飯のこと好き
飯のことが年々好きになる。
太る前に内臓が悪くなるタイプのため、自主的に軽めの食事制限をしているので、執着心から余計に飯への感情が増しているのもある。
味がわかるとかではない。
どちらかというと舌バカだし、鼻もきかないし、食通とかグルメを気取りたいわけではなく。そもそもそんなに飯だけにお金を潤沢に注ぎ込めるわけでもないし、値段に関わらずただ食べ物のおいしみを感じるのが好きだ。
高いものは美味しい確率が高いのでもちろん好きだし、サイゼも駄菓子も好きだ。
人と飯を食いながらどんなおいしみを感じているか話し合うことも好き。「これ美味しい」「合う」「何が入ってると思う」「こういうの好き」とか言いながら食べると、一人で無言で食べるよりも美味しさの解像度が上がって好きだ。
逆に一人で好きなものを黙々と食べるのも好きだ。パン屋さんのバゲットを、サンドイッチやスープに合わせて楽しんでも美味しいとわかりつつ、水道水だけを飲みながらそのままかじってしみじみ小麦粉と塩をおいしがるのが好き。あと人前ではお見せできないお行儀の悪い食べ方をするのも好きだ。ご飯に納豆と味噌汁をかけてグチャグチャにかき回したやつとか好きだ。加工原料が全部米と大豆だから相性以前に一体化のシナジーがすごくていい。
普段家で作るものじゃないものをあえて作ってみて、成功したり失敗したりするのもいい。大量の微妙な料理を悔しがりながら何度も食べたり、予想外に美味しくできたのに量が少なくて後悔したりするのもいい。
シンプルな料理も好き。野菜を塩で炒めただけとか。ちょっと焦げ目ができるくらいに焼いたり、あえて味の素を少し入れることで野菜の味を目立たせたりするのも楽しい。出汁を入れない味噌汁も好き。
逆にプロが「絶対うまい組み合わせ見つけた」と胸張って出してくれる料理食べて椅子から転げ落ちそうなほどうますぎる体験をするのも好きだ。「何だその組み合わせ!?」に驚くのもいいし、「うわー!メニュー名だけでもう美味しそう!なんで今までその組み合わせを思いつけなかったんだろう?」と物が出てくる前からKOされるのもいい。「焼いただけなのに……プロが焼いたやつ流石にバカほどうめぇ……」と泣きながら食べるのもいい。
外食でご飯を食べながら家でどう作るか、アレンジするか考えるのも好きだ。「このソースパスタにしてもうまそう」「お砂糖か蜂蜜が入ってるのかな?」「何のハーブかな?」「ここに豆腐入っててもよさそう」「こういう味付けってこの素材に合うんだ」とか考えたり話したりするのも好きだ。どの酒に合うか考えるのも好きだ。今お酒を控えているのでほぼ飲めていないけど、酒の味も好きだし、考えるのも好きだ。「意外とコーラが合うかも」「甘いお酒の時ってこういうつまみでもいいな」とか想像するのも好き。
あんまりおいしくないものに風情を感じるのも好きだ。古い居酒屋で生ビールを頼んだ時の、サーバー洗ってなさそうな風味に苦笑いしつつ、でもそれがお通しのぬるくなったワカメの酢の物の甘みに合ってるなあとか思うのも好き。実家に帰った時に、お菓子の入れ物にちょっとだけ残っている湿気かけたおかきとかもノスタルジックで好き。美味しいチョコも食べたことはあるけど、チョコ棒とかスーパーBIGチョコも別種の食べ物として好き。定食屋のごはんで、銘柄米ではない炊き加減のちょっと水っぽいやつも好き。
こんなに飯が好きなのに、毎日食べてもいい量が決まっている。
あすけんの鉄の掟を破ったらその代償を血で払わされることになる。朝食をごく軽くして、昼と夜に余剰分のカロリーを回して満足感を得ようとしている。でも一日の分をすべて食べ終わると、もうおしまいか、と悲しくなる。今度は明日何を食べるか考えはじめている。
出かける時には周辺で何が食べられるか探すし、良いなと思ったお店を保存しまくってしまう。
いろんなお店のメニューをずっと見ている。チェーン店のメニューの差し替え時期にウキウキしながら巡回している。
生産地や農園、加工業者を調べるのも好き。収穫風景や各地の生産数、製造工場の画像や動画を見るのも好き。
大衆居酒屋なんかで出てきた料理が、キッチンでどこまで下ごしらえされて、どこからが注文入ってから作業するものか考えるのも好き。
海外の屋台などで黙々と飯を作っている動画も好き。いろんな国の料理について考察するの好き。全然離れた場所同士の料理に共通点を見つけるの好き。
ファンタジーの世界での料理や食文化のことを考えるのも好き。作中の食べ物の描写自体も好き。
欲望のままに食べると体に悪いのと、食事にかけられる金額に限度があるのと、食べ物が食べると手元からなくなることだけ超嫌い。