「ポーランドwww 確かにそれは需要ないです」
「どうしてポーランド語にしたの?」
と僕はよく聞かれる。
僕の場合、その理由は歴史にある。高校生の頃、世界史の授業を通してユダヤ人の歴史を知り、そこからポーランドという国に興味を持つようになった。
しかし、「ポーランドに行ってみたいな」と思わせてくれたのは、ポーランドの音楽だ。ピアノを習っていた弟が参加したピアノのコンクールで聴いた『子犬のワルツ』、そして『英雄ポロネーズ』に魅了されたとき、一度でいいからショパンの国に行ってみたいと僕は思った。
それで今の大学のポーランド語専攻に入学することに決めた。
するとまた予想外のことが起こった。ポーランド語を勉強していくうちに、その言語自体が好きになり、いつのまにか「ポーランドに行ってみたい」という気持ちが、「将来ポーランドに住んでみたい」に変化していた。
というのが後から自分を納得させていた理由だが、ポーランドに行きたいと思っていた本当の理由は、ポーランドの伝統料理にあった。
ポーランドに来いよと誘ってくれていたのは、もちろん "Grzegorz Brzęczyszczykiewicz" みたいな変に複雑な人名じゃなくて、ポンチキとピエロギだったのだ。
というのも実は半分嘘だ。
本当の動機はポーランドのサッカーだった。
ポーランドに対する情熱の源泉は、2012年のブンデスリーガ・ドルトムントにあったのだ。
独創的な香川真司のプレイに共鳴するブワシュチコフスキ。その攻撃を引き立てるピシュチェクのオーバーラップ。ゴールを量産し、ブンデスリーガ王者の攻撃をけん引するレヴァンドフスキ。香川真司だけでなく、ドルトムントの柱を担っていたポーランド人選手たちにまで心を奪われた。
僕はとうとう、ポーランドでサッカーライターとして働くという夢を持つようになった。
……とポーランド語にうちのめされている学生はよく言うけれど、これも僕がポーランド語を選んだ本当の理由ではないと思う。
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10月11日、僕は大学の同期たちといっしょにワルシャワ国際映画祭へと足を運んだ。というのも、僕が通う大学のポーランド語専攻を舞台にした映画『Nasza mała Polska(私たちの小さなポーランド)』が世界初公開されたのだ。
初日の上映後、監督や撮影スタッフ、そして日本から招待されていたポーランド語専攻の先生を交えた質疑応答コーナーがあった。最初は監督や先生が質問に答えていたのだが、途中で「先生だけでなくこの場にいらっしゃる学生のみなさんにも聞いてみたい」とのことでマイクがひょいひょいと回ってきた。
質問はもはやおなじみ、「どうしてポーランド語にしたの?」
とても緊張した。普段通っている大学が舞台の映画とはいえ、世界14大映画祭のうちのひとつ、それに映画館もそれなりにお客さんで埋まっていた。下手なことは言えないとは思いつつも沈黙はそれ以上に怖かったので、とりあえず一言発した。
「正直なところ覚えていません」
会場に笑いが起こった。どういう類いの笑いかはよくわからなかったが、その間に次の文を考えた。そして、こう続けた。
„Nie pamiętam, dlaczego wybrałem język polski. Ale... ale uczę się, bo warto”
「どうしてポーランド語を選んだかは覚えていません。だけど、僕は学ぶ価値があるから勉強しています」
これに加えて、ポーランド語のおかげでポーランドの文化や人々と出会うことができた、みたいなことも付け加えた。自分で言うのも気が引けるが、緊張していたなかで、曖昧ではあるもののそれらしい回答ができたことにはほっとしている。帰り際に司会の方が「今日は質問に答えてくれて本当にありがとう。私も緊張していたから、会場の皆さんが満足してくれたようで安心したわ。とても助かったわ、ポーランド留学がんばってね!」と言ってくれたのでその場をつなぐという意味では成功だったのだろう。
ただ、回答の内容には少し納得できていない。もちろん、噓などはついていない。ポーランド語には無限の可能性があると信じているし、現に楽しんで学習している。ただ、つい最近まで、自分がした回答にどこか違和感を感じていた。
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先日、YouTubeにアップされた動画に関して、僕の通う大学界隈でさまざまな反応を呼んだ。
ここにリンクを貼ることはしないが、仮に興味のある方は僕の在籍している大学名を調べて、それをYouTubeで検索すれば上位に出てくると思う。簡単に説明すると、その動画の趣旨は「謎に満ちた○○大学の実態を調査する」というもので、主に在学生へのインタビューで構成されていた。
