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さっそく試す

 自分へのダメ出しは簡単すぎる。

 さて、まー、本日もお休み。なんなら来週もお休み。雪の気配がしんと沁みる、天気も天気だし、そうした。週明けの月曜日、仕事の出勤日で仕切り直し予定日でしたが。行ける気がまるでしない。
 前回の出勤日。出勤時発作。また始業ギリギリの連絡。自転車で会社まで半分行ったところで自転車を降りて足を止めた。駅から人がなだらかに兵隊さんみたいに流れていくね、お昼時なのに。駅の無料臨時駐輪場もいーっぱい。電話するのに停められる場所もないよ。電話に出た事務員の若い男性はハキハキとして明瞭で対応も慣れたもので、話がすんなり通る。慣れが優しい。下手に傷つけられることはなかったけれど、誰にも傷つけられないようにされている自分にも心が疲れた。身内に歯に衣着せず言われても、過去から長く継続する事実で図星に当たるのでちゃんと傷つくし。どうしようもなく弱い自分が周知されている。会社側には明確には話していないけれど、ある程度仕事をしていて、いろんな人に対応してきて、経験と知識があれば察するだろう。そういう会社の、寛容なのか適当なのかどうでもいいのか時代への適応なのかよくわからない対応力にすら私は落ち込む。私もそういう仕事をする側に、堂々と給与を受け取る側になりたかった。

 今日は始業ギリギリの通勤途中ではない。出勤する気がないものとして早めに電話できた。電話できた! 会社に電話して「体調不良のためお休みさせてください(私の歪んだ意訳:病気の症状に負けました)」と人に告げる自分すら本当は許せない。私の肉声の情けなさを私に聞かせないで欲しい。何食わぬ顔で出勤して、適当に笑って挨拶して、無難に作業をこなして、終業時刻で退勤してほしい。退勤後はふらつかず、疲れで思考停止して無駄遣いせず、帰宅して家事をこなして、夕食後には読書などで勉強していてほしい。明日に不安なく支度と睡眠をとって。理想。悔しい。いい大人なのに。負けを認められずに報告を怠るのとどっちがまし?
 みたいな内実を十数年と繰り返してる。未来の自分に希望を持ちたいので、理想とばかり比べずに過去の自分からの成長を記録したい。本人には自覚と認識はできないながら、継続していること、その精神は確かに在る。
 外的刺激による自律神経の働き。それによる身体反応。シンプルに言えば苦しくて厄介で困る。困り疲れたのさ。なるべく減らしていたい。自律神経不調は長年で慣れてはいるし、軽くはなったけれど、精神症状(特に困るのは思考と行動の分離と制止とバーンアウト)の発症と寛解を繰り返している後遺症で昔よりも堪えが利かなくなった。いざ奮起させても体が働かない。脳神経の老朽化と自分という人間の生への飽き。不調そのものは変化が激しいものだけれど、変化の激しい自分に飽きる。感情の変化も一本調子で、知っている範囲。自分で意識的に行いその後起こるであろうことを予想できる範囲では、危機には前もって恐れるし、備えることにやる気があっても経験不足や苦手なことはそのままなので失敗は重なるし、やっぱりそうよね無理だよねって、思えるけれど、けれどだ、よくよく考えたら私の何にガッカリしてるかって、対応力。下手なのはまあいい、私が下手なことでちょっと不愉快で面倒が増えて気まずかったり見下したり嫌な気持ちになるのは周囲であって、私じゃない。私は私がずっと面倒くさいし、この自分に疲れているし、面倒くさいも疲れたも言い飽きて、思う回数はかなり減った。私は不満と傲慢と恥と悔しさ、自分の格好悪さや笑いに変えられない真面目暗さを覚悟するだけ。できる対応をしない自分はダサい。
 あれ?結局ダメ出しって楽だな。いいんだよ、私はこうした方が、性格的には気持ちいいから。そうか?(自問自答スパイラル)
 何をしてるのか自分で把握する必要がないのかもしれない。他人が私を認識していることの方が正しい。私は自分は何もしない奴だと思っているけれど、私の自己評価は周囲と比較しても自分の理想と比較しても焦点がブレにブレているらしく終わっているので。また、他人に計ってもらう。そして自分にとって都合の良いそれを信じる。

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