6月の佐倉、自由旅
最近は、自宅からある程度遠い場所で仕事や気になるイベントがあるとき、よさげなホテルが近くにあれば旅行にしてしまう。今回は、DIC川村記念美術館でやっているカール・アンドレを見たくなり、佐倉旅行を計画してみた。行ってみてわかったけど、梅雨入り目前のよく晴れた日、つまり6月初旬とかに空が広めの街へ行くのは、めちゃくちゃいい。
佐倉の宿泊施設でこれと思ったのが古民家の一棟貸しで、7~8人泊まれるサイズだった。金額的にも寂しさ的にも、さすがに一人では泊まれない。寝室が3つあるから友だち2人を誘って付き合ってもらった。1人は松尾スズキと菅田将暉が好きなので、松田さんとしておく。もう1人はビールが大好きなので、麦野さん。
1日目は11時過ぎから観光を始めた。松田さんは仕事の疲れが残っているので途中から合流するスケジュールで、麦野さんとわたしは京成佐倉駅の南口を出るなり、バナナジュースをまず飲んだ。地元の酒蔵さんが開発・製造し、自販機で売っているのだが、この自販機が今のところ佐倉市内にだけ設置されているので、ジュースひとつでも観光みがある。
ジュースは甘酒とバナナを両親に持つ子なので当たり前に優しく、なんだか癒される味だった。座る場所はないのでそこらに立ったまま「美味しいね」「美味しい」「美味しいんだけど、一気飲みはちょっとしんどいことない?」「それ思ってた」と勝手なことを言いながら飲む。
南口からまっすぐ南へ行けば突き当たりが佐倉市立美術館で、そこでは「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展をやっているはずだった。が、駅前のチェーンじゃないハンバーガー店が肉の焼けるいい匂いをぷんぷんさせてくるので、つい寄り道してしまう。
佐倉に着いて15分と経たずバナナジュースを飲みほして今度はハンバーガーを食べ始めるわたしたち。八千代黒牛の赤身のところを使ったギュギュッとしたパティを、全粒粉のバンズが受け止める迫力あるバーガーで、食べながらもう胃腸に血がいって眠たくなる。
バーガー屋さんの2階の眠気のなかでする、来るときの京成線が長かった話。前に座る家族連れのお父さんが漫画みたいに大口を開けて寝ていた、隣に座った若い男子の体温が高くて放射熱がつらかった、田んぼに鉄塔のある風景が続いたので『リリイ・シュシュのすべて』を思い出した、そんな話で眠気をいたずらに増幅させる。階段は上るときはなんともなかったのに、下りるとき、いきなり急だった。
歩き出すと眠気がおさまってくる。八百屋の店先では淡竹(はちく)を手に握って誰かおしゃべりしている。坂の途中に古道具や雑貨が置いてあるお店があって、やっぱり寄らずにはおれなかった(ワーク・ワークスさん)。作家ものの器や、昭和期の黒電話や本立てや香水瓶などがにぎやかに並んでいた。古民家に泊まる荷物はホテル用より多いので、ここは控えめに、切り絵作家・木村逸子さんの夏向きのポストカードと、おそらく今はもうない西銀座の喫茶室のマッチ箱を買った。
エドワード・ゴーリーは、昨年のちょうど今頃、松濤美術館でやっていた展覧会を見ようとして、建物の前まで行って混雑ぶりにおののいて諦めたので、ようやく会えましたねという感慨を勝手に抱く。この後、横須賀、奈良、名古屋、高松と巡回するようだ。
ゴーリーの絵は線描。なめらかな形のものでも、執念深く描き込まれた無数の直線たちでできている。紡がれる物語は残酷なのにどこかに可笑しみがあって、ひどいけど嫌な気持ちにはならない。感じるままに、矛盾を引き起こされながら見るしかない。
猫だけがひどい目にあわないし、なんかちょっとファンシー調。バレエの描き方がもはや絵というより賛美で祝福。シニカルな作風で知られているけど愛が直球な人でもあると思った。
「音叉」という絵本の、家族から孤立して海に身を投げた少女と、少女の話を聞く怪魚の絵が好きだ。直前の場面に比べて、怪魚が頬杖をついて尻尾がふわんとして、聞く姿勢になっているのがいい。ちなみにこの後、少女の家族は一人ずつ浴槽で溺れ死ぬ。
「ドラキュラ」の中の1枚が「HUNTER×HUNTER」蟻編の“食料庫”のカットと似ていた。偶然かもしれないけど、偶然ではない気がする。富樫義博はゴーリーが好きそう。
美術館を出て、同じ並びにある老舗和菓子屋・木村屋さんへ。ここから松田さんが合流する。ここは予約しておけば、蔵を見学できる。案内してくれるのは女将さんだ。いるだけでパッと周りを明るくするようなキラキラした人で、蔵の中の宝物や木村屋さんの由緒などを話してくれる。
女将さんによれば、木村屋さんの一族は和田義盛の外戚の末裔か何かだそう。「昨日は和田塚に行って、その後、印西の巴御前のお墓にも行ったのよ」と笑っていらした。佐倉から和田塚と印西を回って帰ったら移動だけで6時間はかかる。なんて元気な。聞き間違いだろうか。とかく、こちらが「聞き間違いだろうか」と思うような話をポンポンする女将さんであった。
