昭和の頃の話 私の母編
今日も昭和の頃のお話しの続きです。
私の母の家は材木商をしていたので、比較的裕福な家庭だったようです。
お弁当を持ってこられない子がたくさんいるなかでも、母はいつも白ご飯を持って行かれたようでした。
母の祖父は松本城主の末裔だと聞いたことがあります。
本当かどうかはわかりませんが母は昔から、品があるか品がないかをよく口にし、品というものを気にする人でした。
母は5人兄弟の長女で、苦労知らずのおっとりお嬢様タイプです。そんな母が、なぜ農家の長男である父と結婚をしたのか?と思うのですが、
父は教師をしていたので、農家を継ぐことはなく、掃除も洗濯も俺がやるから結婚して欲しいと母に言ったそうです。
母の母、祖母はとても働き者で、毎日どんなに熱があって体調が悪い日でも、必ず玄関とトイレ掃除をしないと気が済まない人でした。
最後は癌でなくなりましたが、入院するギリギリまで、それを続けていたようです。
そんな祖母に育てられた私の母ですが、母はあまり掃除は得意ではありません。
でも手先は器用で、洋裁、編み物などで姉と私の服をよく作ってくれました。
母の父、祖父は見た目も大きくて、仁義を切れるような、すごみがあり、子供の頃、面白がって教えてもらったことがあります。
腰を落として、右手を前に出して、
「おひかえなすって、手前、生国と発しまする所、松本でござんす、松本といっても広うござんす・・・」笑
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