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真剣と深刻は違う

とっても不機嫌に帰ってくる時があるね。
きっと、あなたはあなたの属する社会で揉まれてるんだよね。
気を遣い、頭を働かせ、どうすればいいのか⁈ 
同時にたくさんのことを考えながら学校生活をやっているのでしょう。
気持ち、わからんでもないなぁ。学校という枠組みは自由が効かないところがあるから。

いろんなことを真剣にやることは大事。「真剣」は「本気」だからね。
まだ若いんだから斜に構えて物事を見るようなことはして欲しくないな。
体育祭だろうが部活だろうが人間関係だろうがひとつひとつ真剣に取り組むことで気づくことや力がつくことがたくさんある。だから、深く傷つくこともあると思う。

ただね、「深刻」と「真剣」は違うんだよ。
「深刻」には自分のキャパを超えているイメージがある。
自力ではどうしようもない感が漂う。行き詰まりを覚えるような、
クリアーできなかったら終わりを連想させるような悲壮感がある。

母も経験あるよ。真剣ではなく深刻になってしまったこと。
もうダメだ、これで終わりだと深刻に捉えていたこと。「これを手に入れなかったらどうしようもなくなる」と感じていたこと。

若い頃は特にひとつの道しか見えないから。
ひとつの道しか見えないからこそ本気で向き合えるんだけど、
ひとつの道しか見えないからこそ、その道が途絶えたら全てが終わってしまうように感じるのかもしれないね。

若い頃、全てが終わるように感じていた母は事実まだ終わってない。
こうやって私を生きている。

今なら道はたくさんあることを経験で知っているから、深刻になることは若い頃に比べると随分減った。深刻になっても真剣に戻るまで多くの時間を必要としなくなった。終わらないってわかったんだよ。起こることには意味が必ずあることも。

人生で断言できることは少ないけど、意味があるってことだけは断言できるなぁ。出来事の真意を理解するのには時間がかかることもあるけど、何度か経験するうちに「この出来事も未来のどこかにつながっている」ことを意識できるようになる。

だから、あなたたちに起こるさまざまなネガティブなことさえも母的には「このことがあなたの人生のどこにつながっていくんだろう?」とワクワクして観ていることがあるな。

母は学生の頃、教師になりたくて大学に行ってたんだけど自分の取り扱いが不慣れで、人生で初の大きな自分不具合を起こして大学を中退する。当時の母の両親はさぞかしガッカリしてたと思う。予備校まで行かせて大学入ったのに2年で中退してしまうなんて…ね。
けどね、母が会社を創業してイキイキしていた姿をみて、母の母、あなたたちのばぁちゃんが「大学辞めてよかったね」と嬉しそうに言ってくれたんだよ。本当に辞めてよかったかどうかはわからないけど、やっぱりあの一言は忘れられないなぁ。

私の過去を振り返っても、今につながらない出来事はひとつも無い。
すべての出来事が今の私を創っている。
あなたたちに起こる出来事も未来のあなたたちの糧に必ずなる。
深刻になる必要はない。
終了のホイッスルはいつ鳴るかわからないけど、それまでは「真剣」に。
「本気」でいきましょう!「本気」って圧倒的に楽しいものだしね。