その動画内で、ある言語及びその言語が話されている国に対してリスペクトがないと話題になった。いや、燃えたのだ。
その中でも特にツイッターで拡散されたものに「△△(国名)www 確かにそれは需要ないです」と字幕がついたキャプチャ画像があった。
SNSの反応は全体的にそれに対して否定的なものが多かった。個々の意見をここで取り上げることは控えるが、総じて僕はそれらの意見に同感だった。「マイナー言語」を嘲笑し、不快なやり方で笑いをとり、ひいては再生回数を稼ごうというのは嫌いだ。
ただし、正直なところ、僕がそのYouTuberに対してまったく共感できないかといえば、そうでもないのが本音だ。
動画では登場していないが、ここではすべてポーランド語に置き換えて話を進める。
彼らにとってポーランド語は、全くと言っていいほど馴染みのない言語のはずだ。馴染みがないということは、すなわち「彼らの世界にポーランド語は必要ない」ともとれるのではないか。仮に僕が彼らの立場だったならば、言葉は選ぶにしても、
「日本ってポーランドと無縁じゃないですか」
「いくらセンター悪くても ポーランド語やりたくないです」
そして、「ポーランドwww 確かにそれは需要ないです」
のようなことと同レベルのことを思っていたかもしれない(今となってはわからないが)。
ツイッターでは動画に対する様々な反論が見られた。その言語の話者数や具体的な「需要」の例も見かけた。
僕はここで「『マイナー言語』の定義づけ」をしたり、「ポーランドはこんなに素晴らしい国なんだぞ!」と宣伝をしたりするつもりはない。ただ一つ彼らに言いたいのは、「僕に需要があるから僕は勉強している」ということだ。
これは極論だが、ポーランドが経済発展しようがしまいが、多くの日本企業がポーランドに進出しようがしまいが、僕には正直どうでもいい。僕の中では、ポーランドに魅力を感じて、ポーランド語の奥深さに触れて、温かいポーランドの人々と交流して、ポーランドという国の歴史・文化に対する興味を学問という形でとことん突き詰めることができれば、今はそれでいいのだ。
「ポーランド語を勉強してて就職は大丈夫なの?」ともよく聞かれる。おそらく「ポーランド語なんてどこで役に立つの?」と聞きたいのだろう。そのような質問はワルシャワ国際映画祭での質疑応答コーナーでもみられた。
もちろん、例えば大使館で働きたいといった具体的な目標を持って一生懸命に勉強をしている人もいると思うので一概には言えない。ただ、僕の場合は就職のためにポーランド語を勉強しているわけではなくて、学問としてポーランド語を深く知りたいから勉強しているのだ。大学とは本来そういう場所のはずだ。
„Uczę się, bo warto”
上では違和感を感じていると書いたが、まさにこれがポーランド語を勉強している理由なのかもしれない。
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ちょうど数日前、YouTubeで一本の動画を観た。
彼はDogenという名前で活動しているシアトル出身のアメリカ人だ。学生時代は日本語を専攻し、現在はYouTube上で日本の言葉や文化についての動画を配信している。
僕はこの動画を観て、とても感動した。冗談とかではなく涙も出た。僕の今の気持ちをそのままそっくり代弁しているような気がした。
以下はこのnoteの冒頭の続きだ。
正直なところ、僕には自分がポーランド語を選んだ理由はもうよくわからない。
ポーランド留学に来る前からそれは5回ぐらい変わっているし、ポーランドにこれまで4度訪れた後も何度か変わっている。
わかっているのは、ポーランドに行かなきゃ、と切実に思う人間がいるということだ。
質問をしてくれる人はその回答としてさっき書いたような、例えば、歴史や音楽、料理やスポーツを期待しているが、最近僕は動機なんて具体的に特定したり客観的に説明したりできるものではないと思うようになった。
僕がポーランドのどこに惹かれたかというと、コペルニクスとショパンとか、ポンチキとレヴァンドフスキなどとというより、むしろその数々の奇跡を生み出した何かなのだと思う。
そのポーランドならではのものを味わい、それを通して自分の人生を豊かにしたくて、たくさんの人がポーランドを訪れているのだと思う。
一言で言えば、僕は自分がどうしてポーランドに行ってポーランド語を学ばなければならないのかはわからない。
しかし、行かなければならないことだけはわかっている。
だから「なんでポーランド語にしたの?」と聞かれたら、僕はこれからこう答えることにした。
「わからない。わからないけど、出会えてよかったよ」
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