女将さんのお母さまが詠んだ、お父さまへの恋歌のようなものも見せていただいた。途中、女将さんの勧めでなぜか一度外へ出て、はす向かいの小さな美術館へ行った。芳名帳に筆ペンで名前を書いて刀剣を見る。3人とも刀剣に思い入れがないので盛り上がらないが、松田さんが気を遣って「この中だったらどの刀を持ちたい?」と話題を振って、わたしも「じゃあ、この青いの」と答え、麦野さんも「この刀は技量が劣っているんだって」と解説プリントのネガティブなところを読み上げる。
蔵はすてきだったし、お菓子も美味しかったけど、何年か経って覚えているのはきっと女将さんのことと、もしかしたら群青色の柄がきれいな刀のことだ。
和菓子屋さんの後は歩いて5分のところにあるピーナツ屋さんへ。ここでまたピーナツをあれこれ試食させてもらったので、本当にもう食べっぱなしの旅だ。にんにくチップがたっぷり入ったのが美味しく、満場一致をもって今晩のおつまみに採用する。
いよいよ古民家へ向かう前に、まずはヤオコーへ買い出しに行く。最初はワインなどは家から持って行くつもりだったけど、佐倉のヤオコーはワインの品ぞろえがいいというSPURさんの記事を松田さんたちが見つけてくれて、ワインも食材もヤオコーで買うことにした。確かに、自社輸入のワイン、1000円以下のワインなどが豊富だった。
タクシーがヤオコーに着いたとき、「これからまたどこかへ車で行かれるのなら、駐車場で待っていますよ」と運転手さんが言ってくれて、お言葉に甘えた。待っている間も積算されていく方式でなく、いったん精算させてもくれた。1回目の精算額は2700円だったけど、2回目が1000円だったので申し訳なかった。「どうせ休憩するところだったからいいんです」と言ってくれて、優しい人だった。
16時頃、古民家・成田さくら邸にチェックイン。テントサウナに羽釜に七輪に囲炉裏に五右衛門風呂と、普通のホテルにはない設備が多く、丁寧に説明してもらえた。さっそくテントサウナのストーブに薪をくべて熱する。かわりばんこに入ると思ったのに、なぜか2人が先に入って「早くおいでよ」と呼ばれたから、1つのベンチを3人で分け合った。熱いより暑苦しい。なぜ呼んだのだ。一酸化炭素アラームは鳴りそうで鳴らなかった。
サウナ初心者の松田さんは1回いただけで「わたし、もういい」と出て行った。わたしは4、5回。五右衛門風呂(小さな別棟に陶器製の湯船がしつらえてある立派なもの)を水風呂にして楽しんだ。サウナ好きの麦野さんは、わたしが終わった後も延々と続けていた。松田さんとわたしで夕飯の支度を始めても、まだまだ薪をくべていた。非常にマイペースな人で、それは松田さんもそうだし、わたしもそうなので、なんだかとても気が楽になる。
夕飯の支度といってもたいしたことはなくて、好物のエシャレットの皮をむいたり根を切ったり、麦野さんが謎に買ったカリフラワーをただ茹でたり、砂抜きをしたはまぐりとヤングコーンをトマトとにんにくで炒めたり、そういうことをぼちぼちやった。わたしはいつも通りにIHクッキングヒーターやらフライパンやらで調理しただけなので気楽なものだった。2人はえらく感謝してくれたけど、松田さんが囲炉裏部屋の押し入れから食器類をたくさん出してきてくれたり、麦野さんが羽釜でご飯を炊いてくれたりで、わたしはややこしいことは何もしなかった。
土間のダイニングテーブルで、ビールと白ワインを飲んで、それが終わったら囲炉裏の間へ移動して、鶏せせりと牛ハラミを七輪で焼いた。せせりが美味しすぎてハラミがかすんだので、ハラミは半量、チャーハンにした。松田さんは初サウナの後でお酒がまわりすぎたのか、いつもと食事の量や脂っこさが違いすぎたのか、食べて間もなく自分の部屋で寝始めた。
麦野さんは細いのに健啖家で、わたしたちは結局2時までちびちび飲んだ。もともとは、わたしと松田さんが若い頃、同じ会社の同じフロアにいて、松田さんがその前の職場で一緒だったのが麦野さんだった。松田さんを介して、いつからか3人でよく遊ぶようになった。
麦野さんとは映画やドラマや漫画の話をすることが多いけど、この日はせっかく佐倉の古民家まで来て、なぜかグチが多かった。会社の合理的じゃない経営のこと、いけすかない仕事相手のこと、もっとライトに電車の中にいる迷惑な人のこと。わたしは麦野さんの周りにある変なことに対してマッハで憤慨して「え、なんだそいつ」と麦野さんより熱く悪口を言ってしまう。麦野さんはよくよく聞いていると「それは納得いかないよね」などと、わたしのモヤモヤに寄り添ってくれつつ、わたしの話に登場する人たちの悪口は言っていない。フェアな人だ。
