。あり得ない議論なわけさ、元々ね。
であればよ?言われる側、される側の姿勢も同時に問うべきじゃないの?いちいち他人の暴言と自分の感受性をリンクさえて自ら傷付きに行っている人も実際いるんじゃないの??そういう姿勢を改めることの重要性については何ら議論がなされていないようだけど、本当にそれでいいの?って思ってしまう。
何を言っても何をしても動じない人間に対しては、どこかのタイミングで何も言われなくなるし何もされなくなるんだよ。なんでかわかる?された側が何を考えているかが見えないから、だんだんと懐疑心だけが強まっていく。
動じないということは我慢をするってことではない。心の持ち様とそういういやがらせに対する姿勢の問題もあるんじゃないのかなってこと。
何度か嫌がらせをされても動じないとなると、嫌がらせをする側にもそれぞれ限度ってものがあって、良心の呵責が機能する人であれば「これ以上はよそう」と自分でブレーキをかける。そうではない無謀な人間は相手を実質的に傷付けたり命を殺めたりする。
嫌がらせをする側の人間も純度100%の悪人というわけではないから、されたからって傷付くんじゃなくて、それでもそういう相手をじっくり観察する姿勢って大事だと思うんだよね。相手が嫌がらせをする意図、理由、何を求めているのか、そういうことを観察するだけでもかなり意義がある。
って言ってもいろんな人間がいるからね。いろんな人間がいるからこそ、いちいち相手に翻弄されてたんじゃ快適な人生にはなりようがないわけよ。
学校とか会社とか、いろんな環境があるけれども、その内側では人それぞれ立場があって、それを盾にすればまかり通ることも多かろう。でも、一歩外に出ればただのオッサン、オバサン、にーちゃん、ねーちゃんだったりするわけで、みんな人としては言うほど差があるわけではない。
でもさ、立場を盾にしないと言うことも言えない、やりたいこともやれないとなると、秀才と凡人の境界線は立場の向こう側とこっち側ってことになりはしないかね。
あと、客だからって偉そうにするのも違うでしょ。これも同じ。客でも品位や人間性に欠けているのであれば、それはそれとして毅然と対処しないといけないのが従業員や店員の取るべき姿勢だったりする。
横柄、横暴、横着、こういう邪(よこしま)な性格から出る言動や行動や態度というのは、むしろ立場を無視したものでもあるわけよ。傍から見てるとこういう人間の言動や行動って恥ずかしく見えるけれども、うっかり自分がそういうことをしてしまった時には、もっと恥ずかしいと思う。
生きていれば誰にだって身に覚えはあることだろう。
実際、快適な空の旅も、たった一人の邪な搭乗客のせいで台無しになったりすることはある。その渦中の人間にだけはならないようにしたいものだね?
どんな客が乗っていようと、パイロットとCAは乗客を快適な空の旅として目的地に届けるのが仕事。でも、万が一墜落する可能性がないわけではない。飛行機墜落事故はほとんど起こらなくなったため、万が一というのも確率論から言えば言い過ぎになってくるかもしれない。
でもね、人間は脆いから、うっかり死んでしまうことがある。スリル映えを狙った自撮りをしようとして崖から転落した人たちが今でもたまに出てくる。そういう命の落とし方だけは絶対に避けたいよね。どんなに快適な暮らしをしていてもそういう死に方をしてしまうとなると台無しだ。
君子危うきに近寄らず・・・。高いところに登れば落ちる危険性は増す。深いところに潜れば溺れる危険性は増す。人もそう。あの地域はスラム街で強盗強奪なんでもありのところだから危ないよって言われているところに行けば、大方そういう目に遭う。
動物はそうはいかないじゃん。水飲み場や川沿いに行けば水が飲める。でもそういうところを縄張りにしているヒョウやワニがいるって本能的に分かっているからって水を飲まないわけにはいかない。危険だとわかっていても水は飲みたいのだよ、動物は。
人間は動物ほどではないにしても、何が危険かくらいは知能で判断できるわけだから、そう判断したのであればまず近付かないことだ。そうすれば、より快適な人生の旅を過ごすことができるでしょう。