「ネイキッド・スイマー」 track.4
NAKED SWIMMER
私の素顔を晒せるのは、きっと海の前だけだ。
私はそばに人が居るとつい、明るく振る舞ってしまう。
それは周りから「大丈夫な人」と思われたいからで、また自分自身も「大丈夫」と思いたいからなんだと思う。
何が「大丈夫」なんだろう。
どうすれば「大丈夫な人」になれるんだろう。
もしかしたら私はとっくに「大丈夫」ではないのかもしれない。
あるいは、そんな心許なさを誰かに「大丈夫かい」って、抱擁でもされながら心配されたいのかもしれない。
でもこんな私にそんな、それこそ無償で海に飛び込んでくれるイケメン的な、あるいは海を漂うクラゲのような人が、そう都合よく、現れるのかな。
ない。
きっと、ない。
あったとしてもそんな日は稀だから、私は、多分、見逃しちゃうのかもしれない。
私は、同じものを長く愛せないんだ。
この前まで付き合っていた彼は、音楽が好きだった。
私は好きな人たちの曲しか聞かないけど、彼は何でも聴いた。
私にとって音楽は生活の一部だけど、彼にとっては音楽こそが生活だった。
彼のことは好きだった。彼が聞いている音楽も好きだった。
今でも彼は街の端っこでギターを弾いているんだと思う。多分、あの街にまだいるから、会いにもいけるし、愛し直すことだってできる。
でもね、彼が好きだったバンドのメンバーが最近前髪の分け目を変えたの。だから聴けなくなっちゃったんだよ。
どうしようもないよね。
私は結局、愛したかったんじゃなくて、安心したかったのかもしれない。
前にね、彼に私のすっぴんを晒したことがあるんだ。
そこまで辿り着けたのは私にとって稀だから、すごく嬉しかったんだ。
可愛いねって褒めてもらえたしね。
だから私は私なりのスピードで、誰かを愛したりなんかして、
誰かを愛してる自分を、愛せるようになったりして、
そしていつか、「大丈夫な人」になれるかもしれない。
そう、思ってた。
でも、考えてみればね、
奥底の、
本当の、
まだ自分でさえはっきりと掴めていない素顔までは、ダメだった。
ダメだったんだよ。
曇天特有の湿気を纏った夏の中で、少女は海原に対し独白を続ける。
砂浜へと続く階段の片隅で、地元の高校に通う男女がポッキーを分け合いながら食べている。階段の上の歩道には老人と犬が歩いている。前を行くコーギーは年老いている割には足取りが軽く、どちらが連れられているのかはわからない。
きっと彼らの存在に気付いたとき、少女の独白はぴたりと止むだろう。そして少女は、黒猫の柄で飾られたワンピースについた砂を払いながら、そそくさと海岸からいなくなってしまうだろう。
だが、少女は海原を今も見つめている。少女は自分しかいないと思いながら、自分のためだけに今を浪費している。
老人は通りがけに少女を見る。
老人は視界の後ろへ流れていく少女の背中と、かつての自分を重ねながら、今の私は自分のためだけに時間を浪費できているだろうかと顧みる。コーギーは他の犬の痕跡を嗅ぎながらぐんぐんと前を進む。流されていく。
少女の瞳に映る海原には、幻影が居た。
それは何もかもを脱ぎ捨てたネイキッドスイマーだった。
彼女は鯨の尾鰭が水面を打つようなバタフライ泳法で、夕闇に向かって進んでいく。
ネイキッドスイマーは少女の錯覚であり、思い込みであり、祈りだ。
「明日も早いから、もう行くね」
海岸を後にする少女の独特な猫背に向かって、73は呼応するかのように静かな潮騒を響かせた。
track
reqest parson
☝︎
普段、多くの方の日記を読んでいますが、その時とは感じ方が違いました。
この方の文章は「読んでいる」というより、「潜っている」という感覚が強かったです。海水浴場の売店にあるような、やっすいシュノーケルじゃなくて、ボンべが必要でした。「同じものを長く愛せないのは」が一番、好きでした。