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【ズレた精神論】雑草魂って根性を美化した言葉としてズレた認識をしていると薄っぺらく見える

※高貴な身分ではない人間がもつ、穏やかなだけの人生では身に付かなかったであろう根性などを意味する語。 人間を、環境が悪くても枯れにくい雑草に喩えた言葉である。

 これが本来の意味であり、かつてプロ野球の巨人の投手だった上原選手が座右の銘として「雑草魂」を掲げていた。

 ただ単に諦めないってことではないし、努力すれば何とかなるってことでもない。

 環境が悪くても枯れにくいっていう表現は適切ではない気がする。雑草は刈られても根っこから引っこ抜かれたとしてもまた生えてくる。根っこまで抜かれてもだ。

 根まで引っこ抜いたと思っても、一部は土の中に残ってるんだよね。全てを取り払ったとしても、種が残っていたり、雨風のおかげで他から種が飛んできたりして、結局綺麗に草をむしったところにはまた生えてくる。

 人間が罪を犯して社会へ復帰するための更生の道を辿るにしても、性根に善の根が残っていなければ草は生えてこない。どうしようもなく更生とは程遠いほどに性根が腐ってしまえば、二度と社会で生きていくことはできない。軽犯罪の再犯率が高いのはこういうことが関係している気がする。

 「楽園」の意味をつい最近の投稿で記載したけれども、改めて記載するとだ、こういうふうな記述がされている。

「苦しみのない幸せな生活ができる所」

 つまり、雑草魂の意味と楽園の意味は相反するものだってことがわかる。人生で幾度となく経験する苦痛は、人の性根を太く強くガッチリと大地を掴むほどのものにしてくれるが、苦しみを避け、困難から逃げ続けて生きれば、それはそれでラクかもしれないが、性根は腐りやすく、一度腐り始めると二度と元には戻れない。

 苦痛は心に免疫を与えてくれる。そういう意味での雑草魂として認識するのは適切だと思うけれども、ただ我慢強いとかめちゃくちゃ頑張るとかっていう意味合いで使ってしまうと薄っぺらく見えてしまう。

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