「いかがですか」と言わない接客
21年前に初めて水木しげるロードを旅した際、最初に親しくなった店のおばあちゃんが先日、亡くなられました。
ほのぼのした応対に癒されるので、訪ねるたびに話ができるのがうれしく、気が付けば30分、1時間と過ぎていたこともありました。夏は店先でスイカなどをふるまってくださったり、心温まるサービスをいただきました。
15年くらい前までの水木しげるロードは「独自性の濃いまちづくり」が「非日常感」にあふれていながらも「昔ながらの商店街らしい『普段着のまま』で接する店」が大半。観光地として活況になりながらも牧歌的な雰囲気があったのが、自分が水木しげるロードに“嵌った”最大の理由でした。
自分にとっての「原点」の魅力は、年々薄れていきますが“気持ち”として大切に残っています。ご宿泊いただいた旅人さんにも、まちの活況へ礎として伝えていければ、と思っています。
観光地に行くと必ず「呼び込み」をする店があり、個人的には好きではありません。
自分の土産は「写真」が主なので、基本的に購入するのは「誰かに差し上げるもの」が多くなります。なので「店員さんの印象」を購入の決め手にしています。また、物販に関しては雑誌類は参考にしませんし、「食べ歩き系」でさえも、食べたいと思っても印象が悪いとやめるくらい、かなり徹底しています(基本的に「拘り」は強い性格なので)。
年に2回、北海道を訪ねる際、新千歳空港で土産を買いますが「決まった3店舗で購入し、好感度を覚えたら追加」という感じです。「ルタオ空港店」などは、すっかり馴染みになっている店員さんもいるほど。「同じ物を買うなら、接客で決める」には徹底しています。
空港売店のような「客が非常に多く、マニュアル型になる場所」で、自分が願うような「昔ながらの緩いコミュニケーションがある接客」ができるのは素晴らしいと思いますし、そこで顔なじみになれるのは、自分もうれしいです(ちなみに「ルタオ」は小樽の各店でも、混雑していながらもコミュニケーションを重視した接客を行っていて好感度が高いです。試食もただ置かれているだけではなく、店員さんが説明しながら配布するのもポイントが高いです)。
学生時代、仕事への関心は「マスコミ関係」と「観光関係」の二筋でした。地方だけにマスコミ系のアルバイトはないので、観光地の土産物店などでの接客を、いくつか経験しました。
そんな中、観光地内のある店で接客について学んだ2つのことがありました。「接客」に関する自分の“想い”として今も大切している「原点」で、現在の宿泊者への“想い”にも繋がっています。
その2つは、次のとおり。
1「呼び込みではなく、呼び掛けで接すること」。
2「商品の『説明』はするが『いかがですか』という言葉は使わないこと」。
「やみくもに売れればいい」ではなくコミュニケーションを大切にしている店で「押し売り感を絶対に出さない」をモットーにしており「ご夫婦や従業員が、お客さんと接するのを楽しんでいる」のは明確に感じられました。一見「やる気があるのかないのか分からない、何かと“緩い”店」でしたが、それでも「楽しそうに応対しないと指摘される」ので、自分のような「型破りで“気持ち”が入り込むタイプ」には合いました。
一方、真面目で丁寧で応対が上手であっても「マニュアル型」「指示待ち型」、あるいは「お金のため、と割り切っているような人」には合わなかったようです。
まだギリギリ昭和末期の時代。
店主からすれば、移りゆく時代の変化を敏感に感じ取り、一抹の寂しさと危惧を覚えていたような気がします(5年後くらいに病気で亡くなられ、代替わりとともに方針が一変したため、今は交流はありません)。
そして地方新聞社を辞めた後、地元で「観光客相手の接客」に3年ほど従事しました。
催事屋台での販売と物販店との違い、あるいは店ごとでの基準の違いなど、一口に「接客」と言っても相性や向き不向きがあるのを感じる日々でしたが、今に繋がる良い経験になったと思っています。
観光施設に従事した最初の仕事として、3週間ほど催事企画の屋台に入ったのですが、実は「平日は2~3万円くらいが目標目安」と言われていたのに対し、倍以上の実績を残しました。
初日は台風で大荒れの天候だったのですが、全体に売り上げが伸びない中で2万円超、その後の3日間くらいは4万円前後、その後、売れ筋商品と客層や傾向が読めてきたら、1日あたり6万円~8万円くらいになりました。平日のみの勤務で、休日は本来の屋台主さんが来られたのですが「土日も全部フルで任せたいくらい」とまで言っていただきました。
責任者が「結果さえ出せば方法は一任」というタイプで、自由にさせていただいたのが大きかったのですが、この時は客層や商品との相性などにも恵まれました。
自分としては、特別なことをしたつもりはありません。先に挙げた2つのことをベースに、次に挙げる事項を採っただけです。
1「いらっしゃいませ、と言わず、終始『おはようございます』『こんにちは』で通した」
2「屋台の内側に入って『対面』になるのではなく、外に出て『横並び』で会話をした」
3「商品の説明をしながら世間話を挟む、に徹し、購入は一切勧めなかった」
4「基本的に、じっとしていなかった」
