「ツァイツェン!」 track.6
再見!
彼女の特技はかくれんぼだった。
転入初日の自己紹介で、クラスメイトに対して思い切ってそう言ってみるとすぐに遊びに誘われた。夏休み明けてからの転校だったため、他の生徒たちに溶け込めるか心配で前日は眠れなかったが、それは杞憂に終わった。
だからこそ、彼女はその才能を、産まれてすぐ副次的に付与されたギフテッドを放課後の陽射しに照らされた入江で遺憾なく発揮された。その結果、翌日からかくれんぼの天才として彼女の名が学校中に知れ渡った。
「誰も見つけてくれないじゃん!」と入江に彼女の嘆きが木霊する。
彼女はかくれんぼの天才として名を馳せるが、それが仇となり探し疲れた男子生徒に置いていかれてしまうのだ。
「なんでお兄ちゃんなんだよ!」
「それは、お兄ちゃんだからだ」
入江のど真ん中で膝を抱えて座る彼女を迎えにくるのはいつも彼女の兄だった。
1.
妹が恋をしていることに彼は気づいていた。
それは前髪を気にして鏡を見る回数がいつもよりも多いこと、不必要に食事を抜こうとすること、母親にもっと彩りのある弁当にしろとやっかみをつけることからも、明らかである。
「なぁ、好きなやつでもできたのか?」
問いかけに対して、妹は口に運んだ納豆ご飯を喉を詰まらせた。あんなに潤滑性のある食べ物が喉に詰まることが、答えずとも答えとなっていた。
「図星か。キスまでにしておけよ」
兄の彼は少々、女性に対するデリカシーが足りていなかった。平然と納豆を啜る彼はキスどころか、まだ女子と手を繋いだこともない。そんな兄弟のやり取りを背中で聞きながら母親は野菜室からプチトマトのパックを取り出す。
なんでもない朝の風景だが、欠けているものがある。それはテレビのニュースをチェックし、世界の動向を見ているようでお気に入りのキャスターが出てくるお天気コーナーに早く切り買わないだろうかと待ち侘びているような、父親の存在だ。
彼らの父親はこの星にはいなかった。
そして彼らは地球人ではなかった。
日本の小さな島で行われていた実証実験その果ての犠牲によって、彼らは自由に海と同化できる特性が付与されている。ゆえに彼女はかくれんぼの天才となれた。
そしてそのギフテッドのおかげで彼らは地球人類と密約を交わすことに成功し、未知の惑星のテクノロジーを開示するという条件で、侵略されていく母星からその火種を隠すことに成功した。
そして、彼らの疎開先として白羽の矢が立ったのは、周りを海に囲まれている国、日本であった。
そして、残念ながら彼らの星は今、ほとんど壊滅状態にある。疎開先が見つかったため、彼ら自体は無事であり、侵略も鎮静化した。だが、母星の復興はあまりにも多い瓦礫の山と、残党との冷戦によって未だ困難を極めている。そんな現場に彼らの父親は身を置いていた。
「じゃあ、いってきます!」
開かれた玄関から眩い光が入り、忘れ物と母親が彼女に手渡す。
日差しは厳しいが風が吹いており、連日連夜続いていた殺人的な暑さからやっと平年並みの気温へと戻ったような朝は、まるで今から夏が始まるようだった。
「なあ、どんなヤツがお前の好みなんだ?」
「うっさい」
「少しだけ切った前髪の変化に気づける男だといいな」
「うっさい。うざい」
「ちなみに忠告だけどな。お前のかわいさを俺よりわかってる奴はいない。だが2番手ぐらい譲ってやってもいいかなと思える奴じゃないと俺はそいつを認めないからな」
「だから、違うって!」
二匹の子犬のように戯れ合いながら通学路を駆けていくと、学校が見えてくる。
彼の通う学校は小中一貫校で、兄の彼は中学二年で妹の彼女は小学四年だ。小さな島の生徒たちだからこそ、男子は入江でかくれんぼをし、女子は砂浜で貝殻集めや自然に研磨されて丸くなったガラスの破片集めが遊びのメインフェーズとなっている。
だが、男子たちは都心部の子供達が公園で集まってポータブルゲーム機で遊ぶ姿を目にしており、女子たちも親が昔持っていたファッション雑誌をきっかけに、月に一回島から出て本屋でファッション雑誌を買うことを遠征と称して楽しみだしている。
つまり、彼女の特技が存分に生きる「かくれんぼ」はすでに時代遅れになってきていた。そのことに彼女はまだ、気づいていなかった。
2.