深夜にお開きにしてお皿を下げていたら、流しのところの壁に、ハエトリグモとタランチュラの中間サイズの蜘蛛がいた。普段なら蜘蛛は唯一、自分の寝室にいても気にならない虫だが、毛が生えているのが見えるサイズはちょっと嫌。あと、夜に見る虫は昼に見る虫より怖い。
東京とはレベルが違う静寂と畳の匂いの中で深く寝て、朝はウグイスの声で目が覚めた。「朝はウグイスの声で目が覚めた」は言い過ぎかもしれないけど、起きたとき、ちょうどウグイスの声が聞こえていたのは確か。蜘蛛は昨夜いたところにはもう姿がなかったけど、朝なので怖いと思わなかった。
まだ少し具合の悪そうな松田さんが、朝食のトマトなどは食べてくれて、ほっとする。まだ少し具合が悪いからかもしれないが、松田さんが寝た後に麦野さんとわたしがどう過ごしていたか、松田さんは一切気にしていなかった。最後に起きてきたのは麦野さんで、荷物をまとめるのも彼女はマイペースだ。わたしが食器を片付けたくて「これ食べる? もう捨てる?」と聞くと「せっかちねえ」。紙芝居のセリフみたいにはっきりゆっくり言った。
併設のカフェで3人そろってコーヒーをテイクアウトして土間でひと息ついて、それからチェックアウトお願いしますと申告した。広い古民家なので、忘れ物のチェックなどをしてもらえる。屋内にはにんにく臭さや焦げ臭さが漂っていたはずだけど、何も言わないでくれた。「静かで本当にいいところですね」と言ったら「それだけが取り柄ですし」と謙遜をおっしゃる。羽釜のご飯が美味しかったこと、サウナがちゃんと高温になったことなど報告したら、にこにこ喜んでくれた。チェックアウトした後にタクシーを呼んで外のベンチで待とうとしたら、「蚊が来るから(古民家の)中で待っていてください」と勧めてもくれた。
京成佐倉駅に着いて、松田さんは大事を取ってそのまま帰ることになった(その日も次の日もLINEで連絡を取り合って、体調は回復したようだ)。麦野さんとわたしは無料送迎バスでDIC川村美術館へ。30分うつらうつらしていたら着いて、着いたら立派に高原っぽいところにいた。広大な庭園の中に美術館やレストラン棟が建っている豊かな空間で、空気が美味しい。
「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」展は2階の展示室2室だけを使っていて(スタジオを共有していたフランク・ステラとの響き合いを伝える展示が別途1室)、量的には「あれ?」と思わないではなかったけど、見るだけでなく、音を聞いたり、文字を読んだり、上を歩いたりできる展示で、鑑賞体験の手数の多さによるところもあると思うけど満足した。
薄い金属板やライムストーンの立方体、木の角材が、華美な装飾を厭うように無骨に、でも端整に並べられている。木には裂け目があったり金属には歪みがあったりする。順路のない展示室の中を歩き回って、一つひとつの作品に触れていくと、何かを拾い集めているみたいで、美術館でアートを鑑賞しているというよりもっと土くさいことをしている気分になった。
展示棟を出ると真夏みたいな日差しだった。レストラン棟で遅い昼ご飯。わたしはやや二日酔いが残っていたので、パスタをメインディッシュにした簡易ランチを。麦野さんは立派なランチコースを。前菜の盛り合わせがどれも美味しくて、海老を食べたら元気がわいてくるような感じがした。わたしが海老好きだからなのかと思ったけど、麦野さんも食べた後に「ほんとだ」と言っていた。海老すごい。
混んでいるのにスタッフさんがにこやかで機械的でなく、上等のサービスを提供してくれて、くつろげる時間だった。窓の外には木の葉にカナブンがとまっていた。風が吹いて葉が揺れたら、つかまりどころがないので、いちいち足を動かしてバタバタしていた。枝にしなよと思った。
帰りのバスを降りたとき、部活帰りの中学生男子が3人で歩いていて、うち2人が手をつないでいた。堂々と手を握り合っている2人がいて、その隣にもう1人が別になんともなく一緒にいる。駅のホームでは、また別の男の子が1人、女の子のグループにいて楽しそうに雑談していて、かつ向かいのホームの男の子とも手を振り合う。
わたしが中学生の頃は、なんらかのトラブルで同性の中に友達がいなくなってしまった場合、異性の中に本当は気の合う子がいるかもしれなくても、そっちに寄っていくのはナシなことだった。小学生のときは、3人グループにいた時期があって、3は3でも2+1のわたしは1のほうで、2人から本当には選ばれていないことが、ときどきよるべなく、誰に対してか恥ずかしくもあった。あれから何十年と経ってこの旅行中、わたしたちはいつでも1+1+1だったし、佐倉の中学生たちはもう、本当に恥ずかしいことが何か、とっくに知っていそうだった。子どもの頃の自分に見せてやりたい、鮮やかな自由。自らに由ること。
という感動は感動として、車内で中学生の群れと一緒になったらやかましいので、そっと乗り口を変えて帰った。その晩は11時間寝た。