魔法の秋

 歌舞伎の民なら誰もが知っている【新宿バッティングセンター】でピッチングに興じていたところ、まあ全力投球して腕の関節が持っていかれそうになったのだけど(歌舞伎来てから運動不足なので)、ふとその瞬間フラッシュバック、それは在りし日の小学校の思い出---

 私は田舎出身である。どれくらい田舎なのかと言うと、【森林率全国1位の県】に住んでいたし、実家から小学校まで徒歩4km(!)もかかるし、まあわかりやすい例えだと【のんのんびよりの世界(通学路の方面は)】に限りなく近かった、そう言っても過言ではない環境で育ったのである。

 閑話休題。

 私は小学校の登校時、よく道草を食っていた。文字通りの道草(ギシギシ、イタドリなど)の場合もあるし、クワの実、アケビ、クリなどが主なターゲットであった。通学路の田舎道に生えている植物は、往々にして食用になりうるのだ。特に秋は様々な植物、樹木から†ギフト†が得られた、中でもクリはトップクラスのターゲットだった。

 クリは落ちているとすぐにほかの子どもに拾われる、即ち落ちているクリを探すのではなく、"落とす"のが近道だと少年少女たちが悟るまではそう長くない。草野球に親しんでいる少年らは、路傍の石を手に取り、道路の脇の森から生えているクリの木の、たわわに実ったクリの"いが"ごと目標にして石を投げ続ける。さながら極東のインティファーダ。

 当然、食い意地の張ったプチ野球少年だったぼくも全力投球するのだが、クリを落とせる時もあれば落とせない時もある。だけどいつだって全力投球、肩は外れそうになるし、筋肉痛や肘を軽く痛めたこともしょっちゅうだ。刹那。小学校の通学路の、その腕や肩の痛みが、新宿歌舞伎町のバッティングセンターでピッチングをする私と接続された。

 要するに、私はピッチングを通して無意識に過去の自分を回想したわけだが、ピッチング自体の痛みや快感にあの頃との変化は感じられない。10年以上の歳月が経っているにせよ、私は的に向かってボールを投げる瞬間、確かにイガグリに向かって小石を投擲していた。

 また話は変わるが、まあこれが本題なのだが、その小学校の頃よく読んでいた児童文学の中に「ドラゴンラージャ」がある。「ハリーポッター」「デルトラクエスト」などの影に隠れてはいるが、優れた韓国の名作小説だ。その中に、「魔法の秋」という言葉が出てくる。

 曰く、「秋は四季の中で最も神秘的な季節で、魔法の秋に入った事を自覚できる者は少ないが、それを自覚した者は秋が始まってから冬になるまでの間に、歴史に残る偉業を成し遂げられるという事」らしい。

 現実、今年は10月に入っても残暑に見舞われ、秋とは思えぬ気候であったが、ご存知の通りすぐに冷え込み、秋を通り越して冬が来たような不思議な気分だ。

「魔法の秋」どころか普通の「秋」すら程遠いように思えてくる。実際、遥かなる道程だ。そしてそれ故にこの文章はここで打ち切らなければならない。

 本当はみんな魔法にかかってるかもしれないね、歌舞伎町って 



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