この国で幸せに生きていくということ

「食用油に続き、ポテトチップスや小麦製品の値上げも予想されます。」
「人生に嫌気がさした40代男、女性を人質にたてこもる」
「今回の判決では、日本の婚姻制度は男女が共同生活をし子孫を残すことを法的に保護することだとし———」
「既婚子なしの20代後半の女性は就職の際に敬遠されがちなんですよね」
「最近入ったあの事務の子、メンタル病んでやめたんだって」




20代後半、既婚。夫と二人暮らし。
3か月前に会社都合で退職した。現在は次の職を探している。
次々と送られてくる税金の納付書。働いているときは給料から天引きされていたため気に留めなかったが改めて考えてみると様々な税金を払っている。

税金は社会を作って営む上で必要なものだと思う。
きれいに舗装された道路を歩けるのも、体調が悪いときに気軽に病院を受診できるのも、出したごみを回収してもらえるのも税金だ。
それにしても改めてみると高い。
しょうがない、とあきらめてペラペラの紙を引き出しにしまった。 


私は前職で医療関係者として働いていた。大学に通い国家試験を受け合格して働き始めた。仕事はまあまあ忙しく、一日中バタバタと動き、患者さんの対応をする。「いつもありがとうね」と言われることもあれば「余計なことはいいんだよ早くしろ」と言われることもあった。はじめは傷つくこともあったが次第に慣れた。医療職ということもあり、仕事が生死に関わる。人間はミスをする生き物だがミスは許されない。そんな日々に少しずつ神経をすり減らしていた。

働き始めて3年がたった。毎日バタバタと働いているが一向に手取りが増えない。額面は増えているのに手取りはほとんど変わっていない。それどころが食費も光熱費も値上がりしているためか手元に残るお金は減っていく。
それに比べて仕事は増えていく。それに伴って責任も増えていく。働いても決して裕福になるわけではなく、手元からぽろぽろとお金が零れ落ちていくのを見ていることしかできなかった。

2月になり会社の上層部からアナウンスがあった。
「契約が3月に切れるので他の勤務地に異動をしてほしいのですが、このエリアには候補地がなくて・・・」
「急に言うのは申し訳ないのですが、今働いている勤務地の会社に就職という形で移ってもらうか、会社都合として退職するかの2択になります。」

いきなりだった。しかし、正直言うとありがたかった。

アナウンスをもらう3か月くらい前から、体の調子が悪かった。寝ても寝ても眠気が取れず体が鉛のように重い。週末はベッドの上から1日中灰色の天井を眺める生活、部屋の隅にはほこりがたまり、冷蔵庫の中の調味料は軒並み賞味期限が切れた。それでも月曜日はやってくる。明日着ていく服がないから気合で洗濯機を回した。

そのうちに仕事にも影響を及ぼし始めた。今まで理解できていたようなことが理解できない。文字を読んでいるはずなのに、ひらひらとどこかに消えてしまい頭に残らない。そんな私を置き去りにして、仕事はどんどん増えていく。

声が聞こえる。私に説明している声だ。耳から音が入ってくる。でも肝心の言葉が頭に入ってこない。

マスクが冷たい。
鼻水も出てべたつく。
思考が止まって理解のできないポンコツの自分に嫌気がさした。それとは反対にぽろぽろと涙は止まらなかった。

職場の同僚には恵まれていた。そして専門医の受診を進められ通院をはじめた。その時初めて、自分の状態の深刻さを悟った。自分は医療職だし、疾患に関しては詳しいと自負していた。でもそれは客観的に見れるときにしか役に立たない。頭の中が真っ黒になってしまっては、せっかく勉強して頭の中に書き込んだ内容も文字も読むことができなかった。
たった2か月で体重は4㎏落ちていた。



「幸せとはなんだろうか。」

私にはこの問いの答えはまだわからない。

仕事があること?職場に恵まれること?
精神的に健康であること?
大切な人がいること?
給料が高いこと?
ほしいものを手に入れること?

私は海外に行った経験もなければ住んだ経験もない。
他国の政策や様子を詳しく知っているわけではないが、少なくとも30℃越えを連日記録するような猛暑の国で節電ポイント還元イベントをやるような社会の長はいないと信じたい。むしろいたら困る。

消費税を上げるのは簡単だが下げるときになってシステム変更の大変さを説くような政治家。
数万で18歳の少女を買う国会議員。
たった一人の社員を袋叩きにしていじめる会社。

働いても給料は上がらない、仕事は増えていく。
頑張っても認められない。将来は不安しかない。
政治は信用できない。誰がやってもどうせダメだ。
税金が高すぎる。働かないほうがマシ。
結婚はお金がかかるし縛られるから一人でいたほうが楽。

でも誰かに認められたい。
誰かに必要とされたい。

自分さえいい思いができれば良い。
他人がどうなっても構わない。
自分が絶対に正しい。

表向きには常識的な立ち振る舞いをしていても、皮を一枚めくったら誰しもがこんな感情を持っている。
嫉妬や妬み、怒り、あきらめ、欲望
どす黒い感情が自分の内側から感じられて不快になる。

医療の進化で治らないと言われた病気も治るし長生きもできる、食べるものもおいしい。ボタンひとつで誰とでも繋がれるし、ボタンひとつで欲しいものが家に届く。選択肢がたくさんある。何一つ不自由がない、まさに幸せな時代。

そんな幸せな時代で「幸せとはなにか」という問いの答えを探す私は一体何者なんだろうか。「幸せな時代」に満足できない自分に問題があるのか、自分が求めている「幸せ」を見つけられないのか。はたまた自分が持っている「幸せ」を認められないのか。
今の私にはわからない。そして不安しかない。これから先の人生、確実に先細りするこの国とともに「幸せとは何か」を考えて生きていくことに。



年金、住民税、保険料…
あらゆる税金が高い。
束になって届いたペラペラの紙を握りしめてコンビニに向かう。
生きているだけで税金がかかる。考えるとどす黒い感情がうごめく。
そういうものだと割り切ってレジで紙を差し出した。



四角い部屋の真ん中に置かれた机には椅子が向かい合っておいてある。
おくれてすみません、と入ってきた担当者は30℃を超える中でも涼しげにスーツを纏い汗一つかいていない。
「気を悪くされたら申し訳ないんですが」
眉をしかめて少し表情を曇らせて言う。

「既婚子なし20代後半の女性は就職の際に敬遠する企業もあるんですよね」

少子高齢化、クソくらえだな。
国もろとも滅んでしまえ。

心の中でそう呟いて、机の下でその企業に中指を立てた。

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