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父の遺書がちょっと多い

いま、リビングのテーブルに父の遺書がある。リモコンや新聞やダイレクトメールでごちゃごちゃしているところに遺書もある。普通、遺書はそういうところに置きっぱなしにされないと思う。ちょっとすまないとはわたしも思っている。

「この遺書、あんた読んだ? 持って帰って読んだら」
「この遺書は多分まだやったかも。じゃあ、うん、持って帰るわ」
先月、出張のついでで帰省したとき、母とこんなやりとりをして、遺書はここにやってくることになった。

そうなのだ。父からわたしたち宛ての遺書は何バージョンもあった。便箋に書いたもの。A4コピー用紙に出力したもの。パソコンにWordファイルで作ってあって出力はしていなかったもの。父はことあるごとに遺書を作成していたようなのだ。

現存する最古の父の遺書は(そんな重要史料みたいに)、これだけ飛びぬけて古くて1990年5月のものだ。新聞紙の切れはしに書かれている。

「エンジンの調子が良くない。万一のことがあれば君らと別れるのはつらいけど悔いはない。しっかり生きたし楽しかった。待ってるけどゆっくり来て下さい。よい人生を!」

乗った飛行機に不具合があったのか、事故になる可能性を思って走り書きしたようだ。1985年に日航機墜落事故があって、被害者が妻子に宛てた遺書が大きく報道されたので、5年経っても父の心に残っていたのだろうと思う。

宛名は母と姉とわたし。「よい人生」の下にも何か書きかけた痕跡があるけど、上からジャッジャと消してあって読み取れない。この日経新聞は日付だけ英語表記で、父の手書きの日付はそれより1日遅い。海外出張の帰りか。

「死ぬかと思ってこんなん書いたわ」などと言ってこの新聞紙を見せられた覚えが、わたしたちにはない。すっかり茶色くなったのを父の書斎から母が今回見つけた。航空各社が新聞の機内配布サービスを打ち切ったのが、もう14年前だそうだ。

ほかの遺書はここ15年ぐらいに集中している。60代で書いたものも70代で書いたものも、内容に差異はあまりない。「僕は僕の人生に満足しているので、君らもあまり悲しむな」ということと、遺産のことが書いてある。メッセージは一貫している一方、遺産の分け方がそのときどきで異なるのは、銀行や証券会社の言うことに流行りすたりがあったからだろう。

「あまり悲しむな」は、そのまま父が思っていたことに違いないと思うけど、予防線のような意味合いも含んでいる気がする。

若い頃、父から電話が来ると、わたしは「はいもしもし、どうしたん」と応答していた。父はレストランで注文の料理が出てくるのを待っている間に、暇つぶしに電話してくることが多々あったので、娘としては“またレストランやろ、なんやねん”という気分を隠せないところがあった。

あるとき、帰省中の食卓で父が母に「俺が電話したらいつも『どうしたん』って言いよんねん」と言いつけるような感じで言った。わたしを目の前にしながら母に言うので、ちょっと悪かったなと思って、それからは「もしもし」の後、父がしゃべりだすのをちゃんと待つようにした。

邪険にされるのが苦手な人だったと思う。得意な人もいないだろうけど。

両親でわたしたちのところへ遊びに出てくると、父は毎回のように“笠智衆ごっこ”をした。なんの脈絡もなく『東京物語』の周吉になって「う~ん、そろそろ帰ろうか」と母に言うのだ。

母がとみ(東山千栄子)になって「もう帰りましょうか」と応じたのは1回だけのことだった。わたしがわりと本気で嫌がったのを察したのだと思う。実際、仕事やほかの予定をやりくりして時間を確保して、両親の上京中ほとんどずっと一緒にいるのに笠智衆をやられると、むなしくなって力が抜けた。

母は1回でやめたのに、父は「怒るな怒るな冗談や」と言って、何度も周吉になった。わたしはわたしが志げ(杉村春子)のようだったとはどうしても思えないけど、“忙しいのに無理して両親の相手をしている”気分はやっぱりあって、父はそれに気づいてしまったら、茶化さないではいられなかったのだろう。

父は社会的にだいぶ階段を上った感じになっても偉ぶることはなかったし、ちやほやされたがることもなかったけれど、家族に邪険にされるのは我慢ならない人だった。

そういう人だから“自分が死んだ後、家族が悲嘆に暮れるのは嫌だけど、立ち直りが早すぎるのもちょっと”、そんなふうに思った気がする。わたしたちがケロッとしていたとして、それは自分の遺言だから、ということにしたそう。「したそう」とか、他界してまで娘に勘繰られる父、ちょっとかわいそう。

かわいそうといえば、遺書が物理的にも内容的にも尊重されているとは言いがたくてかわいそう。遺書はしまいどころが見つからずにテーブルの上だし、相続のことは法定通りに粛々とやったし、「あまり悲しむな」もあまり守られていない。ついでにnoteにさらされてもいる。クリアファイルに挟むか、いったん。この前買った板谷梅樹のがちょうどいいような気がしている。

板谷梅樹の帰りの工事現場の仮囲い。ミット・ジャイイン氏の絵画「のイメージを特別に構成した」そう。言ってることがわたしには少し難しい


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