「ただいま」
彼女はいつものように兄に手を引かれ家に帰ってきた。
迎えた母親が、ずぶ濡れの彼女を見て慌てて脱衣所へ走っていき、バスタオルを引っ掴んで戻り、頭に被せた。
「あのね、かくれんぼよりね、ゼルダの方がね、おもしろいんだって」
雨が屋根に当たる。そんな気がしただけだと思ったが、やはり雨は降り始めた。俯く彼女の顔は母親から見えなく、泣いている気がしたしただけだと思ったが、抱きしめた肩は震えていた。
「クラスで嫌なことされたの?」
「ううん」
「じゃあ、誰かと喧嘩した?」
「ちがうの」
それだけいって彼女は声をあげて泣いた。開けっ放しの玄関扉の先はスコールとなっており、真っ白が轟音を立てて地面を打つ。
「お母さん。一部始終を僕が見ていたから僕が説明するね」
「見てたの?」
「うん。心配だからずっと見てた」
母親は妹に対する兄の入れ込み度合いの方が心配だと思ったが、彼の言葉に耳を傾けた。
「あれは、とある放課後のことじゃった……」
「ふざけない」
「はい」
かくれんぼを得意とする彼女の周りには男子が集まる。そして彼らはまるで挑戦者になったつもりでたった一人で隠れている彼女を探すために奔走する。それがお決まりのパターンだった。
だが、今日は違った。
グループの中でひとり、海の向こうの街に住んでいる男子生徒がいた。その男児が新参者の参加を危惧し、グループでの居場所がなくなると恐れたのか、父親に買ってもらったスイッチを遊びの場に持ってきた。
今までかくれんぼや、鬼ごっこ、缶蹴り、水切りで遊んでいた男児たちはまるで初めて火を見た時の原人のようにその代物を恐れ、やがて虜となった。
そうなってくると、かくれんぼが取り柄の彼女には、立場がない。
また、クラスメイトの男子たちとばかり遊ぶ彼女はなんとなく女子たちからの視線に圧を感じていたため、今更輪に入ろうとするのはとても勇気のいる事だった。
すげぇすげぇと持て囃され、注目を攫っていく男子生徒に対して彼女は睨むことしかできなかった。
お前もう、用済みなんだよ。
振り返ったその男児はそう口にこそしなかったが、彼のニヤつきを見て、彼女はそう思わざるを得なかった。
3.
「ごめん。母さん、僕が、ぼくがさ、もっと早く気づいていればよかったんだ。くだらないことにはたくさん気づくのに、なんでこんな時に限って……。そうすれば泣かなくてすんだ。僕の可愛い妹は泣かなくてすんだのに、」
開けっぱなしの玄関からそう都合よく希望の光は差し込んでこない。外は晴れない。スコールは続き、母親の鼻先には雨の湿気った臭いがまとわりつく。
だから、母親は二人を抱き寄せた。数秒の沈黙があり、やがて兄妹は共鳴する。
「わたしたちって、これからもずっとこうやって、のけ者にされちゃうのかな」
「だったら僕はお前をのけ者にする奴をこの手で殴ってやる。お前を守るって僕は父さんに誓ったんだ」
母親は彼の歯軋りと彼女の啜り泣く声を聞き、少し嬉しく思いながらも諭さなければなかった。
「永遠なのかはわからない。だって私たちは明らかに違うからね、もしかしたらこうやってずっと分かり合えないままなのかもしれない。でもね、母さんはあなた達に優しいままでいて欲しいな」
「優しいままじゃ、きっと妹を守りきれないよ」
「だとしても、この約束は守りなさい」
「母さん。わがままはやめてよ」
母親が息を呑んだ時、遠雷が落ちた。
4.
