「母」も「社長」も「私」も、、、どれも中途半端
我が家は母と父が少し逆転しているところがある。
母の私は外で仕事。夫は家で仕事をしているので、学校から帰ってきた子どもたちのことはパパがやる。
本来、母と父の子どもに対する役割は微妙に違う。
シンプルにいえば、母はYESの役割で父はNOの役割。
母には「誰が否定しても、私がこの子のやることに全てYesと言ってあげたい」共感の想いがあり、
父には「俺だけは、この子にNoと言わなければ!」といった社会的規律というか、厳しく育てる想いがある。
当然、どちらの役割も子を想う気持ちから発している。
母が仕事から帰宅すると、夫から今日の出来事の報告を受けるのだけど、
ある日のこと。小学校2年の娘が学校で小さなミスを犯し、恥ずかしい思いをしたことを父から報告を受けた。父は父の役割をやったようで「そういうことは二度とやらないように!」と娘に伝えたことを話してくれた。
その話を一緒に聞いていた娘を見ると、強い目でうなづいていた。
その夜、娘と一緒にお風呂に入り、その話を私から持ち出した。
娘は父に言われたように強いそぶりを見せようとしたが、彼女の言葉に被せるように「辛かったろ?」と私が伝えると娘は唇をブルブル震わせ、トトロのめいちゃんのように大きく口を開けて泣き出した。
あぁ…ごめんね。
仕事で家を開けている私は、仕事の役割はやっていても母という役割が欠けていく。仕事と母の役割を同時にやろうとすると、「私」の時間は全く無くなる。どれも同時にできないのはわかっているけど、どっちつかずで何ともいえない想いに苛まれる。
どれも中途半端。
「ぬるいんだろうな…わたし」といった想いが子どもが小さい頃は特に、何をやっていても、いつも私の中に渦を巻いていたなぁ。
ただ、残念だが子どもたちが大きくなっても「どれも中途半端」は変わらない。ということは、子育てに限ったことではなく、本来の課題が露呈したに過ぎない…。
仕方ない!当時の私にやれることはやった!
開き直りに近いが事実、子どもも頑張ってるし、親も頑張っている。
実際、全部いっぺんには誰だって無理だよ。私たちは神様じゃない。
いつもそうだけど、やれることやったら後は流れに任せるしかない。
うまくいけばそれでよし!あかんかったら、その程度の力しかなかったということさ。
トトロのめいちゃんのように泣いた娘は、トトロのめいちゃんのように元気になってお風呂を出た。
このタイミングで娘と一緒にお風呂に入れる時間に帰れた奇跡に感謝だな。