あらためて、1~4の内容について、自分なりに説明します。
1「いらっしゃいませ、と言わず、終始『おはようございます』『こんにちは』で通した」
はっきり言って「いらっしゃいませ」という言葉が好きではありません。
自分は決して愛想が良いほうではなく、感情の起伏も激しく、好き嫌いなども顔に出るタイプですが、「旅を楽しんでいる人への愛情」は強く持っているつもりです。自分が旅人として願うのは「『商売』を感じさせない『コミュニケーション』」なので、その感覚を重視しました(のちに店舗販売に入ってからも、基本的に「いらっしゃいませ」は使いませんでした)。
そして、通る人へのあいさつは「誰にでも声をかける」ようにしていました。特に朝のコミュニケーションは大切で「一回りしてから購入を決める人」(自分もそのタイプ)が「再訪してくださる確率」は高くなったと思います。
これは今も変わらず「宿泊者を迎える言葉は『こんにちは』『こんばんは』で、あとは『お帰りなさい』『行ってらっしゃい』『気を付けて』『ありがとうございました』――など」です(余談ですが「観光案内所や美術館・博物館など『物販がメーンでない場所』で、いらっしゃいませと言われる」と、かなり違和感を覚えます)。
2「屋台の内側に入って『対面』になるのではなく、外に出て『並び』で会話をした」
これは、今も宿として大切にしていることの一つ「対等な関係性」で、「売る⇔買うという関係」を感じさせないように努めました。「商品を挟んで向かい合う状態では『壁』ができる」ので、それを取り払う意識もありました。「屋台販売」においては、これが意外と効果が大きいように思います。
3「商品の説明をしながら世間話を挟む、に徹し、購入は一切勧めなかった」
単純に、自分自身が「いかがですか、と言われるのが嫌だから」です。併せて「会話に入るのは基本的に『お客さんが立ち止まって1分くらいたってから』」と「待ち時間」は長めに取りつつも「短い言葉」は発していました。
4「基本的に、じっとしていなかった」
自分が旅先で感じることとして、商売っ気を強く覚えてしまう「呼び込み」も嫌いではあるのですが、「じっと座っているだけの店や屋台」も「旅に関心がない」ように思えて、あまり良い印象は覚えません。
要はやはり「商売を感じさせないコミュニケーション」で、あいさつや会話だけでなく「動作」も大きいと思います。なので、掃除や商品の配置換え、値札の貼り直しなど、常に「手を動かしながら」コミュニケーションを取っていました。
あとプラスアルファの要因として、この時「3千円で1回の抽選券、500円で補助券1枚」を配布していたのですが、自分の判断で「修学旅行生などの団体が1人200~300円の買い物をした場合『全員の合計額を基準に抽選券(補助券)を配布』」しました。これについては「1回の支払いにつき」が基準で明確なルールはなく、屋台販売の場合は「レジを打つわけではない(レシートが出ない)」ので、かなり“緩く”対応しました。
値引きなどは勝手にできないですが、サービスは工夫次第です。“気持ち”の面でも、具体的な利益としても、画一的にならず“情”が入ったサービスがあるかは重要だと思っています。屋台販売だと、こうした「サービスの増強」が効果を齎すと感じました。補完的要素やサンプル品の提供で、人を引き付けた部分はありました。
そして、「このやり方が、自分も楽しかった」、それが伝わったのだとも思います。
「観光地」ですから「訪れる人は、まちを楽しみに来ているもの」。マニュアル型の接客や応対、あるいは「購入を勧める言動」には、嫌悪感を覚える人もいます(旅の“密度”が濃い人ほど、この傾向があると感じています)。「型破り」かもしれませんが、やはり「自分が楽しんでいなければ」、成果には繋がらないと思います(ただ、店舗販売の場合は考え方も変わってくるので。「催事屋台」だからこその接客でした)。
最初の話に戻りますが、掛け合いによるコミュニケーションを大切にした接客販売。そんな「まちを楽しむ大きな魅力」が、時代の変化とともに薄れていくのは、正直言って悲しいです。
地元では小学校の学区内に古い商店街があり、通学路でもあり友人も多かったうえ「店を営んでいる家庭のほうが日中、子どもを放置している」ので、一緒に遊ぶことも多々ありました。母方の実家や親戚筋にも個人商店があることもあって「昔ながらの商店街」への思い入れは、薄れることはありません。
おしゃれさや美しさ、あるいは「商品そのものの魅力」も大切ではありますが、個人的には“気持ち”の付加価値が大きく、そこは「古き良き時代」の感覚に拘りたい、と思っています。
宿泊業も接客の一つとして、“気持ち”で応じていくことは重視しているつもりです(予約ルールを明確に定めている分、成立後の信頼には全力で応えるという方針です)。純粋に「楽しい」空間づくりに励むうえで、「原点」は忘れません。
あらためて「旅時間」に潤いを与えてくださった、心温まる「普段着のままの接客」に感謝。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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