優しい人のまま、守る。
それは彼にとって難問だった。なぜなら彼は物心ついた後に母星の惨状を目にして、疎開してきているからだ。そんな彼にとって守るということは、それ以外を捨てるに等しかった。
だからこそ、翌日から家族の三人の会話は減っていった。無理して元気に振る舞う彼女の笑い声は七日目の蝉のように沈黙の朝景色の中でよく響いた。
彼女はあれからクラスメイトの男子にゲームに誘われても断り、相変わらず女子には馴染めなかった。「私はどうしたらいいの」の堂々巡りは続き、雨も降ったり止んだりしている。遊び場の入江には荒波が押し寄せ、危険苦となっているため近寄ることすらできず、こうなると放課後は誰かの家に集合する流れとなる。
大縄跳びの列に加わる気持ちで、時折会話に入るがそこでは長いカタカナや漢字のアイテム名や武器名が飛び交っている。まさに異星人だなと感じ、思わず笑ってしまうと男子達の会話が止まった。
「何がそんなにおかしいんだよ?」
素朴な疑問によって、彼女の息は簡単に詰まった。
学校に行けば、異星人のように見られ、それは確かにそうだが今まではそうでなかったため辛く、家に帰れば無言の兄と過ごさなければなかった。母親とは変わらず会話できたがそれでも彼女の日常は十二分に崩壊していた。
そんな日の晩、母親と彼女は中継衛星を介して、月に一回使用が許可されている通話で父親を呼び出した。
兄を含めない家族との団欒を楽しみ、彼女はその後父親に全てを話した。
「あちゃー、その復興もだいぶ時間がかかりそうだな」
まるで他人事のように笑う父親を見て、彼女はむくれる。
「今、絶望しているか?」
突然の問いに彼女の瞳が揺らぐ。画面越しに見つめる父親の顔は薄汚れていて、目は優しげというより、疲弊で瞼が落ちている印象があった。
「絶望できるのはね、生きてる奴だけの特権なんだよ」
彼女が泣いている時、父親はしゃがみ込んで額を指先で弾く。痛くはなく、頭蓋内だけで響く骨音はいつだって彼女にひらめきを与えてくれる。
「そこにいないのに、何光年も離れている場所にいるはずなのに、なんで」
「たくさん泣けば、そのうち絶望だって止むさ」
「うっさいな。早く、帰ってきてよ」
「だよな。お父さん頑張るよ」
通話を切った彼女は翌朝、学校を仮病で休み、兄も強引に休ませ、そんな彼を家に待たせたままホームセンターに向かった。
5.
仮病の理由は外が久々に晴れたからだった。
彼女はホームセンターで買ったビニールプールをまだ梅雨のはけていない庭に出す。
「膨らまして!」
「なんで?」
「お兄ちゃん、私のこと好きなんでしょ! じゃあ言うこと聞いて!」
そう言われて彼は満更でもない気持ちでズル休みを謳歌し始める。
母親はキッチンでサンドウィッチを木の籠につめ、彼女は一緒に買ってきたキャンプ用のテーブルと椅子を用意している。
であれば、電動ポンプも買えば良いのに、2m四方のビニールプールを彼女は人力で膨らませることを兄に強いた。そんな彼女の無茶振り大して兄の彼は嬉々として受け入れている。
「あのさ、電動買えばよかったんじゃないか?」
「これがいいの!」
「そうか。これでいいのか!」
この兄妹、たとえ異星人でなくともだいぶ奇異な兄妹である。
そうしてやっと膨らましたビニールプールに浸かりながら彼はふと、思い出す。まるで自転車の乗り方を教えるように、海との同化を教えた日のことを。
「あら、懐かしいじゃない」
彼の中でまだまだ「守る」という言葉は咀嚼しきれていない。
だが彼女が大きな流れに攫われそうな時、掴まれるだけの強さを持った人になろうと思った。
彼は難問に対して「またね!」と告げ、今を楽しんだ。
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かくれんぼよりかは、ゼルダの方が好きそうなイメージはあります。はい。ふざけてごめんなさい。