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見捨てられる恐怖

3年前、76歳で亡くなった母は、最期まで「母親」になれない人だった。

晩年、私たち姉妹と母とで温泉を訪れた事があった。しばらくお湯に浸かったあと、長湯が苦手な母は一足先に上がった。ところが私と妹が上がってみると、母がどこを探しても見当たらないのだ。
しばらくして、目に涙を溜めて怒りに震えながら現れた母は
「どこにいたのよ!私を置いて帰ったのかと思ったじゃないの!」
と怒鳴りあげた。
そんなことがあるわけない。ここは家から車で2時間以上離れた山の中なのだ。それに探していたのはこっちの方だ。

その数年前に、母はアルツハイマーの予兆があると診断を受けアリセプトを処方されていた。娘二人はいよいよ症状が進んだかと暗澹とした気分になった。
それと同時に、この「見捨てられる恐怖」こそ、母を狂気に陥れる一凶なのだと、その時思い当たったのだった。

私が小学生の頃の話だ。
日曜日の昼下がり、私の何気ない一言をきっかけに酷い夫婦喧嘩が始まった。いつものように3人の子ども達は家の外に出て、成り行きに耳をそばだてていた。「離婚」という言葉が飛び交い、私は「お父さんとお母さんが離婚したら私のせいだ」と泣いていた。

ふと大声が止んだので、恐る恐る玄関の中を覗いた私に、父がにこやかに尋ねた。
「皆でドライブに行こう。海と動物園、どっちが良い?」
良かった!仲直りしたんだ。ほっとした私は聞かれるままに「動物園がいい」と答えた。

「ほらやっぱり。子どもは動物園がいいっていうさ。」
という父の機嫌良い言葉が終わる間もなく、家の奥から母が飛び出してきた。鬼の形相である。

「誰も私の気持ちを分かってくれない!私の事なんてどうでもいいんだ!殺せ!殺せ!いらない私なら殺してしまえ!」

手には包丁を握っている。

慌てた父は
「分かった、今日は止めよう」
と言ったが、母は真っ赤な顔を涙でぐちゃぐちゃにしたまま
「行けーっ!行けばいいだろう!私のことなんかどうでもいい!さっさと行けーっ!!」
と、私たちを追い立てた。
外にいた妹たちは訳も分からず父と私の後に従って歩き出した。動物園までは車で30分の距離だ。だが、車のキーを取りに家に戻るような状況ではなかった。
何故なら、歩き出した私たちの後ろを、包丁を持ったままの母がついてきたがらだ。
「私なんか、どうせ邪魔なんだろう!」
「殺せーっ!」
と怒鳴りながら。

「もうやめないか」
という父の言葉で、母は自分が軽んじられていると感じたのかもしれない。
そのたびに、母は血を吐かんばかりに吠え、泣き、こちらを睨みつける目の光はギラギラと強くなる。ついに父は母をなだめるのを諦め、私たち一行は動物園に向かって歩き続けた。

無言で歩く父親と、しゃくりあげながらその後に続く3人の娘。その5メートル後ろを、包丁を握った母親が家族を大声で罵りながらついてくるという呪われた行進は、日曜日の家族連れたちの目にどんな風に映っただろう。今なら警察が飛んでくるかもしれない。
結局動物園まで歩き、とんぼ返りで家まで戻る間、母の気持ちが収まる事はなかった。

母は海に行きたいと言った。父は動物園が良いだろうと言った。そして私が動物園と言ったがために、母は激しい疎外感みまわれ、そのあげくの所業だったという。

私の母は、そんな人だった。
年齢を重ねて丸くなる、ということはほとんどなかった。
その根は、見捨てられる事への恐怖だった。
誰に?
母の母に。

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