親の生きてきた道のりを聞いておくことは自分を支える
母が亡くなる前にもっと母の人生の話を聞いておきたかったと悔やむことがある。子どもが「親も一人の人間なんだ」と気づくのは、随分と大人になってからだ。ただ、気づいた頃は自分の人生に忙しく、じっくり親の人生について話を聞く時間を持つことは意外と難しい。
だから、受講生には親が生きているうちにその生涯を聞いておくことをお勧めしている。その時間はきっとあなたの支えになるから。
だけど、そういえば私の話を我が子にしたことがない。
そういったタイミングはもっと先なのかもしれなけど今回、親友とのコラボセミナーで、その親友が私を伝えるために書いてくれたブログを読んで、自分のことなのに改めて自分の人生にとって欠かすことができない時を思い出した。そして、あなた達にも母の人生のターニングポイントを知っておいて欲しいと思うとココに記しておきたくなった。
もう30年以上前、母がまだ大学生で、スイミングのインストラクターのバイトをやっていた時のこと。子ども達がカーテンレールを使って遊んでいる姿を見て「なんて素敵なアイデア!!!一緒に遊びたーい!」という気分で私は駆け寄っていった。
しかし、他の先生から「遊びを止めてください!」と指示される。
当然だ。プールサイドでの危険なあそびは管理者として止めなければならない。ただ、まだ善悪の境界線も曖昧で、熱血教師を夢見ていた10代の私にはちょっとしたショックを受ける。
こんな些細なことがきっかけとなり、
私が目指す教師像には近づけないんじゃないか?
教師になる意味があるのか?
なら、大学に行く意味は???
と、人生の迷路に迷い込んでいく。
段々と、どう生きていいかわからなくなっていった私は、この前の年に出会った世界放浪していた人の話を思い出していた。
中国からアジアを横断し、ヨーロッパまでの男性一人旅。一番のおすすめの地はインドと言っていた。気軽な気持ちで「いいですねぇ、男性は一人旅できて!」と私が言うと、その人は「それは女としての言い訳でしょ!」と。
「はぁぁぁぁ???あなた、女になったことないでしょ???」と私はかなりカチンときたが、それを口に出したら負けを認めるような気がして「そうかもしれませんね」とだけ言っていた。
そのシーンを何度となく思い出していた。
大学に行く意味もわからなくなった。いや、大学どころかどう生きていいかもよくわからなくなった今、女の私ができるかどうかを試してみるいいチャンスかもしれない。
私は成田空港で退学届を投函し、そのままアジアへフライト。
何ヶ月にも渡る旅だったから、ポイントだけに絞って話をすると、インドではデリーから入り左回りにインドを一周する形で一人旅。
インターネットどころか国際電話でさえなかなか見つからない当時のインドで、『地球の歩き方』1冊を頼りに行き着いたのはマザーハウスだった。
当時のマザーハウスでは、ツーリストは登録すれば何日でもボランティアすることができ、朝からミサにも参加できた。当時まだご健在であったマザー・テレサは私に声をかけてくれた。30年以上前の記憶だし、英語でのやりとりなので本当はどうだったかは別として、私は以下のようなやりとりで記憶している。
なぜ、ここに来たのか尋ねられた私は、自分がどう生きていいかわからなくなったからだと答えると、彼女はマザーハウスを作った当時の話をしてくれ、「あなたがここに来た意味がある人生を送りなさい」と言っていただいた。
人生に迷ったからこその人生。
ここに来た意味がある人生。
私のテーマ「人はどう生きればもっと輝くのか」は自分が生き方を迷ったことに加えて、マザーハウスでの彼女との、このやりとりが原点になっている。